緊急事態宣言はコロナ共存社会の始まり

ついに政府から緊急事態宣言が出ました。

遅いという声もあるでしょうし、これによってコロナ収束が早まるのではないかという期待もあると思います。

最近いろんな方とコロナの話をするときにこの「コロナが収束する」ということを楽観的に考えているように感じることが多くあります。


”コロナウイルスの感染が収束した”



とはどういう状況なのかを個人的に一旦冷静に考えてみました。

いろいろと考えた結果


”コロナウイルスの感染は決して収束することはない”



という結論になりました。


どういうことかと説明しますと、今回の緊急事態宣言の内容を踏まえて多くの活動を自粛することで「コロナウイルスの感染爆発による医療崩壊を防ぐこと」はできますが、2ヶ月ほど自粛をして現在の感染スピードのままで抑えることができたとしても、日本全体で1万人~2万人ほどの感染者数となります。

日本全国の人口は1億3千万人弱ですので、コロナウイルスに感染した人の割合は0.00008%(小数点以下省略)となり、依然として大多数の人はコロナウイルスに感染していない状態になります。

コロナウイルスは東南アジアでも感染者が増えており、夏になるとなくなることは決して考えにくく、感染するリスクはあるままで生活する状況が続くことになります。また季節性でないとすると年中コロナウイルスはどこかに感染して生きている状況です。

インフルエンザにしてもそうですが、毎年感染者は出ます。コロナウイルスの場合潜伏期間が長く、症状がでない人も多い特性を考えると潜在感染者はこれから先も把握することが難しく、感染していない人がほとんどである状況を考えると、来年消滅している可能性はほぼ0%に近いように思えます。

そう考えると今出ている緊急事態宣言はコロナウイルスが国家を揺るがす危機をもたらしていることを表しておりますが、それはすなわち爆発的に多くの人が感染し、医療機関はもちろん経済活動における多くの機能が停止することを防ぐことです。なので、緊急事態宣言による自粛はコロナウイルスの感染が収束に向かうことではなく、感染スピードをゆるやかにするということになります。

ワクチンの開発は実用化されるまでには少なくとも1年から1年半かかると言われています。

集団免疫の獲得となると、いろんな説がありますが、

”人口の何割が感染すれば、集団免疫を獲得できるのか。国際医療福祉大の高橋和郎教授(臨床検査医学)は「感染症によって違う。例えば、はしかや風疹であれば95%だ。新型コロナウイルスの場合、七~八割は必要ではないか」と推測する。”

大体7割ほどの感染をすることが目安とされている話が多く、そうすると「日本国民の7割=約9000万人」が感染するまでは集団免疫は獲得できません。

コロナウイルスの指数関数的な感染が防げたとするなら、そこに到達するまで一体どれほどの時間を要するのか正直全くわからず、きっとワクチンができる1年~1年半という期間よりもずっと長く数年間の間で長期的に考えないといけないことになります。

こうやって考えてみると、僕らは今”コロナウイルスの感染が収束した”という状態をつくるためには、


①今のような自粛状態を少なくとも1年半は続けて感染数を防ぐ。

②1年半の間に新型コロナウイルスのワクチンが開発される。

③ワクチンの新型コロナウイルスへの有用性が確認される。

④集団免疫を獲得する感染者数になるまで何年間か開発されたワクチンで感染者の治療を行っていく。

この①~④が行われた上でようやく


”コロナウイルスの感染が収束した”



となるのですが、これは新型コロナウイルスがインフルエンザのように型が変異しないことを想定した場合ですので、数年間の間に変異した場合はまたそれに有用なワクチンの開発を行う必要性が出てきます。

こうやって考えると”コロナウイルスの感染が収束した”状態になるまで途方もない労力と期間を要しますし、インフルエンザウイルスで考えてみるとわかるようにこれから先の感染リスクがゼロになることは考えにくいです。

正直国や行政のトップの方がコロナウイルス対策の話の際に「この戦いに勝利するために頑張りましょう!」と言っているのは誰かが言っていたように戦時中の竹槍で戦闘機を落とすような話に感じます。

多くの経済活動と人の移動の自粛を要請される状況はいつまで続くのでしょうか?

僕個人としてはコロナウイルスはもうなくなることは考えにくく、個人としても社会としても正しくリスクと付き合いながら生きていくしかないと思っています。

それは人間が馬車から車に変わったときに交通事故のリスクと向き合わないといけなくなったのと同じようなことじゃないかと思っています。

今でも交通事故でなくなるリスクについての啓蒙活動は盛んにされていますし、免許を取るときも口酸っぱく教官に教えてもらっていましたが、車に乗っているうちにいつの間にか自然と恐怖心やリスクを意識しなくなってしまうような感覚に近い感じだと思います。

インフルエンザについてもいつの間にかそこまでリスクを意識することはなくなっているんじゃないかと思います。

”コロナウイルスの感染が収束した”時の世界は今と一変しているはずです。きっと今ある商品やサービスも大きく変わっているでしょうし、人が対面である機会は減り、ネット環境とサービスはより充実して、生活習慣も全然違っているはずです。そうすると、もうコロナウイルスが現れる前に戻ることは決してありません。

その事実は薄々と感じているもののコロナウイルスの感染が落ち着いて、きっと以前のような生活に戻れるはずだと信じている人が多くいるように感じていますが、人の価値観は大きく変わり、人の暮らし方・生き方の変化も大きくなるはずです。

それは避けられない事実であり、僕らはコロナウイルスのリスクと共にその変化にも柔軟に対応して生きていかないといけません。

厳しい時ですが、みんなで支え合って生きて行けばきっと道は拓けると信じて進むしかないと思っています。

こんな時だからこそ希望を捨てずに生きてほしいです。

以前この記事に僕の想いを書きました。


○コロナウイルスは現代の不安と絶望を映す鏡https://note.com/rokunanbo/n/n2707fab8c97b


僕らは多くの不安や絶望と隣り合わせの日々を生きていますが、同じように希望もたくさんあるはずです。

コロナウイルスとも上手に向き合いながら、怯えながら暮らして日々を過ごすよりも、希望をもって穏やかに笑って日々を過ごしてほしい。

そんな日々が早く訪れることを心から願っています。





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