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秘すれば花

『散る桜残る桜も散る桜』この言葉は、良寛の作ともいわれる。満開に咲き誇っている桜の中に、やがて散りゆく定めをみる。その生と死の対比を情景の中に感じ取ることにより、よりいっそう生命の輝きを感じることが出来るという詩です。
 大方は前記の趣旨と捉えるが私は少し違う解釈をする。桜の花を美しいと感ずるのは、定めに従い、何のてらいもなく散る潔さぎよさ。そこに、人は滅びの美をみるからです。散っても、散っても花吹雪が際限なく続くのは、散り残る花があるからです。散る際限にとどまる花を「名残り花」といいます。散り桜に注目すれば留まる桜に目はいきません。能楽の大成者世阿弥は、裏方に徹するこの花を「秘すれば花」といいました。目の前の美しさだけを楽しむのではなく、秘するものを想像することで感動に深みが加わるというのです。能表現ではこれを幽玄といいます。全てのものを曝け出すのではなく、さりげなく見せる、ちらっと見せることで、観客の想像力を誘い出すのです。この隠されたもの秘する花は、世阿弥の能を語る上で避けられないものであり日本美の神髄となる。この幽玄を『枕草子』や西行の歌を参照しながら少し掘り下げてみましょう。
 ―秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音などはた言ふべきにあらず。―枕草子のこの段に「あわれ」と「をかし」が出てきます。「をかし」は面白いよりも、情趣があるとか趣があると訳します。次には「あわれ」です。あはれは、しみじみとした趣があると訳します。現代ではあわれといえばかわいそうの意味ですが古のあわれにも、かわいそうの意味もありますが、しみじみとした趣という意味がほとんどです。「をかし」も趣があるという訳なので似ていますが、「あはれ」の「しみじみとした趣」というのは、心が強く揺さぶられたとき、心が激しく動くさまを言っているのです。歴史的には、あはれをかし(もののあはれ)→無常(幽玄)→わび・さび→いきといった流れの中で使われていったのでしょう。
『心なき身にもあはれはしられけり鴫立沢(しぎたつさわ)の秋の夕暮れ』西行。                            
西行は中宮璋子に仕えた北面の武士で23歳の時かなわぬ恋の相手、璋子を諦め突如出家した。時は乱世、平安時代末期から源氏と平家の激しい戦乱の後、鎌倉時代へ移り行く時代でした。世俗心を捨て、この世に在ることの意味を求めて生きようとした彼は、僧として歌人としても不世出の天才でした。陸奥への旅、静かな沢にさしかかった夕暮れ時、突如静けさを破って鴫が飛び立った。その羽振き鳴く声を残して。まだ明るさの残る空に飛び去っていく鴫(しぎ)。その瞬間、心に湧き起るいいようのない感情はありのままの風景に接した感動であり今まで体験したこともない「あはれ」に触れてのものでした。この世の喜びも哀しみも自分の胸に抱きとり、何が起ころうがすべてを受け入れる無為の心との出会いであったのです。西行自身の出世間への本懐とはこの事でありました。
 「鴫立つ沢」の自然そのものがもつ、あはれ(感動)がひき起こした秋の夕暮れの出来事を、藤原俊成は「心幽玄に姿および難し」と評しました。歌の心は幽玄で、優れた境地となっているとしたのです。国風文化の平安から中国直輸入の禅仏教が台頭し始めたのが鎌倉室町です。禅は自己究明が本旨ですがそのマインドには深く幽玄が含まれています。西行自身僧侶ですから、そのあたりの消息はよく理解していたはずです。歌の姿形はともかくも、この世の真の姿を求め、存在することの意味を追い求めた西行ならではの歌と俊成は考えたのでしょう。

 日本人の美意識の根底には、詫び、さび、幽玄、数寄があるといわれる。この概念は、中世以降完成されたものと言われるが、突然その様にかわったということでなく、平安時代にも当然あったことである。「うつくしい」とひらがなで呼ばれるこの日本語は親しい人や小さいもの、可憐なものに対する愛情表現であったが、やがて、美的性質一般を指すようになった。日本人の美意識は、当初自分より小さいもの、弱いもの、保護してやらなければならないものに対して向けられていた。枕草子にもその様な日常の細々とした出来事や蛍など小さいものへの愛情が描かれてはいるが、詫び、さび、幽玄という美意識表現が、未だ不十分と感じられる。それは、この時代の文化が、中世ほど円熟していなかったとみるべきであろう。中世に入ると、盛んになった禅文化の影響もあり、詫び、さび、幽玄、不規則性などの美意識が、確立してくる。それらは、「暗示または余情」「いびつさ、ないし不規則性」、「簡潔」、それに「ほろびやすさ」を表現するが、大きくはあいまいさの表現である。
 その中でも、幽玄という言葉は、日常的に余り馴染のない言葉であるが、奥の深い含蓄のあるもので、余情を楽しむ芸術的「美」の概念である。
 今、能か狂言を見ているとしよう。これらの鑑賞では、眼の前にある姿・形の美しさだけを楽しむのではなく、そこに隠された姿の意味や美しさを想像することが肝要である。そのことによって感動に深みを与えることができるからである。
 世阿弥の記した『風姿花伝』に―秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり―とある。すなわち「幽玄」という隠されたもの、秘するものがあってこそ美は、生み出されるといっている。
 秘するもの、すなわち「不明確、不明瞭」なものが重要な 「美」のファクターとして存在し、これが「あいまい」という「美」の概念となり幽玄となるのです。
 観阿弥・世阿弥親子は室町時代初期に活躍した能役者である。「秘すれば花」この言葉は特に有名で、世阿弥は「花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり」と書いている。観客を面白がらせ、魅了すること、つまり「秘すれば花」とは、「隠して秘密にするからこそ、観客を感動させられる」ということで、チラッと見せて、想像させることが思いもよらない感動を呼び起こすものとした。観客が面白がり、素晴らしいものを観たと感じる工夫を「花」となづけたのだった。この秘してこそ価値の奥義「花伝書」は師から弟子へ、親から子へ、子から孫へ密やかな門外不出の相伝となり、また、その事により世代間の継承が、確実に行われ得たのが、日本の芸能であった。

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