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神さまなんて大嫌い!⑨

 
 【汪楓白おうふうはく、愛妻の鬼難きなんに発奮するの巻】


 しこうして、一刻ほどのち――、

 地下牢へ戻された僕を、神々廻道士ししばどうしは、相変わらずの鷹揚おうようさで迎え入れた。

「よぅ、早かったな。どうだった?」

「……散々でした。いきなり殴られるわ、屈強な隊員たちに、寄ってたかって厳しく尋問されるわ、その途中で、例の鬼生虫きせいちゅうが出て来ちゃうわ……あいつ、脱走しちゃいましたよ」

 僕は、えん隊長に云われた通り、神々廻道士を騙すための演戯を始めた。

 バレたら怖いけど、落ち着いてやれば大丈夫だ、楓白。首輪の宝玉は、壊れているらしいから、下手に動揺してボロを出さない限り、嘘だと見抜かれることはない……はずだ。

 だって当の神々廻道士は、僕のセリフに喰いついて、いつものように嘲笑ってるモン。

「そうか! ついに脱糞したか! そいつぁ、よかったな!」

「脱走です! いい歳こいて、お漏らしなんかしませんよ! 失礼な!」

 ところが、次の瞬間、神々廻道士の顔から、笑みが消え、口調は険悪になった。

「で、彪麼ひょうまの野郎と、どんな謀略を練ってやがったんだ?」

「なんのことです?」

「とぼけんなよ。あいつに上手く丸めこまれ、表面上はすっかり仲良くなって、俺さまを陥れる詭計きけいを、二人で練ってやがったんだろ? 隠したって無駄だぜ。お見通しなんだよ」

「わけが判りませんね」

 僕は、背中にジットリと冷や汗をかきながら、必死で平静を装った。

 もう、バレた? まさか……ものの二分で看破かんぱされるなんて、不甲斐なさすぎだ!

 でも……やっぱり、バレてたんだ!

おい埋葬虫しでむしのオヤジ! 出て来い!」

 突如、声を荒げた神々廻道士。すると、天井部近くの小さな明かり取りの窓から、ぬるぅりと、なにかが忍びこみ、僕の足元へ落っこちた。それは瞬時に形を変えて、なんと!

「へへへ、先程は、どうも」

「げぇえっ!? 不潔で好色なおじさん!?」に、まちがいなかった!

「それとも、こっちの姿の方が、好きかね?」と、またまた変身する!

 そうして、気色悪い不定形生物から、不潔な好色おじさん、そして総髪そうはつの美青年へ三段階変化して見せた男は……いや、妖怪は、腰を抜かす僕へにじり寄り、そっと頬をなでた。

「なっ……なな、な、何者なんですか、あんた!」

 満面の笑みを浮かべる男……代わって、神々廻道士が彼の素性を紹介した。

「こいつの名は《埋葬虫の醸玩じょうがん》だ。俺の手下の一人でな。討伐隊の……ってか、彪麼の動きが怪しいんで、数日前から、ここに潜入させてたのさ。てめぇのケツん中で聞いたこたぁ、すでにこいつから筒抜けだぜ。ま、そのために仕込んだんだけどなぁ。哈哈哈ハハハ!」

 神々廻道士の言葉を聞いて、僕の全身から血の気が引いた。

 同時に、まんまと姦計かんけいに嵌められたことへの、憤りも湧いて来た。

「そんなっ……僕を騙したんですか!」

「てめぇも、俺さまを騙そうとしやがったじゃねぇか!」

 そ、それは……だって、だけど!

「でも、あんた……いや、神さまだって、非道ひどいじゃないですか、こんな妖怪に、僕の体を……売り飛ばすみたいな真似して! そうまでして、なんで鬼去酒きこしゅが欲しいんですか!」

「喂、醸玩! こいつの尻と、もっかい遊んでやれ!」

「げへへぇ! それじゃあ、もう遠慮は要らないかなぁ? 最初だからと思って、負荷がかからないよう、最小限の姿でチュポッと入ってたからね。こんどはわしの素のまま、ヌボヌボ、ミチミチと……隘路あいろを広げてあげようか。場合によっては、血が出ちゃうかもねぇ」

 おえぇ! 『チュポッ』とか、『ヌボヌボ』とか、『ミチミチ』とか、擬音が卑猥ひわいすぎるでしょ! しかも、オッサンの目が、妖しい光をおびて来たし、鼻息荒くなってるし!

