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英語を学ぶ前に日本語?

英語の前に日本語を勉強しろ!

時々耳にすることがありますよね。
「英語もいいけど、その前に日本語の勉強しろ」
そんなことを言う人がいます。
確かにそうかもしれません。
普通に考えれば、「日本人のくせにまともな日本語もできないのなら、
まずは日本語が使えるようにするのが先だろ」と、言いたくなる気持ちは
わかります。
しかし、、、
これをまったく別の角度から見ると、考え方が一変します。
「自分の日本語を確かなものにしたいのなら、まず英語を勉強しろ」
おかしなことを言うなと言われるかもしれませんが、これはこれで決しておかしなことではないんです。

和訳できない

僕は昔、機械製品を扱う仕事をしていました。
すべて海外製品でしたので、製品に関するマニュアルや資料はすべて英語で書かれていました。
これらを日本のお客さんや外注先の業者さんに渡してもなかなか読んでもらうことができないので、製品の中身を知っている僕が和訳にチャレンジしました。
英文はというと、一部の聞きなれない単語はあるものの、全体的にはそんなに難しい感じはしませんし、書いてあることの中身は9割くらい辞書なしでも理解できる内容です。
僕は機械系の知識はあるので製品のことも理解できているし、それを日本ではどういう単語や名称で呼ばれているかも知っています。
しかしです、単語や熟語のひとつひとつの意味がわかっていても、それを綺麗な誰が読んでも理解できる日本語の文章にしようと思うと、簡単には作文することができず、英文を理解することよりも日本語で文章を書くことに多くの時間がとられてしまいました。

意味が理解できているのに和訳ができないなんて、普通には考えにくいことですが本当にそうだったのです。
では何故そんなことが起こるのか?
僕は単に 「日本語能力の問題」 だと結論付けました。
英文で書かれた一節の文章の中には、殆どの場合 key となる単語や熟語があります。
文章の性質上、ある程度の正確性を維持する必要があるので、どうしても Key となる部分は直訳的に訳そうとします。
すると途端に日本語の組み立てができなくなります。

例えばですが、ある機械を構成するプレートの厚みを測定して、その値が
20ミリメートルを超えてはいけないと言う意味の文章が2個所あったとします。

A) plate thickeness must not be exeeded 20mm.
B) plate thickeness shall not be exeeded 20mm.

この A) の文章と B) の文章、あなたならどんな日本語にするでしょうか?
どちらも板の厚さが20ミリメートルを超えてはいけないと言っていますが、微妙に意味合いが違うはずです。
この違いを読み手に正しく伝えるにはどんな日本語にすれば良いのか・・・。
可能性としては、
・法的な規制があり、それを遵守する意味で20ミリを超えてはいけない
・メーカーの設計基準として性能維持の目的で20ミリを超えてはいけない
・板を新しいものと交換する場合に20ミリを超えるものを使ってはいけない
このような背景が考えられるので、実際には前後の文章やどのようなことを話題にしているのかによって訳文の内容が変わるであろうとは想像できます。
ただ、原文をできるだけ壊さないように忠実に訳そうとすると、どうにもぴったりの日本語が見つけられなくて困ったことは何度もあります。
そのような訳で、この例文のような英文を
「板の厚みは20mmを超えてはならない。」と簡単に訳せますが、
must not be と shall not be を分けて使われているその理由が、この和文に反映されているかと聞かれると、必ずしもこの和約が正しいとは言い切れない、そんな難しさがあるのです。

 このように、自由に好きな単語で好きな表現で日本語を書くのならまったく苦労はありません。日本人ですから何の問題ありません。
ところが何かしらの制約があると途端に日本語の組み立てができない。
そのことをまったく予想していませんでした。

英訳もしかり

言いたいこと、伝えるべきことを英語に訳す場合も似たようなことがありました。
その場合、頭の中で伝えるべきことをある程度文章にして整理します。
が、英訳する時には文章の一つ一つを英語に置き換えるやり方では殆ど伝わりません。
頭の中で映像を作り上げて、その映像の中で見ていることをそのまま英語にします。
難しいのは、日本語でそれを説明する時に絶対に正確に伝えなければいけないことは英語でも確実に表現するということです。

そんなわけで、英語が得意でも日本語だけが得意でもだめで、どちらの言語も勉強しながらでないとなかなか前に進めない面があります。
そうやって必然的に日本語の難しさに直面し、向上させることになる。
日本人にとっての英語の勉強って、そういう面が多分にあるのだと、経験から学びました。
ですから僕は、「英語の前に日本語の勉強を」というのは必ずしも筋の通った話だとは考えていないのです。


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