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隠れ里のお医者様 -山神姫の憑き添いなれば 外伝-(2)

 祖母と暮らすようになって二ヶ月あまり。
 僕は大学を中退して、郷里に帰っていた。そして地元で就職したけれど、昨今の事情でテレワークとか在宅勤務とかになり、祖母の家で働いている。

 祖母は相変わらずだらしなくて、僕は仕事しつつも、掃除をしなきゃいけない。
 祖母の常識では、在宅勤務というものは、いわゆる昭和の”内職”で、封筒張りをしたり、人形を作ったり、紙風船を作って大きなダンボール箱に詰める、というイメージなのだ。よってダンボール箱の無い内職は仕事のうちに入らない、という認識。
「またペコペコやんのかい?」
 僕がパソコンのキーを打って業務をしている姿は、祖母からすると”ペコペコやって遊んでる”ようしか見えないのだ。だから、掃除は僕の日課となる。

 掃除だけではない。買い物も僕の仕事だ。
 なぜなら、祖母はこの家がある山から出ると、元のおばあさんの姿に戻ってしまうので、僕が行くしかない。

 正確に言うと、家がある山の頂上に水神姫、山神姫、源有綱の三柱を祀るヤシロがあり、祖母は水神姫に憑依されて肉体の感覚を共有することを条件に、僕と同じ年齢にまで若返ったのだ。

 祖母の今の姿は、黒いロングヘアに二重の綺麗な瞼、黒く大きな瞳、スッキリしたピンク色の唇、色白で細面の美人、という感じ。でもファッションは相変わらずで、割烹着の下に、微生物柄のモンペみたいなズボンを履いている。祖母曰く、ロス疑惑の頃に流行した最新ファッションであるらしい。
「おばあちゃん、その柄ヤバイでしょ……」と言っても、「ナニ言ってんだい。これがナウいんだよ。まぁ、おまえはファッションに疎いからねぇ。それじゃモテないよ」などと、言い返されてしまう。

 話を戻すと、水神姫に常に憑依されているからこそ、祖母は今の姿を保つことができているワケだ。このように、水神姫の神通力の支配下にある状態を、祖母は”憑き添い”と呼んでいる。

 水神姫が祖母と入れ替わる時間は決まりがあって、いつも夜、寝る時間である。また、神通力には距離的な制約もあり、この山域でしか機能しない。よって、祖母が山域から出た途端に元の70歳近い年齢相応の姿になり、水神姫との”憑き添い”も破約となる。そうなれば、祖母は神を裏切ったことになるワケだ。
「おばあちゃん、万が一、まかり間違って山から出ちゃったら、どうなるの?」
 祖母は真剣な表情で、「神様を裏切った報いは怖ろしいとは思うけど、どういうメに遭うんだろうねぇ」と、言った。
「でもさぁ、もし、おばあちゃんが病気になって、病院に行くことになったら……」
 祖母ははぐらかすように、ただ笑っていた。

 祖母は身体は丈夫だけど、定期検診は受けていたらしい。
 電話が無いので、病院からたびたび催促の郵便が着ていたが、若返った祖母はそれを無視。しかし、若返ったとしても、検診は受けたほうがいいので、何か良い案は無いかと考えていたが、山域から出られない。さらに若返った祖母を”祖母”として連れて行くワケにもいかない。よって、ノーアイデアで時が過ぎていた。

 そんなとき、不覚にも、僕のほうがカゼでダウンしてしまったのだ。
 熱がでてしまい、仕事も掃除も出来ないどころか、布団から一歩も出られない。
 そして、僕がウンウン唸っていたとき、サイアクの来客が訪れた。

「おばあちゃん、いますか? 敷島病院から来ました~」
 若い女性の声だ。祖母が病院に返事をしなかったので、何か異変でもあったのかと心配して来てくれたものと、推察できた。
「おや、よく来てくれたねぇ。元気だから心配しないでいいよ」
 祖母は、フツーに答えている。演技して欲しいが、マジメで頑固な祖母にそんな芸当はできない。

