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ヒーロー・ドリームス・ネクスト・ステージ

「樹里ちゃん樹里ちゃん!」
 事務所のドアを開けた途端、待ち構えていたかのようにチョコが駆け寄ってくる。
「どうしたんだよ、冷蔵庫のおやつひとりで食べつくしたのか?」
「今日はひとつで我慢したよ! そうじゃなくて!」
 こっちこっち、と声を潜めて応接間の方へ手招きする。かすかに開いたドアの隙間から、チョコの頭越しに中を覗き込んだ。
「――なるほど。敵の攻撃で、私たちの世界へ飛ばされたと」
「おそらく。ヤツは、ワカレーダーは俺たちを分断して、ひとりずつ始末すると言っていた」
 ジャスティスレッドが夏葉と話し込んでいた。夏葉の両隣に果穂と凛世とがいて、怪しい会話に相槌を打っている。
「え。なんだあれ」
「果穂が連れてきたんだよ。来る途中で見つけたんだって」
「犬や猫じゃないんだぞ……」
 そして果穂が連れてきた手前、すぐに警察に通報することもできず、プロデューサーにメッセージを送ったものの、そちらもまだ返信がないという。
「どーすんだよ。アタシらこの後レッスンだろ」
「やっぱり適当な理由をつけて、お引き取りいただくしかないよね……」
 チョコにしては珍しく同意できる意見だった。しかし。
「あいつらを説得できると思うか……?」
「無理、かなあ……」
 いつかのサンタのプレゼントと状況こそ似ているが、今回は拾ったものが覆面の男性なのがいけないのだ。逆に言えば、覆面を説き伏せることができれば勝機があるということでもある。

「あら、樹里。来ていたなら顔を出せばいいのに」
 玄関口でだらだらと作戦会議をしていたせいか、夏葉たちが応接間から出てきたのに気がつかなかった。
「おはようございます、樹里ちゃん!」
「おはよう、ございます」
「お、おう」
「樹里、こちらジャスティスレッドさん。話すと長くなるのだけれど、どうもお困りらしいわ」
 ついにジャスティスレッドと顔を合わせてしまった。素直に挨拶するのもためらわれて、すぐ横にいるチョコに視線を投げる。
「な、夏葉ちゃん! 私たちこの後レッスンなんだけど、その間はジャスティスレッドさんにどうしていてもらおうか!」
 ナイスチョコ。後でコロッケおごってやる。
「それなのだけれど、レッスン室に来てもらおうと思うの」
「いやいや! それはちょっとまずいんじゃねーの?」
 現状でも女5人のところに、正体不明の男が紛れ込んでいるのだ。遮るもののないレッスン室に連れ込んだら何が起こるか。
「――果穂には悪いけど、アタシはそいつがジャスティスレッドだとは信じてねーからな!」
「キミの言うことはもっともだ。それが自然な反応だろうと、俺も思う」
 覆面の男は聞き覚えのある声でそう言った。
「少なくとも、ここが『俺たちの戦いが、テレビ番組として放送されている世界』だということはわかった。人目を避ける必要があるのは少し厄介だが、なんとしても元の世界に戻らないと」
「そんな、ジャスティスレッド……!」
「ありがとう、世話になった」
 覆面の男は深々と頭を下げると、アタシたちの間を縫うようにして事務所から出て行った。

