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神さまなんて大嫌い!⑫

 【汪楓白おうふうはく師父しふの恋路を応援するの巻】



 僕は、『早く! 早く!』と、呑気な神々廻道士ししばどうし(と醸玩じょうがん)を急かした。

 何故だか、胸騒ぎが収まらない。不安と憂患にさいなまれ、仕方がない。

 どうしてだろう……例の忌地いみち事件のあとから、僕の勘は妙に当たるんだ。

 ところが……嫌な予感、的中!

「あ……雁萩太夫かりはぎだゆう

「おんや、まぁ……他の男に、落籍ひかされたか」

「そ、そんな! 紗耶さやさん!」

 なんと見世みせから、煌びやかな衣装に身をつつんだ、上臈じょうろうの男に手を引かれ、雁萩太夫が丁度、出て往くところだったのだ! ど、どど、どうして……なんでだよ、紗耶さん!

 彼女は、僕らに気づいても、平素まったくつれない態度で、別れの言葉を口にした。

「あら、あにさん。今日も早いのね。白菊しらぎくなら、見世にいるわよ。じゃあ……さよなら」

 男に促され、紗耶さんは、どんどん見世から遠ざかって往く……と、その時!

「若君! 申しわけありません! なんとか、お嬢さまを、止めようとしたんですが……」

 裾を散らし、息を切らして、見世から飛び出して来たのは、白菊太夫だった。

「えぇえ!? 白菊太夫!? ど、どうして……若君って、この人のこと!?」と、僕に指を差された神々廻道士は、鬱陶しそうにその手を払いのけ、驚くべき事実を打ち明けた。

「うるせぇな。こいつは元々、ちょう家の侍女だったんだよ」

 趙家の侍女!? あんたの愛娼だったんじゃないの!?

 さらに、醸玩が云いそえる。

「雁萩太夫を見守らせるため……つまり、おかしな客から身を挺して守らせるため、この見世に送りこんどいたんだよな。まったく、侍女どのの苦労も知らんと、可哀そうに……」

 はぁ!? なんだってぇ!? それじゃあ、今までのは全部、演戯だったってこと!?

「いえ、私は、その……ワリと、こういうことが、好きな方で……男性客相手に愉しむこともできて、しかもお金までもらえるなんて、一石二鳥……じゃなく! どうしましょう、若君! 昨夜、〝あの男〟がやって来て、莫大な身請け金を、全額支払ってしまったんです! やはり前々から、お嬢さまに目をつけていたようで……本当に申し訳わけありません!」

 以前の軽薄で、蓮っ葉な感じは、どこへやら……今は(元)高家こうけの侍女らしく、礼儀正しい所作と口調で、本当の主人である若君・趙劉晏ちょうりゅうあんへ、己の非を詫びる白菊さんだった。

 こうして見ると、白菊さんも、なかなか……いや!

 今は、それどころじゃないだろ、楓白!

「云いわけはいい。奴の身許は?」

 冷淡な口調で、詰問きつもんする神々廻道士だ。

「それが、その……噂が気になり、密かに調べたところ、宮内大臣くないだいじんの、子息らしく……いつも数名の武官だけ連れ、お忍び風で、見世を訪れるのです……お嬢さまも、最初の内は、断り続けていたんですが……何故か今度ばかりは、身請け話をこばまず……ああして……」

「宮内大臣!? それじゃあ、あいつの父親って……師父しふたち三人の、いわば天敵!?」

 いよいよ驚倒する僕。だが、神々廻道士は、思いがけない反応を示したのだ。

「ふん……よかったじゃねぇか」

「はぁ!?」

 よかった? なにが、よかったって? この人、一体、なにを云って……、

「過去はどうあれ、宮内大臣の子息ともなりゃあ、金も権力も思いのままだ。あいつも贅沢三昧に暮らせるし、ようやく幸せになれるんだ。めでたし、めでたしってなぁ。哈哈哈ハハハ

 な、ん、だ、と!?