(ヤバイっ、ハナシがこじれると厄介だよなぁ……)
 僕は這って布団を抜け出し、やっと襖を開けて居間に入る。次は廊下への襖を開いて……
「あら、おばあちゃんの親戚かどなたか? ええと、ここのおばあちゃんが最近病院にいらっしゃらないもので、様子を見に来たんですけど。奥にいるんですか?」
「だから、あたしゃここにいるじゃ……」
「おっおばあじゃなくて、おねえちゃんっ!」
「コラ! 寝てなきゃダメじゃないかっ」
「あなたは?」
「僕は、祖母の孫です。ちなみに、そこにいるのはおねえちゃん」
「え、お孫さん、お一人だって聞いてましたのに…… そんなことより真っ青じゃありませんか! 診察してもよろしくて? ご安心を。わたし医師です。おねえさん、おじゃましてもよろしいですか?」
「えっええ! 是非孫を診てやってください」
「孫?」
 僕が最後の力を振り絞ってウインクして合図すると、やっと祖母は状況を理解したらしく、「いえ、おっおっ、弟を……」と、ドモリながら答えた。

「39度…… 高いわね。汗もひどい。脱水症状おこしてますね。おねえさん、タオルを水に濡らして。それと、コップにお水を」
「はっハイ!」
 ここに至って祖母は、僕の症状が軽くないことに気が付いたのか、テキパキと女医さんの指示通り動いている。
 女医さんはケースから聴診器を取り出した。
「診させていただきますね。寝たままで結構ですから、パジャマの前を開いてください」
 言うとおりにすると、女医さんは少し怒ったような口調になった。
「シャツが汗でビショビショ…… おねえさんっ! なんで病人を着替えさせないんですかっ!」
「カゼだから、たいしたこと無いと思って…… じいちゃんなんか若い頃、カゼは病気のうちに入らん、なんて言って仕事に出かけとったし……」
「いつの時代ですか! カゼから気管支炎になったり、最悪肺炎になる可能性もあるんですよっ! それに水もあまり飲ませてないし」
「水は身体が冷えるんじゃないかの……」
「水分取らなきゃ血液がまわらなくなって身体が過熱し、熱中症になりますっ! 弟さんの生命に関わりますよっ!」
 もう、女医さんは完全に怒っている。
「せっ生命に……イヤじゃ、絶対にイヤじゃ。先生、孫を助けてっ」
「孫? こんなときにヘンな冗談ヤメてくださいっ!」

 女医さんの怒りに油を注いでしまった祖母は、珍しくシュンとしている。が、僕に笑う余裕は無い。
 女医さんは、僕に向き直ると怒りの表情をやわらげ、患者向きの優しい微笑みを浮かべた。
「さ、弟さんはなんの心配もいりませんよ。今、ツカエナイおねえさんが着替えを持ってきますからね」
 手厳しい。
「さ、シャツ脱いじゃいましょうか。どうしました? お手伝いしましょうか?」
 そう言いながら、僕のシャツの裾をまくり上げようとしている。
「あの、僕、若い女性の前で脱いだことがないので、シャツの上から診察してもらえませんか?」
「シャツの上からだと、診察できませんよ。大丈夫、わたし医者ですから、恥ずかしいなんて思う必要ありません。だから、早く……」
 そしてまた、ググっとシャツをまくり上げる。今の僕より、女医さんの方が腕力がある。
 抵抗むなしく、シャツは顔まで完全にめくり上げられて、胸に冷たい聴診器が当てられた。
(このひと、僕と5つも変わらないよな。ううっ、お医者さんとはいえ、こんな若い女性に、触られるなんて……)
 そう思ったとき、自分の鼓動がドクンと波うつのがわかった。
「あら」
 女医さんは、僕の心臓の直上に聴診器を当てたままにしている。そして、聴診器を持つ人差し指と中指以外の三本の指を、汗ばんだ胸においた。
 もう一度、ドクン。
 そして、僕にしか聞こえないような小声で、「ウソじゃないようね」と囁いた。
「ちゃんと食事と水分を取れば、2、3日で良くなると思います」
 そして僕は、女医さんと姉のフリした祖母が凝視している前で、乾いた衣服に着替えて布団にもぐりこんだ。

女医さんは祖母にいくつか注意点を言い、祖母が幾度もお礼を返す声がうっすらと聞こえてくる。
 僕が水を飲んでいると、祖母が戻って来てお粥を作ってくれた。
「ほれ、おあがり」
 そういって口まで運んでくれる。
「ほれ」
「うん。おいしい」
 祖母はニコリともせず、「ほれ」と、機械的な動作で僕の口にお粥を運ぶ。
 なにを言っても、「ほれ」。