 お尻を地下牢の石床にすりつけたまま、ジリジリと後退する僕。好色な薄笑いを浮かべ、折角の美青年姿を台なしにしながら、僕に接近して来る、オッサ……いや、醸玩さん。

 そこへ神々廻道士が、とどめの一言を浴びせて来た。

「醸玩! そんな奴のケツ、ズボズボ、メリメリ、ビチビチ、思う存分掘ったくってってやれ! 穴が裂けて、締まりがなくなって、クソ垂れ流しになるまで、何度でもな!」

 うげぇ! なんて恥知らずな上、無慈悲なことを、臆面もなく云えるんだ!

「彪麼なんぞにくみし、この俺さまを、裏切った罰だ! 当然だろ!」

 神々廻道士は、僕の心を読んだ……ワケじゃないだろうけど、推測してそうつけ加えた。

 うっ……いや、落ち着け、楓白!

 このオッサンも、話の後半部分は聞いてなかったわけだし……まだ手の内を全部、知られたわけじゃないんだ! この場だけでも上手くごまかし、なんとか乗り切らなくちゃ!

「すみません、神さま……その、僕の作品の愛読者だと云われ、舞い上がってしまい、ついつい己の分際を忘れてしまいました……今後は、なにがあっても絶対に裏切りません! ですから、どうぞお許しください! 僕は、あなたのように強くなって、凛樺りんかを……妻を、取り戻したいんだ! どうか、正式に弟子と認めてください! そばに置いてください!」

 とにかく、僕は必死だった。

 これも〝打倒神々廻道士〟のためと、覚悟を決めて、羞恥心も自尊心も投げ打って、彼の足元へ土下座までした。クッソ――ッ! 悔しいけど、今は……堪えるしかないんだ!

「あの、これ……せめてもの罪滅ぼし、と云ってはナンですが、燕隊長の隙を見て、彼の執務室からかすめ取って来た酒瓢箪さけびょうたんです。まだ入ってますし、よかったら呑んでください」

 さらに僕は、燕隊長から渡された『樒酒しきみざけ』入りの瓢箪を、神々廻道士の前へ差し出した。

「俺さまの、酒瓢箪じゃねぇか」

 僕の手からつかみ取り、しげしげとながめる神々廻道士。ポンッと栓を開け、口を近づける。よし! もう少し……もう少しだ! 僕は、道士の目を盗んで、地下牢の出入口付近にて、内部の様子を観察する獄卒ごくそつの方を、そっと見やった。目が合った途端、うなずく獄卒。急いで一人が、燕隊長の元へ報せに走る。長かった……けど、これで、やっと……。

 ところが、ここでまた事態は急転直下……驚愕の展開が、僕を待ち受けていたのだ。

「その凛樺だけど、ちょっとまずいことになってるわよ」

 突如、牢獄の石組みの隙間、僕の股間の辺りから、白蛇がニュルンと這い出して来た。

「うひゃあっ! じゃ、じゃじゃ……蛇那じゃな!?」

「我々は、止めたんだがな。まるで聞く耳を持たんのだ」

 突如、牢獄の暗闇の奥、僕の背中と石壁の間から、影鬼がヌゥッと伸び上がって来た。

「のえぇえっ! しゅ、しゅしゅ……蒐影しゅうえい!?」

「このままだと、琉樺耶るかや茉李まつりの身まで、危うくなるぜ」

 突如、牢獄の天井から、僕の頭上一寸のところへ、怪鳥けちょうがバササッと急降下して来た。

「ぐひぃいっ! あぁ、あっあっ……呀鳥あとり!?」

 三妖怪の、突然の出現に仰天し、悲鳴を上げる僕の頬を、神々廻道士が容赦なく殴る。

「うるせぇ、莫迦ばかシロ! 獄卒に気づかれるだろ!」

「ふがっ……す、すみません……いや、そうじゃなくてですね!」

 僕は慌てて体勢を立てなおし、出入口の方へ視線をやった。いない?