 さすがの僕も、どたまに来たぞ!

 だから、思いっきり、神々廻道士を怒鳴りつけてやった!

「師父! 莫迦ばかなこと、云わないでください! これでいいわけ、ないでしょう!」

 白菊さんも、必死で食い下がった。

 己の身を遊女にやつしてまで、憎まれ役を引き受けてまで、懸命に守り続けて来た紗耶さんを、横から敵にかっさらわれたんじゃあ、今までの苦労がまったく報われないよな!

「そうです、若君! お嬢さまは、今でもあなたさまのことを、想っております! 早く追いかけて、宮内大臣の莫迦息子から、取り返しましょう! さもないと、お嬢さまは!」

 その上、白菊さんは、もっと恐ろしいことを考えに入れていた。意味深に言葉を切る。

「なんだよ、そんな必死こいて……まさか、あいつが宮内大臣に、仇討ちでも……」

「そうだとしたら、追いかけますか、師父!」

 僕も、紗耶さんの心中に、ようやく気づき、神々廻道士をけしかけた。

しかし――、

「べつに……俺さまには、もう関係ねぇな」

――ピキ――ンッ!

 僕は、完全にキレた。

「あんた、見損なったよ! 僕より、よっぽど腰抜けじゃないか!」

「なんだと、シロ! もう一回……」

「何度だって云ってやる! あんたはただ、紗耶さんに拒否されるのが、怖いだけの腰抜けなんだろ! なぁにが神々廻道士だ! えらそうな名前つけたって、結局は惚れた女一人幸せにできない、腰抜け腑抜けの、大莫迦野郎じゃないか! 僕を嘲笑える立場かよ!」

 もう、怒りが止まらなかった。

「万一、彼女が宮内大臣の元で事件を起こし、死ぬようなことになったら、僕は一生、あんたを許さないぞ! 軽蔑してやる! いや、その前に……僕が紗耶さんを助けるんだ!」

 そう云って、駆け出そうとした僕の肩をつかみ、乱暴に引き倒すと、神々廻道士が、代わって紗耶さんの元へ走った。丁度、裏路地で待っていた、家臣らしき四人の男に手を貸され、宮内大臣の子息と、紗耶さんは、立派な四頭牽きの馬車に、乗りこむところだった。

「待て!」

 そこへ、ズカズカと近づいた神々廻道士。

 有無を云わさず、振り向いた子息の凡庸ぼんような顔を、渾身の力で殴打した。

「ぐはぁっ!」

劉哥りゅうあにさん!?」

「「「「た、太子たいしさま!!」」」」

 子息……いや、太子は往来まで吹っ飛ばされ、車力夫しゃりきふの荷車にぶつかり、水溜まりへ突っこんだ挙句、農夫の牛に踏まれて、前後不覚となった。ちょっと……やりすぎかなぁ?

 家臣四人は、慌てふためき、太子を助けに向かう。

 紗耶さんは、唖然として、神々廻道士を見つめている。

 神々廻道士は、そんな紗耶さんに歩み寄り、初めて、彼女の本名を呼んだ。

「雁萩太夫……いいや、紗耶!」

 吃驚びっくりして、目を丸くする紗耶さんの手を取り、神々廻道士は云った。

「俺と、一緒に来い」

 さらに、云いつのる。

「薄汚いびょうで、妖怪どもと一緒に、貧乏暮らしさせてやる!」

 うぅむ……一応、あれでも、結婚申し込みのつもりなんだろうな。神々廻道士としては。

 だけど、上忌地じょういみちでの一件以来、鬼去酒きこしゅを必要としなくなった彼の目は、真剣そのものだった。無論、酒気など一切、含まれていない。完全にシラフの、神々廻道士の言葉である。

「なによ、それ……どういう意味?」

 紗耶さんは、呆気に取られ、美しい眉宇びうをひそめている。そりゃあ、判らないよなぁ。

 ってかさ……別の云い方で、もっとはっきり伝えて欲しいよなぁ。

 ああ、もう! 神々廻道士ってば!

