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オランダおイネ その3

イネは混血であり差別も受けてきた身のため、結婚し子どもを産む人生を諦め、医師として強く生きていくことを決意したことはその2で述べました。
しかし、イネの師であった石井宗謙による強姦で身ごもりましたが、出産を選択します。
1852年に生まれたこの子こそが、シーボルトの孫であり、イネの娘である、楠本高子です。

今で言うシングルマザーとしてイネは日本人初の産科医師として必死に働き当時命をなくすことも多かった産婦の命を救ったきたのです。

高子の教育を母親お滝さんに預けました。13歳になるまでお滝さんのもとで育った高子は、お琴や三味線などの芸事に打ち込み、医学の道を志して欲しかったイネを落胆させました。

高子は1866年に、シーボルト門下の医者で、恩人二宮敬作の甥にあたる三瀬諸淵(みせ もろぶち)と結婚しますが、夫に先立たれてしまうのです。そんなことから二宮や母親と同じ産科医になることを決意します。

しかし、その修行の途中、高子は母イネと同じように、先生である医師・片桐重明に船中で強姦され男児を産む事態となり、親子2代にわたって悲劇に見舞われ医業の道を断念するのです。
明治という時代の男の節操の無さが残念である。
当時医学を志す女性がいかに男性優位の医学界で自立を果たすことの困難さが伺えるのだ。

失意の高子であったが、その後、かねてより高子に求婚していた医師・山脇泰助と再婚した。山脇との間に一男二女を授かるが、結婚7年目に山脇は病死した。

このことが大きなショックとなり、医師への道を益々断念した高子。
のちに再婚を果たしますが、またも夫に先立たれ、以後はイネとともに暮らします。そのときに高子の生計を支えたのは、医学ではなく幼少時に熱心だった芸事でした。
その後叔父であり、日本人の妻を娶って東京にいた母おイネの異母弟ハインリッヒ・シーボルトの世話で子供を連れ上京し、母親イネとも同居して平穏に暮らした。

1938年86歳でその生涯を閉じています。

混血児としての美貌に生まれたために好色な男の餌食となり、母子共に望まぬ子を産み育てたイネと高子は男社会の差別と横暴の中懸命に生きて職業婦人の先駆けとなったことを忘れてはならないだろう。
医者への道を閉ざした高子の運命の子も医師となり高子に代わり医学の進歩に寄与しているのは幸いであった。

尚宇和島出身の漫画家松本零士は宇和島縁の高子の写真を見て「これこそ私が夢見てきた理想の女性だ」といって銀河鉄道999のメーテルのモデルにした逸話をのこしている。
そして、二人の女性の人生を変えた悪徳医師二人は当時犯罪に問われなかったものの、今もこうして後世の歴史の中で実名を公表され末代までも恥をさらしている。悪いことは出来ないのだ。

終わり


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