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いっぱしの〇〇を気取る

「あいついっぱしに〇〇を気取ってやがるぜ」

よく聞かれるこの言葉。
いや、よくは聞かないか、実際、直接言われたこともないし
だいぶイメージだ。

そういえばブルーハーツもイメージが大事だと言っていた(おそらく意味は違うが、、)
ちなみに僕はブルーハーツもクロマニヨンズも好きだが
ハイロウズ が一番アガる(特に夏はな)

おっと、脱線。

すぐ脱線する。
これは僕の悪い癖。

話を戻す。
「あいついっぱしに〇〇を気取ってやがるぜ」
そう、この言葉だが
多くは諸先輩方が未熟者に対して揶揄する時に使うことが一般的だ。

特に腕もないくせに
たいして経験もないくせに
はたまた、ガキのくせに etc......

これらの意見は概ね正しい。
若い頃は納得できかねるかもしれないが実際歳を取ると確かにそんなもんだなとも思わなくもない。

やはり若いというのは未熟なのだ。
これは僕の主観というより
事実としてだ。

もちろん、未熟さというのも魅力のひとつだ。
あの不完全さはテクニカルなもので代用はできない。
むしろ経験という蓄積によって失われていくひとときの輝きだ。

そしてここからの話も事実だ。

何かを気取ることに対しての事実。

思い出してほしい。

僕たちは基本スタートは何かを気取って、何々ぶっていたはずなのだ。

ちなみに赤子の頃の理由のわからない初動みたいなことは横に置いておく。
あくまでも物心ついてからの話だ。

ぼくたちは「初めまして」がなければ何も始められない。

初めは両親。
そして友達や先輩。
彼らの身振り手振り、あるいは知識を吸収して
真似をすることから僕らはスタートする。

僕自身もそうだ。

子供の頃はテレビや漫画に出てくる
ヒーローに憧れた。
そしてその対象がいつしかドラマに出てくる俳優やあるいはカッコいい先輩、
ギターで全てを語るロックンローラーや
生と死を行き来する
刹那な詩人に自分を重ね合わせる。

事実、いつかはかめはめ波が出せると思っていたし
大人になったら木村拓哉のような顔になると思っていたし
多くのロックアーティストがそうであったように
27歳で夭逝すると勘違いし
中原中也のような詩が書けると思っていた。

自分がそうではないということに気がつくには
それなりに時間を要する。

とまぁ、ざざっと一気にきたがこれは男だというところも大きい。

男は実に間抜けな生き物だ

ここはひとついい機会なので代表して謝ります。
女性の皆々様ごめんなさい。

そして男の中でも間抜けな方の部類に属する僕はいつまで経っても
何々ぶって生きている。

何者でもないからまずは何々ぶって
それをどうにか形にしていくところから
全ては始まっている。

ろくろ舎もそうだ。

職人ぶり、デザイナーぶり
プロデューサーぶり、ライターぶり
カメラマンぶり
そうやってこれまでやってきた。

基本的には何かをどこかでしっかり学びましたというほどの
アカデミックな経験はない。

素人に毛が生えた程度でスタートしていることがほとんどだ。

今だってそうやって四苦八苦やっている。

ただ、子供の時と違い
何々ぶったことに対して大人には責任が伴う。

最後には納得してもらわなければいけない。
目の前には自分の妄想ではなく現実のお客さんが立っているからだ。

当然そこには辻褄を合わせる努力が必要になってくる。
継続するための精神力ももちろん必要不可欠だ。

そのために時には手に負えないことや経験のないことも
しなっと「できますよ、もちろん」と答えつつ
内心焦りながら水面の下の僕の水掻きは攣りながらばたばたしている。

これを何度も何度も繰り返す。

とにかく何度もだ。

時には期待に応えれないこともないわけではないが
よっぽどのことが無い限りできませんとは言わない。

それが僕の血となり肉となり骨となる。

そうこうしているうちに多少の負荷くらいは耐えれる筋力が付き、走りきる持久力がつく。

今までもそうだった。
きっとこれからもずっとそうだろう。
僕は相変わらずだ。

明日も僕は何かを気取って生きていく。

2020 9/17  酒井義夫


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