 女心が、全然、判ってないんだから! (男の僕だって、そう思うぞ!)

 だが一方で、いきなり暴虐を受けた太子と、その家臣団が、黙っているはずもなく……、

「た、太子さま! 大丈夫ですか!」

「お怪我は……おおっ、なんと痛々しい!」

「よくも、我々の大切な太子に、非道な真似を!」

「貴様! この尊い御方の素性を、知っての狼藉ろうぜきか!」

 太子の身を案じつつ、狼藉者へ向け、厳しい怒号を浴びせる家臣四人だ。

「くっ……ふざけるなよ! いきなり、殴りつけるなんて……私が誰か、判ってるのか!」

 太子自身も当然、烈火の如く怒り、ずぶ濡れ、泥まみれ、痣だらけの無残な姿で、神々廻道士を威喝する。彼の怒りは至極尤もだ。だって、いきなりなんだモンなぁ……この人。

 その上、まだ彼らの神経を、逆撫でするような暴言を、平気で吐くんだから。

「黙れ、青二才! 汚職大臣に、伝えとけ! てめぇが犯した悪行の数々は、この神々廻道士さまが、すべてお見通しなんだよってな! 露見されたくなきゃあ、すっこんでろ!」

 太子は憤激のあまり、ワナワナと激しく震え出した。

「なんだと、貴様……父上のことまで愚弄するとは、もう許せん!」

 家臣四人も、太子と、主君を悪しざまに罵られ、怒り心頭に発した。

「太子に向かって、なんたる暴言! 下郎、まずは名を名乗れ!」

「その上、誹謗中傷で、宮内大臣の名誉まで傷つけるつもりか!」

「斯様な奸賊、最早、生かしてはおけん! 今すぐ地獄送りだ!」

「そうだ! 無礼討ちにしてくれる! 命乞いなど、無駄だぞ!」

 次々と抜刀し、神々廻道士を取り囲む。

 それでも彼は動じず、おびえて立ち尽くす紗耶さんへ、手を伸べて優しくささやいた。

「哈哈、そう息むなって。俺さまは真実を述べたまでだ。いいから、紗耶。こっちへ来い」

 しかし、彼女の前に立ちふさがった太子が、直刃すぐはの剣で、神々廻道士へ斬りかかった。

「雁萩太夫は、絶対に渡さんぞ! この物乞い道士め、死ねぇ!」

「そりゃあ、こっちのセリフだ! てめぇにだきゃあ、死んでも譲らねぇ!」

「みなの衆! 太子さまに加勢しろ! 彼奴きゃつを、嬲り殺しにするのだ!」

「「「承知!!」」」

 まだ偃月刀えんげつとうに手をかけていない神々廻道士へ、一斉に攻撃を仕掛ける太子団。

 紗耶さんは、闘志も見せず佇立する神々廻道士の死を間近に感じ、ついに絶叫した。

「やめてぇ! 太子さま……劉哥さぁん! 嫌ぁあぁぁぁぁあっ!」

 僕も思わず、手に汗にぎり、裏路地の一戦へ身を乗り出す。

 アレ? ところで……醸玩がいないぞ?

 一体、どこに……いや、今はそんなことを、気にしてる場合じゃないよな!

 ところが、まさにその時であった!

 太子の身に、とんでもない異変が生じたのは……、

「うっぬぅ……はぐっ!?」

 突如、腹を押さえて苦しみ出した太子の、異様な姿は、まるで……まるで、そう!

「太子さま!?」

如何いかがなされた!?」

「なにやら、様子が……」

「あっ……啊っ!?」

『グググ……グルルルッ……グギャアォオォォォオッ!』

 鬼憑きだ! まちがいない! あの獣声じゅうせい、あの凶眼、あの爪牙そうが……今にも、完全変態しようとしている! 家臣四人も、それに気づいた様子で、すっかり恐慌を来たしている!

