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日記 2024年4月7日


各駅停車の車窓は、誰かがそこに暮らし、働き、大切な何かを守っている証を永遠に映し出していた。





証の形は様々である。

家や建物があることに始まり、手入れされた田畑や川や里、寺社や石碑、あるいは地名があるということ。

また、それらを結ぶ道があるということ。



証の集合(つまり街や村といった景色)は、
人々がそこにいる、昔いたということの積み重ねが社会を作っているという当然の事実を、しかし改めて語りかける。





永遠に連なる春の景色に胸が高鳴り、少し涙も出るような、そんな旅をした。



旅をするごとに、たくさんの証に触れるたびに、自分はちっぽけな1人に過ぎないということを理解させられる。



人が自分の与えられた役割を果たす中で自然と証は作られ、ようやく社会となる。
1人ではこの証のひとつも作ることができない。






社会を1人で作ることはできない。

社会を1人で作ることはできない。
わたしがどれほど動いても、社会は作れない。



社会ってなんだ?


うーん。

わかるような、わからないような。










いや、皆さんは社会のことなんてとっくに理解しているのかもしれない。



わたしはひとつの情報を理解して飲み込むのにものすごく時間がかかる。

そこに社会があるということや、社会の枠組みの中で人々がそれぞれに生きているということも、旅をしてようやく理解できるような難しいことなのである。



でも、そんなわたしで良いと最近は思う。





今日の出費
定期券33270円
交通費12300円
名古屋城500円
いちご飴300円




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