 その後のレッスンでは果穂がずっと意気消沈していた。果穂にしてみれば、アタシが憧れのヒーローに難癖を付けて、追い払ったように見えただろう。けれどヒーローを騙る不審者に対し、あの対応は間違っていなかったと思う。
「――だいたい、果穂はともかく、夏葉も凛世もどうしてあんなのを信じたんだ?」
 休憩中、沈んでいる果穂をチョコに任せて、アタシはふたりを問い質すことにした。
「実物を見せられたのよ」
「実物?」
「変身のための……小道具や得物など、です……」
「小道具って。最近のおもちゃは凝ってるから、そういうのだったんじゃねーのか?」
 そう言うと、ふたりとも考え込んでしまった。その手のおもちゃは果穂の部屋でいくつも見たことがあるし、少しは見慣れていると思うのだが。
「最近のおもちゃって、何もないところから取り出せるものかしら?」
「さあ……ほら、手品とか?」
「ですが……刃渡り40センチ余りの刀剣は……そうやすやすと、しまっておけるものでは……」
「おい待て、逆によく信用したよな!?」
 不審者が銃刀法に違反していた、という新事実を告げられたところで、事務所が大きく揺れた。
「地震!?」
「皆さん、あれを見てください!」
 果穂が指差した空に、特撮のCGみたいな真っ黒い亀裂ができていた。いや、特撮のCGは肉眼で見えたりはしない。
「マジかよ。あれって――」
「はい。ジャスティスVの敵が現れた証拠です!」
 急に元気を取り戻したらしい果穂が、立ち上がって言う。
「行きましょう、皆さん! ジャスティスレッドを応援しないと!」
「行くって、危ないよ果穂! ここでおとなしくしていよう?」
「でも……!」
「焦りは禁物よ、果穂。まずはニュースを確認しましょう」
 夏葉がようやく真っ当なことを言い出した。
「それから、事務所の他の子たちと、プロデューサーの安否確認も。現場に行くにしても、メッセージを残しておく必要があるわ」
「……わかりました」

 結論から言うと、情報収集には失敗した。テレビもスマホも沈黙。事務所の電話もつながらず、誰にも連絡を取ることができなかったのだ。
 備蓄食料を持ち出しては見たものの、チョコすらそれに手を付けないまま、1時間ほどが過ぎた。
「なあ」
 少し前から気になっていたことを口にしてみる。
「外、変に静かじゃねーか……?」
「どなたも……表を、歩いていらっしゃらないようです」
「……言われてみれば、そうね。車の音も、サイレンも聞こえないわ」
 まるでアタシたちだけが、普通の世界から切り離されたみたいだった。空には黒い亀裂がまだ残っている。
「みんな! テレビが映っ、たけど……」
 特撮番組――ジャスティスVだった。ジャスティスレッドと敵の戦闘員。そして、幹がふた股に分かれてねじれた木のような怪人。チョコがリモコンを操作するが、どの局も同じ番組を流している。
「今の……看板……」
「はい! 見覚えがあります! すぐ近くですよ!」
 怪人の、節のある枝のような爪がジャスティスレッドを捕らえた。火花を散らして吹き飛ばされ、路上を転がるレッド。映り込むペットショップ。「283」。
『貴様が最後のひとりだ、ジャスティスレッド。あきらめるがいい!』
 テレビと外とから同じ声がする。果穂が窓際に走っていった。
『断る! 俺は最後まであきらめない……必ずお前を倒す!』
「頑張れ……頑張れ、ジャスティスレッドー!」
『誰だ!?』
 怪人が見上げた先、窓から身を乗り出した、涙目の果穂をカメラが映す。
『バカな、この世界には我々とジャスティスレッドしかいないはず。ええい、戦闘員ども、あの建物だ! 不安の芽を摘んでこい!』
『させるか! ジャスティス……ボンバー!』
 爆音と熱風とが事務所を震わせる。CG合成ではない本物の炎だった。
「……マジかよ。果穂! 大丈夫か!」
「だ、大丈夫です!」
「窓の近くは危ないよ! こっちおいで!」
 テレビにはアタシたちが映っている。部屋の中にカメラらしいものはない。これは誰が撮っているんだ?
『まだ抗えるだけの力が残っていたとはな。だが、今度こそ貴様たちを根絶やしにしてくれる!』
 怪人がじりじりとジャスティスレッドとの距離を詰めていく。
「ど、どうしましょう……このままだとジャスティスレッドが……!」
「これ、誰かの夢だったりしない? 早く目覚めてー!」
 すぐ横とテレビとから同じ声がする。夢。きっとそうだ。事務所に不審者がいたのも、空に亀裂が走ったのも、電話がつながらないのも、夢だからに違いない。
 でも、どうせならもっと都合のいい夢を見たい。ピンチを跳ねのけて逆転勝利を収める、そんな夢を。
「――そうよ。本当に夢なら、多少の無茶ができるのではなくて?」
「ダメだよ! さすがの夏葉ちゃんでも……!」
 事務所に着信音が鳴り響いた。チョコが慌ててスマホを取り出し、目を見開く。
 テレビに、チョコの右肩辺りから覗き込むような映像が映し出された。通話の発信者名は「園田智代子」。
「で、出た方がいいかな……?」
「ええ、ここはハンズフリー機能を使いましょう。そうすれば、全員で話ができるわ」
 こういう時は本当に頼りになるな、夏葉。