「た……太子さま!?」

「おぉおっ……お気を、確かに!」

「これは……一体、どうしたこと……ぎゃあっ!」

「ひいっ……あの目つき、身のこなし……ま、まるで」

 さらに、神々廻道士が駄目を押す。

「哈哈、どうやら、鬼に憑かれちまったらしいな」

「「「「なんだと!?」」」」

 丁度、折も折、周囲には騒ぎを聞きつけ、大勢の野次馬が集まって来ていた。

 衆人環視の中、家臣団とて迂闊な真似はできない。かといって、主君の大切な後継ぎを、手にかけることなど到底、できるわけがない。最早、凶刃の切っ先を、どこへ向けるべきなのかも判らず、困窮している。そこで、僕がすかさず近づき、家臣四人へ忠告を与えた。

「家臣のみなさん! 危険ですから、早く下がって! ここは、専門職である神々廻道士に、すべてまかせてください! さもないと、あなたがたにまで鬼業きごうの累が及びますよ!」

 家臣四人は、お忍びで悪所あくしょを訪れた太子に同行するくらいだから、当然、腕に覚えのある武道派ぞろいなんだろうけど、鬼憑き太子が相手では、さすがに剣術もひけらかせない。

「おぉ……鬼憑き、だって!?」

「太子さまが!? そんな……そんな莫迦な!」

「黙れ! ふざけたことを抜かすな! 絶対にあり得ん!」

「しかし、あの姿は……啊! 父王ふおうに、なんとご説明すればいいんだ!」

 悄然と青ざめ、寒胆し、または激昂し、頭をかかえる家臣四人は、右往左往している。

 紗耶さんも驚愕し、壁際に張りつき、太子の変貌ぶりを、怖々と見つめている。

 神々廻道士は、観衆にもれなく聞こえるほどの大音声だいおんじょうで、こう叫んだ。

「紗耶を身請けしておいて、のちのちは喰うつもりだったんだろうが、そうはさせねぇ! この神々廻道士さまが、今すぐ退治してくれる! 往くぞ! しゃぁあぁぁあぁぁあっ!」

 満を持して、偃月刀を抜き払った神々廻道士は、鬼憑き太子へ突進する。

『黙れぇえっ! 折角、美味そうな生餌に、ありつけると思うたに、邪魔しおって……許せん! 貴様も返り討ちにし、血肉を喰らってるわぁあっ! 死ねぇえぇぇぇぇえっ!』

 鬼憑き太子は、そう雄叫びを上げるなり、ついに完全変態をとげた。

 その醜悪な姿の、凄まじさといったら……頭頂部からは、彎曲した二本角が突出し、背中からは、真っ赤な刃の大翼が噴出し、下腹部からは、巨大な白蛇の半身が現出し、赤黒白の三色に変じた髪は乱れ、凡庸な顔は、黒ずんで不気味にゆがみ、巨大な複眼は、殺意を満々と宿している。その上、体中の皮膚から、線虫の如き触手が、ザワザワと……ザワザワと……ザワザワと、僕の胸もざわめく。だって、なんだか、どこを取っても、ヤケに、見覚えがあるんですけど……え? えぇえ!? そんな、まさか……う、嘘でしょう!?

 だって、例の三妖怪は、すでに解放したはずじゃあ、なかったの!?

