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一元論二元論

唯一の実在に基づいて説明しようとする立場を一元論。
神と物質などの相互に還元し得ない二つの異なった原理を立てる立場を二元論。

「有るもの」「一者」を存在の根柢に置く一元論は、プラトンにおける現象界とイデア界の二世界説やアリストテレスの質料と形相の二元論的内容とは違うのであろう。

キリスト教はあるものすべてを創造したとする点では一元論です。超越神(すべての創造者、唯一の絶対神)と世界を区別する点で二元論なのだろう。

近世ではデカルトが、思惟を属性とする実体としての精神と延長(物体は長さ,広さ,深さに広がっているものとみることができるが,物体のこのような空間上の広がりを延長という。デカルトの二元論において,物体は精神とともに実体であり,延長は物体の本性とされる)は、スピノザにおいても物体の本性として延長はとらえられ,これを属性とする実体としての物体を峻別する二元論を打ち立てたが、スピノザは思惟の延長を唯一絶対である神(自然)の属性とみなすことによってデデカルトの物心二元論克服しようとした。

現象界と英知界を区別したカントの二元論に対して、自然と精神を統一する「同一性」を唱えたシェリング、世界を絶対精神の自己展開とみる弁証法的体系を築いたヘーゲルの哲学は一元論とみなされます。

アジアでは、インドの一元論は梵我一如に伺い知れますが、ブラフマンなどの唯一の実体を認めない仏教も、大乗の唯識や如来蔵思想において一元論的傾向を示すこととなる。

中国における一元論は「万物斉同」を唱える老荘思想にみられ、陽と陰の対立原理を立てる『周易』に二元論の典型がある。

二元論は対立の統一的根源を求めて一元論を要請するが、一元論は現実的差異への展開を説明すべく二元論に変容する傾向があるといわれる。

いろいろな判断を下す時、考えさせられるのが一元論二元論の判断である。
例えれば、善・悪の問題である。これは、一つの判断基準の両極であってこれをもって二元論と言えないのだろう。真理に目覚めた人を仏としたら我々煩悩の人は対極の人であるが両者は平等であり対立ではない。
 

一つの原理だけで一切を説明しようとし、物質・精神またはそのどちらでもない第三の実体によって世界を一元的に説明する哲学上立場を一元論とすれば、二元論は、二つの根本原理をもって説明する考え方であり、神と物質を二実在とするデカルトの物心二元論は代表的な二元論となる。

 「善か悪」かは簡単な問題ではない。

 この世を、一人の正義の神がつくったとすると、正義が世界中にあふれていることになります。悪い人間はいない理屈になります。

 清貧にいきれば、誰もが幸福になれるはずです。それなのになぜ、人生には苦しみがあるのか。神がいるのなら救ってくれてもいいじゃないか。そう考えて悩むことになります。キリスト教の普及期日本人が抱いた疑問です。

善悪二元論は現世で生きる苦しみと来世との関係を、時間軸を挿入することでわかりやすく説明できるとはいえ,治療の可能性のない末期患者の安楽死、自己保身にも見える緊急避難的な行動の善悪等単純とは言えない問題を孕んでいます。

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