コロナウイルスは現代の不安と絶望を映す鏡

ここ連日テレビ、新聞などのマスメディアはもちろん、SNSなどもコロナウイルス一色となっています。

僕自身も正直コロナウイルスは怖いです。どんなウイルスかわからないから不安とだということもありますし、僕はスティーブンス・ジョンソン症候群という難病に複数回かかっていて、今も完治しているというより症状が出てないだけと考えているところもあります。

スティーブンス・ジョンソン症候群はアレルギー反応のように免疫が過剰反応を起こし、全身のあらゆる粘膜が炎症を起こす病気です。最悪目が失明することもあるような難病です。全身の皮膚や粘膜、口内・食道などが火傷のようにただれます。僕は幸い目が失明したりするほどひどい症状になったりせずに、ご飯が食べれない期間が少しあっても大体1週間か長くとも2週間ぐらいで治っていたので、大事に至ることはありませんでした。

でも、僕はこの病気という爆弾を抱えて生きている感覚がいつもあって、コロナウイルスがもしかしたら僕の体と相性が悪くスティーブンス・ジョンソン症候群と併合して何か重症になるのではないかと不安になることも正直あります。

実は高校生の時大学病院でスティーブンス・ジョンソン症候群の原因を見つけるために1週間検査入院をし、免疫専門の医師の方に「通常薬の副作用含めて何かのアレルギー反応が原因でなることが多いのですが、免疫の過剰反応を起こす原因がわかりません。3歳まで無菌室で育ってないとならないような免疫の体です。普通に日常生活を送れていることが不思議な体です。」ということを珍しい症例を見つけた嬉しさなのか結構テンション高めに言われました。

そして、「半年ごとに病院に通ってほしい。症状や体を調べさせてほしい。」と頼まれました。その時母親と一緒にその説明を受けていたのですが、当時の僕は母親の気持ちも含めて病院を通う気になれず、結局その後大学病院には一度も行かず、症状が発症したら薬を飲んで対処療法を取るような形で病気と付き合ってました。

医学の発展や自分自身の体のためにはもしかしたら通った方がいいかもしれませんが、あの時の僕は病院に行ったら自分自身の不安と絶望に負けてしまうような気がしました。

その当時の僕はいろいろ葛藤してましたが、「明日を不安に思ったり、絶望したりしないようにしよう。明日はきっといい日だ。」って考えるようにしていきました。

よくよく考えたら、いつか人間は死にます。それは明日かもしれないし、10年後かもしれないし、50年後かもしれません。

何で死ぬかも全くわかりません。病気かもしれないし、交通事故かもしれない。地震などの災害で亡くなることもあります。

そんなことばかり考えていると世界は真っ暗で明日は不安や絶望に覆われてしまいます。

僕は自らの生きる意味を「明日に不安や絶望を抱くような人がいないよう、みんなが笑って幸せに暮らせる社会をつくること。」と自分自身が不安や絶望に負けそうになっていた高校生の時に決めました。

それから今に至るまで、僕はそこは絶対にぶれずに生きてきているつもりですし、今もいろんな人に少しでも希望を与えられるように日々もがいています。

僕の頑張りで希望を与えられている人の数はとても少ないですし、今回のコロナウイルスのように不安や絶望を可視化させるインパクトの強い現象が起きた時には本当に無力感を覚えます。

もしコロナウイルスも含めてですが、今不安や絶望を感じる方がいたら少しだけ冷静に考えてみてほしいです。

明日のことなんて誰にもわかりませんし、不安や絶望はいつだって隣にいます。でも、同じように希望もすぐ隣にいるはずです。

必要以上に怯えることなく、明日はきっといい日だと思ってほしい。

明日あの人に会いたいと思うなら会いに行ってほしい。

あの場所に行きたいと思えば出かけてほしい。

もしかしたらそれがあなたの運命を大きく変えたり、幸せにしてくれる出来事が待っているかもしれません。

人生はあなたが思っているよりも長くないかもしれません。

怯えながら暮らして日々を過ごすよりも、希望をもって穏やかに笑って日々を過ごしてほしい。

たくさんの不安や絶望に覆われている現代だからこそ、僕は心からそう思っています。

世界中のすべての人の明日がきっといい日でありますように。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?