蛇那じゃな! 蒐影しゅうえい! 呀鳥あとり! 君たちなのか!? ついでに、醸玩も参加してる!?」

 僕の声が届いたのか否か……鬼憑き太子は一瞬、僕に向け、親指を立てて、口端をゆがめ、合図したように見えた。だが、すぐに偃月刀をかまえる神々廻道士の元へ、飛びかかって往く。黒光る鋭利な爪が、神々廻道士の偃月刀をはじき返し、物凄い火花を散らす。

『お前は、俺の喰い物だぁあっ! 逃げるなよぉおっ!』

「きゃあぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁあっ!」

 鬼憑き太子は、赤い翼を羽ばたかせると、幾本もの風切り刃を紗耶さんに放ち、襦裙じゅくんの袖口や裾など、ギリギリのところを射抜き、逃げられぬよう、路地裏の築地塀ついじべいはりつけにする。

 その上で、神々廻道士との決戦の場を、広い往来へとうつした。

 通行人や野次馬の悲鳴がとどろく中、神々廻道士は相変わらず……いや、前以上の俊敏さで、中空を舞って襲い来る鬼憑き太子を翻弄する。赤い刃翼を斬り払い、からみつく白蛇の尻尾を刺しつらぬき、黒い瘴気しょうきの呼気を飛散させ、おぞましい体毛触手を削ぎ落とす。

 いやはや、裏で示し合わせてるとはいえ、大した役者ぶりだね……見ごたえあるよ。

 しかし鬼憑き太子は、まったく動じる気配がなく……人間離れした剛腕で、近くに置いてあった大八車をつかみ、振り回し、神々廻道士へ投げつけた。神々廻道士は、大八車を偃月刀で一刀両断にし、難を逃れたが、そんなわずかな隙を突き、肉薄した鬼憑き太子に、到頭、捕まってしまった。白蛇の尻尾と、うごめく線虫の触手に自由を拘束され、腰帯から魔除けの五色札ごしきふだを取り出すことすら、ままならない。

 鬼憑き太子は、ニヤリと嗤った。

「てめぇら……俺さまに、本気出されてぇのか!」

 ん? なんだか様子がおかしいぞ?

 ハッ……まさか、もしかしてだけど……三妖怪(と醸玩)は、神々廻道士の謀略通りに、演戯してたってわけじゃなく、本気で彼の命を狙って、太子に憑依したわけなの?

 だとしたら……これって、復讐劇じゃないの! ちょっと……いや、かなりまずいよ!

「し、師父! 待っててください! 僕が、す……助太刀します!」

「くっ……莫迦野郎! 見りゃ判るだろうが! お前に敵う相手か!」

 だって、僕以外に、誰がいるってのさ! 仕方ないじゃないか!

 僕は、近場の材木置き場にあった、棒切れをにぎり締め、鬼憑き太子へ立ち向かおうとした。だが、その刹那……思わぬ形で、僕らの力強い援軍が登場したのだ。それこそ――、

「「「百鬼討伐隊ひゃっきとうばつたい諡火おくりびの第三小隊だ!!! 鬼憑きは我々が捕縛する!!! 下がれ!!!」」」

 颯爽たる赤戦袍あかせんぽうに、〝事難方見丈夫心じなんほうけんじょうぶしん〟の隊訓、そして見覚えのあるメンツ。

 とくに、鬼隊長と恐れられる指揮官の、精悍せいかんで雄々しい顔立ちは忘れようはずがない!

