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美しいものを作る人

「あの人は人間としてはクズだけど作る物は素晴らしい。」

古今東西こう揶揄される一方で
畏敬の念を持たれる天才たちが一定数いる。

彼ら彼女らの人生は濃く激しく
多くはその激烈な人生がために短い生涯となることも少なくない。

僕は当然だが彼らとは違う。

共通点はクズというところくらいだろう。
残念ながら天才とは程遠い。

急に話は横に逸れるが
僕の作ったものを誰かが手に入れる場合
どれくらいその意識に余計な情報が入るのだろう。

僕という人間が好きだから、あるいはブランド名に惹かれて買うのか。

それとも物そのものが純粋に綺麗だから買おうと思うのか。

この二つの意識の差は大きいように思う。

何割くらい僕という不純なものが混ざってるんだろうか?

不純というと語弊があるかもしれない。

僕というものを長年かけて積み上げてきた頂点に
その物があるわけで
僕そのものも物と同化している。

そう考えると僕を除いて考えるのは難しいかもしれない。

それに時代は何を買うかよりも誰から買うかだ。
僕が作り売ることでこれまで漆器に触れてこなかった層が
手にとってくれてることもままあるだろう。
頭ではわかってる。

でも、やはり僕は形を作る人だ。
形を一番に褒められたい。

純粋に見てシンプルに綺麗だと思われたい。

人柄で押したいわけじゃない。
僕のことなんて物を見てる瞬間は忘れてほしい。

わがままかもしれない。
勝手かもしれない。

でもやっぱりそこはどうしても考えてしまう。

可能であれば僕という存在を消せないものかと思う。

無名でいい。

誰が作ったかわからないけどすごく綺麗と言われてるのを
影でコソコソとニヤニヤしながら見ていたい。

それを家に帰って嫁さんに自慢するくらいが丁度いい。
あっそ、良かったねってあしらわれるのもそれはそれで悪くない。

それくらいでいい。
沢山の情報は僕を混乱させるだけだ。

天才と言われてる人たちはどうなんだろう?

意外と普通に僕のように悩んでるんだろうか?

そうあってほしくはない。
やはり他人の目は気にせず罵詈雑言を吐き散らしながら
周りに散々迷惑かけて美しいものを作っていてほしいなと思う。

そうじゃないとこの差は理不尽だ。

魂売ってでもその才能を得たいと思うときもある。
行き詰まるとそんな気持ちがよぎらなくもない。
昨晩そんなことをぼんやり思いながら二本目のビールに手を伸ばした。

2020/9/1 酒井義夫


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