 見張り役の獄卒が、一人もいない? どこに往ったんだよ、こんな時に!

 なんにせよ、僕は胸の鼓動を鎮めつつ、三妖怪に噛みついた。

 彼らは勢ぞろいして、神々廻道士の前へかしずいている。

「どうして、あんたたち三人が、百鬼討伐隊の地下牢に!? ……ってか、いきなり変なトコから、姿を現さないでくださいよ! 心臓が、止まるかと思ったじゃないですかぁ!」

「案外、入るのチョロかったわよねぇ」

「影から影を移動するだけ。問題ない」

「俺は天上から大滑空……ってな具合」

 僕を振り返り、こともなげに云い放つ三妖怪だ。

「だからって、どうしてここが……」

「なに、儂が報せたのさ。ご主人さまは、ここにいるぞってな」

 はぁ!? このおじさん、いや……美青年、三妖怪とも面識があったのぉ!?

 それを裏づけるが如く、蛇那・蒐影・呀鳥は、次々と醸玩へ軽い調子で挨拶する。

「久しぶりねぇ、醸玩じぃ」

「うむ。壮健そうで、なによりだ」

「相変わらず、男のケツ掘ってんのか?」

 談笑する三……四妖怪。僕は、頭が痛くなって来た。なんだかなぁ……もう、現実逃避したいよぉ……しかし、神々廻道士の発した疑問が、僕を否応なく現実世界へ引き戻した。

「喂、それより、まずいことってなんだ? 凛樺がなんだって?」

「そうだ……凛樺が、凛樺がどうとか、云ってたよね、蛇那! なにがあったんだ!」

 僕は、久しぶりに聞いた愛妻の名に過剰反応し、白蛇オカマへ詰め寄った。

「それがさぁ、あんたの元女房が、いきなりびょうにやって来て『夫を助けてください』って、青白い顔して泣きつくワケよ。そしたら、琉樺耶と茉李が『私たちにまかせな』って、飛び出して往っちゃって……私たちは引き止めたんだけどね、もう聞く耳持たないワケよ」

 蛇那の説明を受け、大きな誤解をした僕は、一瞬で舞い上がってしまった。

「凛樺が……凛樺が、僕を助けて欲しいって、泣きついたぁ!?」

 うれしい! きっと、どこかで僕の苦境を知った凛樺が、神々廻道士へかけ合いに来てくれたんだ! 態度や口調は冷たくとも、やっぱり内には、優しい心根を秘めてたんだ!

 だけど、そんな僕のささやかな幸福感を、蒐影と呀鳥のセリフが果敢なくも打ち壊した。

「お前じゃない。夫は楊榮寧ようえいねいさま、だそうだ」

「お前とは、とっくに別れたって云ってたぜ」

 唖然呆然……誰か、嘘だと云ってくれ……胸が痛くて、心が寒くて、消えそうだ……。

「そ、そんな……凛樺ぁ……凛樺ぁ……うぅ、ひっく、ひっく、わぁあぁぁあっ!」

 僕は情けなくも、嗚咽をもらし、泪を流し、石床へ泣き伏してしまった。

「泣いてる場合じゃねぇよ、シロ。どうやら、楊榮寧って野郎、鬼に憑かれちまったらしいからな。それも、ただの邪鬼なんかじゃねぇ。よりにもよって、【鬼宿木おにのやどりぎ】だそうだ」