「啊っ……えん隊長!」

 彼の方も、僕と神々廻道士の存在に、すぐ気づき、素っ頓狂な声音こわねを発した。

「先生!? それに、劉晏も……また、あなたがたが、関わっていたのですか!?」

 なかば呆れられ、僕はバツが悪そうに頭を下げた。

「どうも、お久しぶりです……すみません。でも、これは不可抗力でして……」

 燕隊長は苦笑し、怒りの矛先を神々廻道士へ向けた。

「劉晏! お前という奴は……いつも、いつも、我々の邪魔を」

「説教なんざ聞きたくねぇ! こいつだきゃあ、俺一人で倒す! 手出しも許さねぇぞ!」

 鬼憑き太子に、首筋へ牙を突き立てられそうになっても、なお強がって助勢を固辞する神々廻道士だった。彼の気持ちも、今なら判る。愛する女性のため、命を賭ける彼の信念。

 それはかつて、僕自身も凛樺りんかにいだいていた、同じ感情だからだ。

「あいつ……どうやら、宮内大臣の子息らしいんです。だから、師父は……」

 僕は、燕隊長にも、真実を告げた。そう伝えれば、彼だって判ってくれるはずだ。

 と――その時、裏路地から隊員二人に連れられ、紗耶さんが飛び出して来た。

「隊長! 裏路地で、被害者一名を救助しました!」

「劉哥さぁん!」

 襦裙はズタズタだったが、彼女自身は無傷である。僕は心底、ホッとした。

 一方の燕隊長は、幼馴染みの登場に驚き、目を丸くした。

「なっ……紗耶! 紗耶じゃないか!」

 紗耶さんも、燕隊長の姿を目にするや、同様に驚き、声を裏返す。

「まぁ……彪哥ひょうあにさん! どうして、ここに……啊、確か【百鬼討伐隊】の指揮官をしてるんだったわね! ならば、鬼憑き騒ぎに駆けつけても、不思議はないか……だ、だけど!」

「昔話は、また後刻だ」

「え、えぇ……」

 しこうして、再びそろった、幼馴染み三人。

 今や銘々の立場はちがえど、ただひとつだけ共通点があった。

 それは、仇敵・宮内大臣への、深い怨嗟の念である。

 燕隊長は、あらためて僕に訊ねた。

「凄まじい鬼業を、奴から感じます……奴が、宮内大臣の子息というのは、本当ですか?」

「はい! 確かに、そう聞きました! まちがいないですよね、家臣のみなさん!」

 僕はあえて、後方でアタフタする家臣へ、少し(かなりだな)意地悪な質問を投じた。

「いや、それは……う、うるさい! 青二才が、余計な口を利くな!」

 いよいよ慌てて、僕に逆ギレする家臣たちだった。燕隊長も得心する。

「なるほど、図星か。ならば……私にとっても、これは見過ごせぬ事態だな!」

 キラリと、燕隊長の黒瞳が、怪しい光を放った。

「一同! すみやかに陣を組み、間隙を開けず包囲しろ! 砲撃隊は前に出て、ただちに地獄枘じごくほぞの準備! いきなり急所は撃つな! 手足や翼を狙え! 生け捕りにするのだ!」

 うわぉ! この人も、本気になったぞ!

 太子には気の毒だけど、まぁ仕方ないよね!

 けれど、燕隊長の決断に、ますます困窮したのは、当然の如く家臣たちだった。

「ま、待たれよ! 太子を傷つけたら、いくら天下の護国団筆頭でも、ただでは……」

「それは、脅しですか?」と、すかさず食いつき、堂々たる巨体で、燕隊長と家臣たちの間に割り入り、圧倒する副長。哈哈……これじゃあ、どっちが脅してるんだか判らないな。

「うっ……ぬ、それは、その……」

 案の定、家臣たちは言葉に詰まり、スゴスゴと後退する。

 燕隊長は、苦戦する神々廻道士に向けて、叫んだ。

「劉晏! 半時だけ待ってやる! その間に、奴を倒せなかったら、我々も動くぞ!」

 神々廻道士は、不敵な笑みを浮かべて、宣言した。

「半時だぁ? ハッ……こんな雑魚! 十分ありゃあ、地獄送りにしてやらぁ!」

 いつでも有言実行(時々無言実行)の神々廻道士は、執拗しつこくまとわりつく鬼憑き太子の腹部へ、稲妻のような蹴りを入れ、後方へと吹き飛ばした。あとを追って飛ぶ神々廻道士は、ようやく取り出した五色札を、鬼憑き太子の五体へ素早く貼りつけ、身動きが取れなくなった相手の腹を、さらにこれでもかってほどに、殴り続けた。 
 そうする内、鬼憑き太子の赤い大翼は、サラサラと刃を散らし始め、下腹部から生える白蛇の尻尾は、ポロポロと鱗を剥がし始め、体中でうごめく不気味な触手は、ボタボタと線虫を落下させ始めた。

 そして、ついに次の瞬間――、

『ぐおぉおぉぉおぉおぉぉぉぉぉぉおっ!』

――ブリブリブリブリブリッ!

