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Charles Mingus at Musical Planet

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チャールズ・ミンガス(Charles Mingus)

 絵・音座マリカ
 文・泉井小太郎


Better Git It In Your Soul

おまえのことを喋るんだ
と あなたは言う
息をしているんならな
でも ぼくは
喋りたくない
さんざんな目に遭ってきたんだ
足弱のガキの頃から
足弱の老いぼれになるまで
これ以上ぼくが
ぼくであってたまるもんか
そうさ 前を向いて
いつも笑ってきて
こころでも泣かなかった
それがブルースだろ
ぼくのことはどうでもいいが
ぼくのソウルは
ぼくを乗り捨てて
どこかとんでもないところへ
旅してもらいたいものさ
だから あなたの
音楽を聴く
セッションにも参加するんだよ


  ♪


昔、ベース弾きの友人がいた。識り合った頃はベースを弾いていなかった。火事に遭って愛器もレコードもみな灰になってしまったと聞いた。
彼が敬愛していたのがチャールズ・ミンガス。火から逃れた唯一のアルバムが《RIGHT NOW》で、それをプレゼントしてくれて、彼は郷里へ帰った。
オレンジ色のジャケットにベースを抱えて笑みを浮かべながら歩く若々しいミンガスの姿がある。B面全体を〈Meditations〉という長い演奏が占めている。〈For A Pair Of Wire Cutters〉ともある。
ミンガスが亡くなったのにはショックを受けた。来日予定が病気で中止になって、とうとうライヴを聴くことが叶わずに終わった。それでミンガスの曲や言葉からインスピレーションを受けた追悼の長い詩を書いた。タイトルは〈弦想 ──Meditations for Charles Mingus〉。

  弦が一本/ドコカラ、ドコヘ/向かうのか/涙腺ガ一本、性腺が一本/
 めい想し/めい想して、針金をペンチで切る

この詩はよく朗読した。いろんな演奏家とジョイントしたが、ついにベーシストとの機会は生まれなかった。(いわゆるジャズのウッドベースのことで、エレキベースを弾く優れた人には巡りあった。)
友人は誰にも告げずに街を去ったので、一家のその後を知るものはいない。
留守を訪ねて呆然としたぼくの詩も、ミンガス追悼の詩も知らない。


  ♪


これも昔、人手の足りないジャズ喫茶を無償で手伝っていたことがある。同世代の店主はミンガスのワークショップのような場にしたいと考えていた。
ベースが最もよく鳴るような音を欲しがり、床は土だった。タブロイド判の新聞も創刊、「BaoBab Candid」という名にもミンガスへの思いが反映していた。その第一面に版画を載せていた女性が、京都時代のアルバイト仲間だったり、出入りしていたドラマーが後に〈弦想〉の朗読セッションで叩いてくれたり……というのは余談だけれど、不思議な弦のつながりだろうか。

ミンガスが亡くなった時はこの店でリーダー・アルバムをかけ続けた。誰もいない空間にぶ厚いサウンドが響き渡った。一人だけ入ってきた客が「死んだ奴なんてどうだっていいんだよ。いきているものだけがこの世だ」と叫んだが、構わずにいた。そうじゃないよな、〈Goodbye Pork Pie Hat〉という素晴らしい哀悼の曲がミンガスにもある。
ジャズ喫茶はほどなくして消えた。小説も書いていた店主は妻子を残して夭折した。


  ♪


チャールズ・ミンガス(Charles Mingus)1922 - 1979
人種差別や戦争など、人類の根元的な問題をジャズで提示してきた音楽家。
ジャズ・ワークショップを率いて若手を育て、自主レーベルも起こした。
少人数でもオーケストラのような演奏。コミュニケーションを大事にした。

わが愛聴盤(アナログ盤):
○ Pithecanthropus Erectus(Atlantic)
○ Jazz Portraits(United Artists)
○ Blues And Roots(Atlantic)
○ Charles Mingus Presents Charles Mingus(Candid)
○ Money Jungle(Liberty)
○ Mingus Plays Piano(Impulse)
○ Town Hall Concert(Mingus)
○ Right Now (America 30)

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