『あー、もしもし。聞こえますか?』
「聞こえるわ。あなたも園田智代子で間違いない?」
 通話の相手は確かに園田智代子だと名乗った。
『手短に言うね。そっちは今、何時?』
「16時44分です!」
 通話先のチョコが語ったことはこうだ。
 17時のチャイム――学校ではなく防災無線で流れるもの――を介して一時的に別世界同士を連結し、アタシたちが今いる世界に「あるもの」を送る。それがあれば、ジャスティスVはこの戦いに勝利できる。
『すぐに準備して! 窓に対するテレビとソファー、テーブルの向きを変えないといけないから! 理由は後で凛世ちゃんに聞いて!』
 17時まで10分となかった。アタシたちは指示に従って、慌てて家具を動かした。
 そして、チャイムがどこからともなく聞こえてきた時、再び爆音が事務所を揺るがした。
『しぶといやつだったが、もう立ち上がれまい』
 倒れ伏したジャスティスレッドを、樹木の怪人が踏みにじった。別の世界とつながった様子は、まだ事務所のどこにもない。
 チャイムが鳴り終わる。夕日が事務所の中に斜めに差し込み、テレビ画面を照らす。
 その液晶を突き破って、何か細長いものが飛び出した。
「なんだあーっ!?」
 テレビから飛び出したものは勢いのまま事務所の窓も突き破り、外へ。とどめの一撃からジャスティスレッドをかばうかのように、路面に突き立った。
「あれは……ジャスティーンファイアソード……!」
 ジャスティスV全ての戦士の、力と心とを合わせることで扱うことができる無敵の大剣。
「いまさらそんなもので、私をどうにかできるとでも? 立っているのもやっとではないか!」
「この剣を振るうのに、力は必要ない。悪を討つ、正義の心があればいい!」
「減らず口を。今度こそ仲間のもとへ送ってやろう!」
 対峙し、駆け出す両者。刃とかぎ爪とが交錯し――

 そこで目が覚めた。
 事務所のソファーでうたた寝してしまったらしい。他には誰もいないようだった。
「……あー、なんかすっごい疲れたな……」
 17時32分。夕日が事務所の中に斜めに差し込んでいる。
 帰って寝直そう。立ち上がりかけたところで、プロデューサーが入ってきた。
「おはよう樹里。帰るところか」
「ああ。プロデューサーは、まだ仕事か?」
「少しだけな。そうだ、今のうちに伝えておこう」
 ビジネスバッグから資料を取り出す。ヒーローショーとのコラボ企画。
「ショッピングモールからの依頼でさ。ほら、ジャスティスVの劇場版が近々公開されるだろう?」
「あー、果穂がはしゃいでたっけ」
「あちらの担当者が放課後クライマックスガールズのファンらしくて。ジャスティスVの主題歌も歌えるように掛け合ってるとか」
「公私混同じゃねーか。悪い大人もいたもんだな」
 ジャスティスVと放課後クライマックスガールズとのコラボレーション。こういうのも正夢というんだろうか。
「これ、他のやつにも教えていいか?」
「まだ話が来ただけだからなあ。ぬか喜びさせるのは悪いと思ってるんだが」
「アタシには悪いと思わないって?」
 そういうわけじゃないが、と言いよどむ。
「……なんてな。わかったよ、今は黙っとく」
「そうしてもらえると助かる。じゃあ、気を付けて帰れよ」

 凛世なら口が堅いから大丈夫だろう、と思って送ったつもりのメッセージが全員に送信されていたことに気づいたのは、寮に着く直前だった。

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