 僕は一旦食べるのをやめ、「おばあちゃんどうしたの? もしかして、カゼ伝染した?」と聞くと、首を横に振り、ポツリと言った。
「おまえ、先生に好かれてよかったねぇ。あたしゃ、安心したよ。こっちは、いくらおまえと同じ年齢の身体にしてもらったとはいえ、中身はババアだからね。おまえと先生の若い者同士のやりとりを見て、少し羨ましくなったよ。でも、孫にいいヒトが出来るのなら、こんな嬉しいことはないさね」
「なに言ってんの。医者として僕に優しくしてるんだよ。患者にキビシイ医者なんてあまりいないだろ。それに、僕はなんとも思ってないし」
「いいんだよ。ウソ言わなくても。それにね、先生、明日も夕方に来てくださるそうだよ。ただのカゼに、先生のほうから二日連続で通うなんて、ないねぇ。だからありがたく思うんだよ。うまくおやり」
「はぁ? なんだよそれ」
 その後は、僕が何を言っても、祖母は僕の頭を撫でるばかり。

「先生からいただいた薬が効いたのかねぇ。ずい分顔色が良くなった。さ、あとは一人で食べられるね」
 そう言って、祖母は台所に入ってゆく。
 台所にいる時間が妙に長いのが気がかりだったが、よく効く薬のせいか、僕は重い瞼に逆らえなかった。

 目覚めたのは深夜。祖母の精神が隠れ、憑き添いの水神姫に入れ替わった状態で、僕の布団に入って来たときだった。
 水神姫はいつになく厳しい表情で、僕を睨んでいる。
「たいしたものじゃの」
 そう言った。
「わしでなくとも、おなごに不自由せんじゃろう」
「あれは、お医者さんで……」いいかけると、「たわけ」と言葉の頭を押さえられた。

「そうじゃ。昼間におぬし、この婆に問うていたな。『神域から出たらどうなるのか』などと。わしが答えてやろう。婆の言う通り、”憑き添い”を破るのは神に対する裏切りじゃ。そして、どうなるかなど、知れておる。”死”じゃよ。しかしの、本人の死だけ、などという甘いものは、怨霊程度のモノがすることじゃ。神の呪いはな、おぬしも昔話くらい聞いたことがあるじゃろ。つまり、家が傾く、関わりを持った人間が皆死ぬ、そして、子孫が絶える。それで神の怒りは収まる。もっと偉い神になると、疫病を流行らせるとか、天変地異を起こすとかあるが、わしのチカラ程度では、子孫の根絶やしぐらいまでじゃな。だがおぬしは特別、命は取らぬ。婆から頼まれたからのう」

 僕は、病気とは違う悪寒に包まれて身震いした。しかし、水神姫は凍るような冷たい視線を投げたまま、「最後かもしれんな」と言って、僕の唇に、真っ赤な唇を重ねる。
 そして、長い時間そのままでいたあと、不意に離れて起き上がり、居間に入るとピシリと襖を閉じた。
 
※※※

 まだ熱があるのか、寒気がする。正規の参道じゃなく、山の巻き道を急いできたから、足も傷だらけだった。
 こんな日なのに、山と街の境界の、鳥居の上にのしかかる、月だけは美しかった。

 忍ぶような足音が近付いてくる。僕はふらつく足に力を込めて鳥居の正面に立った。
「おばあちゃん、どこにいくんだよ」
「おっおまえ…… 身体は大丈夫なのかいっ?」
 その言葉で、水神姫から祖母に戻っていることを確認した僕は、言った。
「僕のことはどうでもいいっ、この鳥居の外は水神姫の神域の外だって、知ってるだろ。水神姫に聞いたよ。神の呪いのこと。おばあちゃん、帰ろう」
 祖母はしょんぼり下を向いて呟いた。
「そうは、いかないよ。おまえにはおまえの幸せがある。あたしゃね、遠からずこの日が来ると思ってたんだよ。おまえに、相応しい嫁が来る……。でも、それまでは、あたしだって、夢を見たかった。おまえと二人、一緒に、短くても、楽しい日々を暮らしたかった…… それで、おまえはあたしの願いに答えてくれた。でもね、やっぱり、おまえにとってまともな暮らしが一番にきまっとる。なぁに、あたしゃもう、充分に生きた。最後に想い出を作ることができて、こんな嬉しいことはない。水神姫様も、おまえは気に入ってるから、殺さんと約束してくださった。だから、もう思い残すことは」
「僕はどうなるんだよっ! おばあちゃんは勝手だよっ! 僕の気持ちはどうなるんだよっ! この場所が好きで、おばあちゃんの料理が好きで、おばあちゃんのだらしないとこが好きで、おばあちゃんの声も、怒りっぽい性格も好きで、おばあちゃんの全部が好きなんだよっ! なのに、おばあちゃんが水神姫に命取られて、幸せなハズないだろっ!」
「でもね、駄目なんだよ。よくお聞き。”憑き添い”というものはね、憑き添いは……」
 祖母の言葉は詰まった。でも、何を言いたいのか、今までの祖母の話をよく聞いていれば、そんなものは明白だ。
「わかってるよ。おばあちゃんはそのままの姿で、半神半人になって生き続ける。山神姫の憑き添いの、源有綱がそうだったように」
「人として生きるおまえが、半神半人のあたしより先に逝ってしまうなんて、あたしゃ耐えられないよ……」