 どっひゃあ――っ! き、汚い! えげつない!

 なんか、ドス黒いモノを、下から大量に、垂れ流しちゃったよ、あいつ!

 いや、待てよ……ってか、アレさ、アレじゃない?

「しゅ、蒐影……むごっ!」

「し――っ、静かに!」

 僕は突然、背後から何者かに口をふさがれ、後句を、呑みこまざるを得なくなった。

 だ、誰……って、えぇえ!?

「醸玩……さん!? いつの間に、戻って来たの!?」

「なぁに、アレはわしの体の一部にすぎん。云うなれば、精子だよ、精子……哈哈哈」

 僕の耳元で、ヒソヒソとささやく醸玩だ。

 はぁ!? 精子!? それは……なんつうか……とにかく、ますます吃驚!

 燕隊長は、そんな醸玩を厳しい目つきで睨み、僕の体を無理やり引き寄せ、忠告した。

「いけません、先生! この日和見ひよりみ主義者は、危険です! 隙を見せないでください!」

「あ、はい……今後は、気をつけます」

 あなたにもね……だって、目が血走ってて、鼻息荒くって、怖いんだモン!

 しかし、神々廻道士の宣言通り、十分以内で勝敗は決した。

 蛇那・蒐影・呀鳥の三妖怪(と醸玩)から、解放された太子は、腑抜けたように虚脱し、ぼんやりと宙を仰ぎ、その場にへたりこんでいる。姿こそ、元の人間に戻れたけど、衆目の中で、とんでもない赤っ恥をかかされるし、最悪だなぁ……なんだか、可哀そうにさえ思えて来るよ。しかも、百鬼討伐隊に、鬼憑き嫌疑までかけられるのか……うぅむ、悲惨。

 しかし、周囲で見守る呑気な野次馬からは、一斉に拍手喝采が巻き起こった。

「す……凄い! さすがは、神々廻道士さま! 噂以上のお手並みだね!」

「あの恐ろしい鬼畜を、たった一人で撃退しちまうなんて、大したモンだよ!」

「太子だか、なんだか知らないが……まったく、人騒がせな上、無様な姿だねぇ!」

「啊……威張り腐って、えらそうにしてたって、貴人にも鬼は憑くんだなぁ!」

 なにも知らないってのは、怖い……罪作りだよね。だってさ、これってやっぱり、神々廻道士と三妖怪(と醸玩)による、『華麗なる鬼憑き退治』劇場だったわけでしょう?

 これじゃあ、丸っきり、冒頭の『金玉飯店きんぎょくはんてん』でのニセ芝居と、同じ展開じゃないか!

「あらあら、大変な人気者ね、ご主人さま。まぁ、これも私たちのお陰でしょうけどね」

「当然だろう。我々が、あそこまで骨を折ったんだからな。相応の見返りも要求せねば」

「人を喰って、人を騙して、人をもてあそんで、ボロ儲け……案外、面白い家業かもな」

「げげっ!? 蛇那!? 蒐影!? 呀鳥!? お前らも、いつの間に!?」

 ちゃっかり野次馬に扮して、僕の隣に立ち現われた三妖怪も、人間の姿に戻っている。

 そういえば、太子が漏らしたドス黒いモノが、もう消えている!

 君たちも、アレの一部だったんでしょう? なんちゅう早業だ!