 呀鳥に背中を叩かれても、僕は自己憐憫にさいなまれ、返事さえままならない有様だ。

 代わって、態度が豹変したのは、神々廻道士の方だった。

「なにぃ? 【鬼宿木】だとぉ?」

 驚愕のあまり、酒瓢箪を取り落とす神々廻道士。

 それは丁度、泣き伏す僕の目前に転がって来た。

「あらま、ご主人さまの目つきが変わったわね」

「怨敵の名前を聞いて、本気になったらしいぞ」

「道士の装備一式、持って来て大正解だったな」

 そう云いながら呀鳥が、神々廻道士の前へ、道服や武具、装備品などを差し出した。

 神々廻道士は、すぐさま本来の道士姿に着替え、戦闘準備を整えた。

苗床なえどこは?」

「最悪よ、師父しふ。よりによって、淫鬼いんきの筆頭《鵺醜女ぬえここめ》ですって」

「鵺醜女か……それじゃあ、囚われた女どもは、さぞやエライ目にあってることだろうぜ」

「凛樺ぁ、凛樺ぁ……ん?」

 ここで僕も、ようやく事態の急変に気づき、泣き腫らした顔を上げた。

 何故か、ニヤリと口のをゆがめる神々廻道士だ。

 しかし、目だけは強靭きょうじんな殺気でギラつかせているから、なんとも、チグハグで不可解だ。

 僕は彼の顔を見ながら、芽生えた疑念を、そのまま口にする。

「……怨敵? 鵺醜女? エライ目……それって、一体……どういう」

 けれど神々廻道士は、すでに僕など眼中にない様子で完全無視し、三妖怪へ命令した。

「とにかく、脱糞……じゃねぇ、脱出だ。凛樺なんて尻軽女は、どうなろうとかまわんが、琉樺耶と茉李には、まだ利用価値がある。ここで死なせるのは勿体ねぇ。早速、助けに往って【鬼宿木】を斬り倒し、生涯かけても払いきれねぇほどの恩を、売りつけてやろうぜ」

「「「承知!!!」」」

 三妖怪も、神々廻道士に呼応し、拱手こうしゅ恭順きょうじゅんの意を示す。

 すると、まだ石床にへたりこんだままの僕を見下し、神々廻道士が吐き捨てた。

「じゃあな、シロ。ここでお別れだ。てめぇの泣きっ面は、もう見飽きたし、その負け犬根性には、ムカッ腹が立って仕方ねぇ。首輪の効力がなくなった以上、てめぇも俺さまに、従う理由はねぇだろ。お互いの利害は一致した。てめぇはここで凛樺を想って、メソメソしてろ。自分の身を嘆いてろ。死ぬまで後悔し続けろ。それが、てめぇにゃお似合いだぜ」

 な、なんだって!? 今まで散々、酷使しておいて、よくもそんなこと!

「ちょっと、待ってくださいよ!」

 神々廻道士は、さらに刺々しい語気で云いつのる。

「それとついでだから、醸玩。さっきも云った通り、こいつのケツを、好きなだけ掘っくり返してかまわねぇぞ。この手のフニャチン野郎にゃあ、女を抱く資格なんざねぇ。今後は、男娼にでもなって暮らせ! てめぇより強い男に、いつでも守ってもらって、腐れた女みてぇに生きて往け! それがてめぇにゃあ、お似合いだぜ! 雌犬シロちゃんよぉ!」

 神々廻道士の、情け容赦ない舌鋒ぜっぽうを受けた途端、僕の躯幹くかんを電流のような衝撃が走った。

「本当かい? それじゃあ、お言葉に甘えて……ふぐっ!」

 神々廻道士の言葉を本気にし、早速、僕を背後から抱きすくめようとした醸玩に、僕は思いきり肘鉄を喰らわせた。男色の不定形妖怪は、グニャリと形を変え、石床に広がった。

 乱暴とは思うけど、でも……だって、だって、だって……そうだろ!?

 ここまで愚弄され、嘲弄されて、立ち上がらなければ、男がすたるじゃないか!

 僕は本当に一生、不甲斐ないままの、負け犬になってしまうじゃないか!

 僕は、すべての懊悩を断ち切り、敢然と立ち上がるや、神々廻道士の進路をふさいだ。

 そして……ついに、ついに、僕の逆襲が始まった!

――バシッ!