「そのときはさ…… おばあちゃんが僕の”憑き添い”になってよ」と言った後に、僕は続けた。
「おい、水神姫。聞いてんだろ。僕がヤシロで見た源有綱は、山神姫を背負っていたけれど、個々に存在していたぞ。おばあちゃんと水神姫だって同じだろうが。僕をおばあちゃんに盗られると思って、ちゃんと伝えなかったんだろ。いい加減にしてくれ。神の誓約はそんなものなのか。それで子孫根絶やしとか言ってんじゃねえよ。ふざけんな。ウソをついた罰だ。将来、おばあちゃんに、”憑き添い”になる術だかチカラだかを与えろ。そうすれば、僕がお前を愛してやる。ずっとだ」

 僕は強い口調で言った後に、ややトーンを落として続ける。
「それと、おばあちゃんさぁ、夜、水神姫が出てるときは『脳ミソで障子を閉めてその裏側におるから』とか言ってたじゃん。障子に穴あけて覗くから余計なコト考えて一人モンモンとツラくなるんだろ。ちゃんと閉めとくように」

「「気が付いておったか」」そう、声が二重に聞こえたあと、祖母は言った。
「あたしのこと、好き好きって言ってくれたの嬉しいけど、先生のことは、どうするんだい?」
「僕が説明するよ。禁断の愛だって。どうせ、おばあちゃんは神域から出られないんだし、世間体とかカンケー無いでしょ」
「そうだけどねぇ。もう少しやわらかい言い方は無いのかねぇ」
「んじゃ、姉弟同様に育った幼馴染みにしとく? なんかラノベみたいな設定だけど」
「ラノベ? 設定って何いっとんの。でも、それでヨシとしときましょうかね」

 僕はおばあちゃんの肩を抱き寄せて、
「それじゃ、幼馴染みだから、チューぐらいしとく?」
 目を閉じた祖母に、僕はキスをする。ところが、しかし、なんと、返ってきたのはビンタである。
「なっ、なにをするんじゃ! ホッペでしょフツーはっ! 口にするとは、ヘンタイかっ!」祖母は、そう叫んでから不意に落ち着いた表情になり、キスの痕跡をチロと舌なめずりし、
「しょうのない孫だこと。あたしが面倒みなきゃならないねぇ」と、頬を紅潮させながら言った。

 その言葉を聞いて安心したそのとき、張り詰めていた気持ちの糸が切れて、全身に寒気が走ったと思うと、僕の意識は遠のいていった。

 僕は祖母の背中で目が覚めた。家の玄関だ。
 祖母は僕を背負ったまま、土間でサンダルを脱ぐ。

 いつか、山頂のヤシロで、山神姫を背負った源有綱を見て、『祖母と一緒に二人のようになりたい』と思ったことがあるけれど、僕がおぶさっているのでは、逆である。

 土間には、僕が子供の頃に書いた魔法少女のラクガキがある。祖母はもう、それを隠したりせず、「おや、目覚めたかい。おまえは、子供の頃からかわらないねぇ」と、言う。
 僕は祖母の背中で、温もりに包まれながら「これからもよろしくね。僕だけの魔法少女のおばあちゃん」と、呟いた。

 そして、終わった。おばあちゃんの孤独が。

 同時に、始まる。僕と、おばあちゃんと、水神姫の、永遠の恋物語が。


『隠れ里のお医者様 -山神姫の憑き添いなれば 外伝-』   終


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