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琳派 1

日本の琳派と言えば17世紀初頭に現れた装飾美術のひとつで、今日までその美術価値が賞され技法そのものの影響が現代日本の社会まで及んでいるものです。

その発生的歴史は、本阿弥光悦(1558-1637)および俵屋宗達(1600-1640年に活躍)という二人の天才が京都で始めた創作活動に端を発している。

「琳派(りんぱ)」の名称は、19世紀末に造られた言葉で、「(光)琳派」を意味し、絵師である尾形光琳(1658-1716)の画技を範とし、その様式を見事さに彼の名を付つけたものです。

「光悦派」とか「宗達光琳派」とも言われ、現在では「琳派」という名称が最も一般的です。

伝統的日本画と異なる点は、琳派の絵師たちの師弟関係ではなく、精神的および芸術的美的感性が親和力となって繋がり結びつく集団である。

17世紀から20世紀にかけて、主題や画風の影響を強く受けた絵師たちは、それを独自の手法で発展させていったのです。

宗達の代表作のひとつである《風神雷神図屏風》を例にとると、丹念に描かれた図像が光琳と酒井抱一(1761-1828)により模写されています。

ただし、それはただの模写ではなく、3双の屏風をつぶさに観察すると、さまざまな違いが見て取れます。

同じ主題および同じ技法を踏襲しているのは、盗用ではなく、オマージュというべき芸術 や 文学 において、尊敬する作家や作品に影響を受け、似た作品を創作することであるという点に注意する必要があります。

もうひとつ象徴的な例を挙げると、琳派様式の普及に努めた先人に範をとる中村芳中(1819年没)は、ユーモラスで洗練された光琳の意匠を版画に仕立て直すと、1802年に2冊の画譜を世に出します。

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