「僕は、あんたの云う通り、情けない男だ! でも、このまま泣き寝入りして、後悔するような負け犬にはならない! あんたに与するわけじゃなく、僕は僕自身の意志で、一緒に往くと決めた! 凛樺を、琉樺耶を、茉李を助けるためなら、僕は命を捨ててもいい!」

 神々廻道士の頬を、渾身の力で叩き、僕は宣言したのだ。

 たとえ、逆上した彼に、この場で殺されても、かまわないとすら感じた。

 僕は生まれて初めて、恐怖や躊躇の向こう側にあるものを、つかんだ気がした。

 勇気……そう、勇気だ。

 僕らの周囲では、三妖怪と醸玩が、アタフタオロオロしている。

 頬を押さえ、ゆっくりと、こちらを向いた神々廻道士……口角が切れ、血がにじんでいたが、その顔は微笑をたたえていた。まるで我が子の成長を、慈しむような眼差しで……。

面白おもしれぇ……お前の勇気、初めて見たぜ。なら、本物か否か、確かめてやるよ……来い!」

「えっ……? えぇえっ!?」

 直後、呀鳥が巨大な赤翼を広げた。神々廻道士は、その背に乗り、僕の片腕をグイと引っ張った。蛇那と蒐影も、呀鳥の尾翼につかまり……そして、怪鳥は一気に舞い上がった。

 討伐隊地下牢の、明かり取りの天窓を、ズドオォォォオンッ……と、頑丈な石組みごと突き破り、大空へ一直線だ。粉々になった石片が頭に降り注いだが……いや、なんのその。

 す、凄い! 二度目だけど、やっぱり凄い! 凄すぎる!

 大空から見下ろす世界は、なんて雄壮なんだ! そして美しい! 昼間の明瞭な景色も素晴らしいが、夜間の煌々とした街灯りも、宝石箱をひっくり返したようで素晴らしい!

『ご主人。ご存知の通り、俺はあんまり夜目が利かないんでね……水先案内、頼みますぜ』

「まかせろ。あの【鬼宿木】の場所なら知っている。神隠しの森だ。北東鬼門方角へ飛べ」

 その時、興奮する僕の耳に呀鳥と神々廻道士の会話が流れこんで来て、僕を震撼させた。

「北東鬼門方角、神隠しの森……ああ! 天凱府てんがいふで最も危険な上忌地じょういみちですね!? なんてこった……」

「怖気づいたんなら、この場で地上に返してやるぜ。無論、最短距離であの世にも逝ける」

「そう云う冗談は、今の僕には通用しませんからね!」

「哈哈、哈哈哈哈哈!」

「なにが、可笑おかしいんですか……」

「いや、なに……哈哈哈哈哈、哈哈哈哈哈哈哈哈哈!」

 赤い怪鳥の背中で、風を切りながら、莫迦笑いする神々廻道士だった。

 今宵は鬼灯夜ほおずきや……鬼業きごうが最も強まり、泥梨ないりの死門も開くという忌日だ。

 しかし、この時の僕は、まだ知らなかったのだ。

 上忌地『神隠しの森』で待つ壮絶な死闘や、次々と明かされる哀切な過去、そして凄惨な秘密のことなど……今の僕はただ、大事を前に、呑気に笑う神々廻道士の横顔を、なかば呆れて(ちょっぴり頼もしくも思い)見守るだけの、《汪楓白》……いや、シロだった。



 その頃、百鬼討伐隊本陣では、こんな事態になっていたらしい。

 これは、執務室にて、燕隊長と副長の間で、交わされた会話である。

「ついに動き出したか」

「はい、隊長の読み通りでした」

「ふふ、急がずとも、すぐに釈放させてやったものを」

「しかも此度は、思わぬ収穫まで、ありそうですな、隊長!」

「あとは、例の内通者が、上手くやってくれるだろう。さて、我々も往くぞ!」

「いよいよですね! 隊正、みなを中庭に五分で整列させろ!」

「承知!」

 副長の命を受け、慌ただしく動き出す隊正。燕隊長は北叟笑ほくそえみ、陰惨な目でつぶやいた。

「莫迦どもめ、自力で簡単に脱獄できたと思っているなら、大まちがいだ。百鬼討伐隊本陣の牢屋敷は、通常のものとは異なる。邪鬼や、人外の物の気配を察知し、ただちに強力な結界を張って、侵入も脱出も拒む。しかし、今夜だけは、その結界を解いてやったのだ。すべては貴様らの、悪事の尻尾をつかむため……今だけは自由に泳がせてやろう。趙劉晏ちょうりゅうあん



ー続ー

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