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小泉八雲の生涯ー7

松江時代とその著作
小泉八雲の『知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan Vol. 1 & 2, 1894)』は、小泉八雲の文学活動の大きな柱であるルポタージュ・紀行文の最高傑作と言われています。

タイトルの“Glimpses”という言葉は、来日第一作目でまだこの国を「ちらっと見た、瞥見した」という意味でハーンの多少の自信のなさと来日まもない外国人の謙虚さが込められている。一方で“Unfamiliar”には、まだ西洋人には理解者が少ない日本文化をさし、日本文化の未知の部分である古代出雲文化が継承されている「知られざる民衆の精神生活」を描出したい、描き出したという希望と自信が緊張感とともに明らかになっている。

この本には、1年3か月の松江滞在中の観察・取材した結果が書かれ、山陰各地への小旅行や、1895年に熊本から隠岐を訪ねた時の紀行文などが収録されています。

初版だけで26刷まで達するベストセラーとなったそうで「山陰地方を直接見たことのない人たちに松江や出雲の地方都市をこれほど認知させた本はないだろうと評価された。それは、この本が持つ文学作品性と旅行ガイドブックとしての「両面性」を物語っているからなのだ。

神道の故郷山陰にて

神戸までは鉄道の旅。そこから人力車で4日かけ山越えの道を松江へと向かった。この日本の山陰地方の滞在で重要なことは教義も聖典も道徳規範もなにもなく凡そ宗教に値しないと当時の知日派のジャパノロジスト達が、神道を批判したのに対しハーンが次のように反論したことである。

「日本の神道を悪く言う者は、私が日本人と同様に母の国ギリシャや妖精の国ケルト(アイルランド)の心を持ち自然事象の中に人を超えた神性を見出す感性を持つことに困惑する人である。

エセ文明人として神道やそれを称賛する私個人を認めたくないのです・・・朝霧の杜の木立の中、幾筋の光りの差し込む風景の崇高さや高山の雲海を染め上げる茜の風景に我々日本人は神性を認める。

それが天照大神と呼ばれる太陽神であってもなくても、理屈を越えた崇高さに頭を垂れるのです。光りの中に、風の中に、想像を絶する大岩の中に、こんこんと湧く清水の中に人の命をつなぐ何かある基本のようなもの感じ取る感性こそ最も自然で根本的な宗教心の発露である。

更に彼は言う。「神道には、哲学も、体系的な論理も、抽象的な教理もない。そのまさしく『ない』ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できたのだ。

神道は西洋の近代科学を喜んで迎え入れる一方で、西洋の宗教にたいしては頑強に抵抗する。これに戦いを挑んだ外人宗教家たちは、自分らの必死の努力が、空気のような謎めいた力によって、いつしか雲散霧消させられるのを見て茫然とする。

それもそのはず西洋の最も優れた学者でさえ、神道が何であるか解き明かした者は一人もいないのだ。

それは神道の源泉を書物にのみ求めるためだ。現実の神道は書物の中にあるのではない。儀式や戒律の中でもない。あくまでも国民の心の裡(うち)に息づいているので、その国民の信仰心の最も純粋な発露である古風な迷信、素朴な神話、不思議な呪術―これら地表に現れ出た果実の遥か下で民族の魂の命根は生き生きと脈打っている。

この民族の本能や活力や直観はここに由来しているので、神道が何であるか知りたい者はよろしくその地下に隠れた魂へと踏み分け入らねばならない。」


「日本人の魂は自然と人生を楽しく愛するという点でだれの目にも明らかなほど古代ギリシャ人の精神に似通っている。この不思議な東洋の魂の一端を私はいつしか理解できる日がきっと来ると信じている。

そしてその時こそ古くは神の道と呼ばれたこの古代信仰の今なお生きる巨大な力についてもう一度語りたいと思う」

ハーンは母の国ギリシャや父の国アイルランドケルトの民族の地下に流れる隠れた魂の奥底でつながる精神構造が日本の心でもあることを直感した。

だからこそ外国人で初めて出雲神社への昇殿を許されたのだ。

仏と神と精霊の国日本で生涯を終えたハーンはこの時点でまぎれもない日本人となっていたのだろう。

この後ハーンは熊本神戸東京焼津へとその精神が漂泊するがごとく人生の旅を続ける。松江では小泉せつと結婚し姓は夫人の小泉とし名前は古歌からとられた八雲とした。以降小泉の籍に入り小泉八雲と名乗るようになった。

ハーンは松江の松江大橋のふもとの旅館に3か月ほど宿をとった。朝食はきまって牛乳と卵、昼食と夕食は和食を取ったそうです。

好き嫌いはほとんどなくて、日本酒にも好きでした。部屋は2階の和室。散歩好きの彼は近所の散歩によく出かけたといいます。

日本語の分からないハーンは周囲の物音に注意をむけます。その著書の中にはこんなことも書かれていました。

先ほどの松江大橋は当時木橋でした。ハーンの耳は、
「橋の上には、下駄の音が引きも切らず、しだいに音高くひびきはじめる。大橋の上をわたるこの下駄の音は、忘れられない音だ。・・・ちょこちょこと足早で、ほがらかで、音楽的で、なにか大がかりな舞踏に似ているところがある」
ハーンにとって、木の橋を渡る人のカランコロンという下駄の音は、音楽そのものに聞こえたのでしょう。

私が注目をする松江を主題にした話に「水飴を買う女」があります。

『飴を買う女』の舞台となった松江にある大雄寺の墓地。「水飴を売っているお店に、毎晩器を持って水飴を買いに来る青白い顔の女がおりました。毎晩毎晩やってくるので、何か事情があるのかと聞いても答えません。

ある日女の帰りをそっとつけてみると、女が水飴を大事そうにかかえて、大雄寺に入っていくのが見えました‥‥」

女の姿はある墓地の前で消えてしまいます。かわりに、遠くから赤ちゃんの泣き声が。驚いて墓を掘ってみると、水飴の入った器の横に、女の亡骸と赤ちゃんがいたというのです。

愛する我が子のために死んでもなお幽霊になって子どもを育てようとしたこの愛情深い物語を聞くと、「怖い」というよりも「哀しい」という思いがこみ上げてきます。

ハーンはこの物語を特に好んでいたと言われ、『怪談』で「母の愛は死よりも強い」とこの物語が結ばれていることは、幼いころに母親と引き裂かれたハーンの母性への憧れが垣間見えるようです。

松江時代には逸話が多く書ききれません。よって次の赴任地熊本編に移ろうと思います。これ以降、日本国籍を得たことから(一説にはイギリスとの二重国籍説もあります)再び小泉八雲または八雲と表記します。


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