 すると――、

「劉哥さん!」

 颯爽と立ち上がり、道服の埃を払う神々廻道士の胸に、紗耶さんが飛びこんだ。

 肩を震わせ、泣きじゃくっている模様。

 神々廻道士は、そんな紗耶さんの細身を抱きしめ、優しく背中をさすり、慰めている。

「大丈夫か、紗耶……怖い思いさせちまったな」

「いいの……もう、いいの! 劉哥さんさえ、無事なら……そばにいてくれるなら」

 泪に濡れた紫紺の瞳、艶やかな朱唇、芳しい白檀の香り、やっぱり美しい人だなぁ……多分、神々廻道士も僕と同じように……いや、僕以上に紗耶さんを愛しく思ったのだろう。

 もう、遠慮はしなかった。ためらうことなく、唇をかさねる。

 紗耶さんも、それを喜んで受け容れる。

 途端に、周囲の野次馬から、またしても大仰な歓声が上がった。

 燕隊長も、百鬼討伐隊の面々も、しぶしぶではあるが、拍手を送っていた。

 だけど同時に、不穏な罵声もとどろいて、愛情を確かめ合う二人の仲に水を差した。

 無論、怒り狂った太子の家臣団である。

「待て、待て! 物乞い道士!」

「このままでは、すまさんぞ!」

「そうだ! 太子の仇討ちだ!」

「この場で斬り捨ててくれる!」

 太子を背にかばい、またしても抜刀し、対決姿勢を見せる家臣四人。

 だが神々廻道士は、まるで相手にせず、紗耶さんの唇を吸い続けている。

 角度を変え、むさぼるように、何度も、何度も……ありゃあ、相当、深いな……。

 いやいやいや、でも! ちょ、ちょっと……今度は今度で、かなり甘すぎません?

 そんな神々廻道士と、紗耶さんに代わって、家臣四人の前へ立ちはだかったのは、三妖怪でも、醸玩でも、百鬼討伐隊でもなく、集まった数多の野次馬……市井しせいの民であった。

おい、てめぇら! 道士さまに感謝もせず、逆恨みするたぁ、どういう料簡だ!」

「折角、助けてくれたのに……恩を仇で返そうなんて、非道ひどすぎるわ! 最低!」

「この御方に手出しする気なら、俺たち市井の民が、黙っちゃいねぇかんなぁ!」

「さっさと、その莫迦連れて、劫初内ごうしょだいへ帰れ! さもねぇと、袋叩きにすんぞ!」

 いきり立つ野次馬連中に、恐れをなしたのか、家臣四人はあとずさり、刀を退いた。

 確かに、御府内ごふないで問題を起こすのは、高家の体面にもかかわるし、百余はいるであろう市井の民を、すべて敵に回すのは、あまりにも無謀と云えた。圧倒的に、分が悪すぎた。

「ぐぬぬっ……仕方ない! とにかく、太子さまを一刻も早く、この場から!」

「そうですな! 早いところ、鬼道術師きどうじゅつしに看て頂かなくては、手遅れになる!」

「おのれ……口惜しいがやむを得ん! 今日は引き上げた方が、賢明だろう!」

「ささ、太子さま! どうぞ私の肩につかまって! 劫初内へ帰りましょう!」

 家臣四人も、引き際を心得たらしく、呆然自失の太子をかかえると、乱暴に馬車へ押しこんだ。そうして、馬に鞭を入れ、脱兎の如く、その場から逃げ去ってしまったのだ。

「ヤレヤレ、逃げ足の速いコトで……とにかく、この件は上へ報告しておこう」

 燕隊長は、薄笑いを浮かべ長嘆息ちょうたんそくだ。

 だが、あらためて神々廻道士と紗耶さんを見ると、小声で確かに、こうつぶやいた。

「今度こそ、幸せになれよ……劉晏、紗耶」

 そうこうする間に、三妖怪と醸玩も、どこかへ姿をくらましていた。

 その間も、二人の接吻は続いている。神々廻道士も、紗耶さんもお、お互いに夢中で周りが目に入らない模様。あの~~やっぱり、かなり、いや、だいぶ甘々しすぎませんか?

 なんだかなぁ……すっかり、毒気を抜かれちゃったよ。

『よくも騙して!』って……怒る気さえ失せました、はい。

 もう、どうぞお好きなように。気のすむまで、イチャついてください。



ー続ー

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