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人生に役立つ哲学・その三

人生において重大なのは生きることであって、生きた結果ではないとゲーテはいいます。
ソクラテスは、死刑判決に対し「死とは人間にとって福の最上なるものかもしれない。しかし、それを知っている人はいない」といった。
さらには、「神に背くことや不正は恐れるが、良いことか悪いことかわからないは恐れない」とも言っている。
ソクラテスは「人間はどう生きるべきか」について深く考えた始めた最初の人と言われています。

具体性にかけるのでこの道徳性に関しカントの例に倣ってみよう。
「道徳性」とは、品性に関わることで、いかにして自分自身を律するかという問題です。

カントは,この道徳性が最も重要だと考えていました。
 では,道徳とはどのように解釈されるものなのでしょうか。

カントによれば,道徳律は「定言命法」でなければならないという。

「定言命法」とは、いかなる仮定や前提もない無条件な命令形式をとる命令です。
対し、「もし~ならば、~せよ」という命令は,「仮言命法」と呼ばれます。
「他人に愛されたいのなら、他人を愛せ」という考え方です。他人を愛することは道徳的行為ですが、自分が愛されたいからそうしているともいえます。
この「仮言命法」にもとづく行為は,つまるところ自分の利益を優先する行為であり、真の道徳的行為とはなり得ないというのがカントの考え方です。

「仮言命法」による道徳律のもとでは,道徳的であることは目的ではないのです。
カントが目指すのは,「定言命法」により自己を律する人間です。道徳的であること、それ自体を目的できる人間です。
 しかし、この問題は言うほど簡単ではありません。

道徳性を育てるにあたって,カントも問答を重視するのですが、「定言命法」により自己を律する厳格な人との問答は、およそ対話的とはいえないのです。

 では,どのように道徳性を身に付けさせるかということになります。
「嘘はつかない」ということで取り上げてみます。
これが目的なのではなく、噓をつかないことで「裏切られたくない」ことが最終目的であれば、その裏切られたくないことが命令そのものへの隠れた動機となっているのが問題だ、とカントは指摘します。裏切られたくないから私は嘘はつかないと同じです。
これを一般にはエゴイズムと言っています。

カントはこういった問題から、仮言命法を否定します。動機や条件による教育はまれにしか効果を及ぼさないと指摘します。
さらには動機や条件による教育が悪につながり、打算的な人間しか生み出さなかったり、エゴイズムを生み出したりします。これが動機付け教育に潜むパラドックスです。

対して動機を一切要求しない定言命法こそ、即効性はないがそれだけかえって末長く多くの人の心に残る、とカントはします。
カント は、 理性 によって導き出される普遍的な究極の道徳規則というものの存在を提起し、それに無条件に従うことが倫理の達成であると提唱した。


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