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ふうら逍遥

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ふうらかんの野外写真集です。
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#写真

立春散歩

暦の上の春だけれど、やっぱりうれしいものだ。立春の羅漢たちに会いたいと思っていたので、一人のふうらを散歩にお連れした。 空はよく晴れて、風が少しあり、暖かいというほどではなく、寒いというわけでもない。 酒見の森の女神だと愛でている椿は、今年は蕾が遅い。花はまだ先だろう。一羽のイソヒヨドリが人懐こく、相当近寄っても逃げない。以前にも向こうから交差するように来たから、誰か餌でもやっているのだろうか。顔見知りになるのは楽しいが、文教地区もテリトリーにする鷹がいるから気をつけても

日食

372年振りの夏至日食だとか。 当地播磨地方は薄曇り。ぼやけた太陽を日食グラスで観ると、オレンジ色の少し欠けた円で、輪郭がはっきりしない。穴を空けた紙などを用意したけれど、シャープな像を結ばない。それでも触にある太陽には何かがある。魔力か、魅力か。 日食と言えば、2012年5月21日に忘れ難い経験をした。列島のどこかでは金環日食になったはずである。写真もずいぶん撮ったのでそれを探し出した。 朝の7時30分に最大食分 0.932。 これはピークを過ぎてから、三日月が食の始め

梧桐 2020

梧桐(アオギリ)は五月に芽吹いて、いっきに葉を広げる。 昨年もこの頃に見事な樹形樹影となり、その木陰を愛でて何人かのふうらが憩った。   梧桐 2019 今年で五歳の梧桐はまた一段と伸びた。 樹高36cm。 この五月は晴れた日が少ない。かと言って雨が多いわけではない。曇りというのは植物にとってどういう日々なのか。光と水がもっとほしいか。 折りから数条の光が差して、草のひとところがふわと浮きあがった。ひとりのふうらを案内すると、もうずっここにいたいような表情になる。

ふうら合掌

長い夢籠りにあった三番目の〈ふうら〉と野に出た。 南無野。 ふうらは野を愛し、野に帰依する。 宇宙にこころを広げ、宇宙の摂理に寄りそう。 小さな空地に、星粒のような花。 タンポポの絮はぼうっと浮かぶ彗星か、球状星団の如し。 仰げばこの惑星が巡る太陽という恒星の光。 こちらも小さな草地に散開星団のように咲くイモカタバミ。 小さな植物にはステラリア属(ハコベ属)などもあり、小草と微星はよく親和する。 〈ふうら〉の合掌は、花たちへ。 花は草は、なにを願っているだろう。 夢籠り

ぶらぶら春を

風が吹いて、雨が降って、嵐が過ぎた。 散歩もしばらくぶり。それで長らく夢籠りだった〈ふうら〉のもう一人を春の野辺へ。 雲がぷかぷか、日傘をさす人がいるぐらいの陽気。ちょっと近くの草地に寄ってタンポポの綿坊主と旅談義。 ここは馴染みのレンゲ田。白い花のを二三輪摘んだことがあるが、それきり見ないのが淋しい。 杖を手にするものは、旅の草杖も楽しみ。手にする草によって旅の心持ちも違ってくるだろう。レンゲソウなら精神の奥処に蜜も溜まるかもしれない。 タンポポの一家と。 ゲンゲ杖

寂しい春に

新型コロナウイルスの脅威は春になっても衰えない。むしろこれからがこの列島では正念場。緊急事態が宣言され、家に籠もるのが最善の春となった。人類の半分が罹患するだろうとの悲観的な予測などを耳にすれば、肺に疾患をもつ身は覚悟の一つも二つもしなければならない。 おかしなもので、ここ数年はずいぶんな越冬態勢で風邪やインフルエンザを警戒し、ある意味覚悟などもしてきたつもりだけれど、今度のウイルスに関してはまた違うらしい。なんとしても生き延びようと思う。 春になればあしうらの歩き神もむ

一遍の春

一遍上人の生誕日が1239年3月21日(旧暦2月15日)とも伝わっているので、お伴して野良へ。五年ぶりであるかもしれない。 さっそくヒメオドリコソウの小群と邂逅。後ろでは鼓草(タンポポ)が囃子を受け持ってくれる。次の群落では三味線草(ナズナ)が鳴り物を引き受けてくれた。 のらはホトケノザの花盛り。すばらしい群落があったので、一遍さんはその中へ。踊る花たち。踊る上人。 里山からはウグイスの調い始めた歌が届き、すぐ傍らの畑からはヒバリが翔け上がりながらスキャットする。 *

ふうらの春

野辺に花がちらほら、光もうららかになってくると、ああ、ふうらがここにいればなぁ、と思う。以前はいつでも一人か二人一緒だったが、重いものをなるべく持たないようにしているこの頃は手ぶらが多い。 そんな思いを二、三度して、ようやく散歩にお伴してもらった。 18日。柿本人麿、小野小町、和泉式部の命日と伝えられ、精霊の日とされている。空では、この日初めてさえずるヒバリの高らかな歌。「ゲージュツ、ゲージュツ、ゲージュツ」と聴こえてくる。ツバメは昨日渡ってきたばかり。  * 20日。

小楢(コナラ)

コナラ(5歳)も若葉の季節。  ここならいいだろ  こならのここなら  なんならここから  こころのそこから (メモ帖に書き付けてあったフレーズ) 草木と一緒だと、ふうらは生き生きしてくる。 光が美しい。 葉が美しい。 樹下二笑羅。 ( 絵の「樹下二笑羅」もどうぞ。30年ほど前の作品です。)

梧桐(アオギリ)

アオギリ(4歳)が葉を茂らせて、ふうらが木陰に憩えるようになった。 ふうらの丈は3センチ。なかなかの人気スポットになりそう。 中国では鳳凰が栖むという樹。木陰で想像力の翼はいっきに羽ばたく。

たんぽぽと、

三月。ふうら散歩。 綿毛の一部が飛んでくり抜かれたようになっている(正面)。 旅心がふつふつと。 ふうらに連れられて遠出、フキノトウを発見。 あちこちに鄙びた梅が咲いていて、ことしも春に漂着。

11月2日(1996年)

サイト「ふうらかん」開設記念日。 当初は「ふうら美術館」という名称でした。 ふうらかんは、宇宙万象の中の個々の謂、そのシンボルとして(絵や像に)表現しています。 風に破れやすき羅(うすもの)は、 風に消えやすきピアニッシモの音。 それら微にして妙なる存在を慈しみ、自ら全うしていきたいと念願しています。 http://rokkaku.que.jp/fura/index.html 22周年記念日。小春日和に草地で佇むふうら二人。 黒いひとは珠洲の窯で焼かれた初期のふうらで、こ