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留学中の気づきたち〜自分を抱きしめてあげられる強さが鍛えられた時間〜

まえがき

9月末にポーランドの首都ワルシャワに到着し、交換留学生活がスタートした。月日は流れ、留学も残り一ヶ月。正直、何を得ているのか、うまく言語化できずフワッとしたまま、そのせいもあって「本当に得られているのか?」と苦しんじゃうこともあるまま、ここまできてしまった。
けど、今回やっと、言語化する時間を取れた、というか手を動かすことができました、ワルシャワではなくベルリンで。
年末、みんな旅行に行っちゃうし、ベルリン歴史も面白いし見どころ多い街だからひとりでじっくり行きたいなあ、とひとり旅を決行。旅の途中で、観光だけじゃなくてカフェとかでじっくり思考する時間も取りたいなあ、みたいな気持ちでやってきた。ワルシャワでもできることだけれど、休暇的感覚で、いつもと違うまちで、ふらふらしたり書いてみたり描いてみたり。そんな気ままさを欲して、ワルシャワをわざわざ飛び出してきました。
そんな気ままさの中で、11月末から12月にかけて特にちょっと壁だったけれど、それも乗り越えた感じがする今、留学での気づきを言語化してみたいな〜と思います。書いてる最中にまたちょっと不安が舞い込んできましたが…まあ後一ヶ月だしなんとかなれ!笑

一日一日

留学生活が始まった頃から繰り返し使ったおまじないみたいな言葉が、「一日一日」だった。先を考えると不安だけれど、とにかく一日ずつ、生き抜いて積み重ねていくしかない、という気持ち。
留学前はどうだったろうか、そんなにこの考え方を使って落ち込みから抜け出そうとはしていなかった気がする。
留学中辛いとき、「本当は帰りたいけれどまだここにいないといけない」と苦しむことが多くあった。つまり、「本当は逃げ出したいけれど逃げられない」、そんな気持ち。そんな時に特に、この「一日一日」という言葉で乗り切ろうとした。
今までもきっと逃げられない瞬間ってあったはずだけれど、留学中にこの考え方が生まれたのはどうしてだったんだろう。きっと留学って、物理的な距離と決められた期間により「帰りたくても帰れなさ」が強調されるのかなあと思った。しかも、日本にいる時みたいに帰る家がない。寮はあるけれど、ふたり部屋、仕切りもなし。つまり、プライベートな帰る場所が無い。おそらくそんな環境での生活によって、「逃げられなさ」が強調されたのかもしれない。
そんな「逃げられなさ」のなかで「耐え」が必要な時に、先を考えると途方に暮れてしまいそうだった。だから、「一日ずつ」と捉えて、結果ここまでは乗り越えられた。
留学って、やっぱりそういう修行的な辛さのある環境だと思う。でもそれは今できてよかった修行。それを乗り越えられたという自信はきっと後から得られるはず。(後一ヶ月あるけれど)今後何か「耐え」が必要な場面でも、この経験と「一日一日」という言葉がきっとわたしの強い支えとなるだろうなあと思った。

気づけたありがたみ

留学に来て本当によかったと言えることの一つ、今まで以上にありがたみを感じられるようになった人・ものが増えたなあ、と思う。
まずは、家族。私はずっと実家暮らしで、うまくいかない時に家族に当たってしまったり、なんとなく縛られ感を感じたりして、一人暮らしがしたいしたいと言いまくっていた。(一人暮らしがしたいというのは悪いことではないと思うけれど)でも、離れてから、家族のありがたみを本当に感じるようになった。離れたことで、逆に今まで以上に連絡を多く取るようになった。たまに電話してて辛いことなどもポロッと話すと、本当に安心できる励まし方をしてくれた。いつも応援してくれて、とにかく無事に帰ってくるのが一番だからね、と言ってくれる家族がいて、本当に幸せだと思う。帰ったらまたイライラしちゃう時もあるかもしれないけれど、こうやってありがたみに気づける時間を持ててよかったなあと思う。
そして、日本でこれまで出逢ってきた友人たちのありがたさも強く感じた。まず、行きのフライトで手紙を読んだ時に、こんな言葉を自分にくれる人がいるんだって本当に嬉しかった。そして、本当に落ち込んだ時に、彼女もまた頑張っている地で、日の出を画面越しに見せてくれて、すっごく心があったかくなって救われた。他にも、たまに話して、あの子も頑張ってるんだなあってなったりする友人がいて…。そんなふうに、こっちに来てから何度も友人のあたたかさを感じられた。本当に今まで素敵な人と出逢えたんだなあと、みんなのことが恋しくなるたびに思ったりもした。ポーランドでも、多くはないかもしれないけれど、素敵な出逢いがたくさんあった。もっと大事にできたらいいなあ、と思う。残り一ヶ月、そしてその後も。
最後に、健康であることのありがたみも感じた。というのも、ワルシャワ到着約一週間後コロナにかかってしまった。熱も高く、喉の痛みもひどく、ご飯もまともに食べられない日々が数日続いた。到着して早々のアクシデントで、「あー…」と気持ちは下がってしまったけれど、健康であることがいかにありがたいか、学べたなあ、と思った。そしてこの時も心配してくれた周りの人のあたたかさを強く感じられた。
こんなふうに、留学を経てありがたいと感じられることが増えたことは幸せなことだと思う。と同時に、もっとその気づきを忘れないようにしたいなあ、とも思う。

私は私なんだなということ

留学生活が始まって、「うまく楽しめない」瞬間に出逢うことも多くあった。「ただ楽しむ」が難しくて、もやもやしちゃう瞬間。そんなもやもやを感じるたびに、もっと楽しめるように、ここでのことをもっと好きにならないといけないんじゃないか、私が変わらないといけないんじゃないか、と自責してしまった。そして、「留学=変わらないといけない」というプレッシャーに縛られていることを自覚した。頭のどこかで、留学という、経験を買いに来てるような環境下で、何も変化がなかったら胸を張って帰れないのでは、無駄みたいになっちゃうのではと被害妄想がフルスイングしていたのだと思う。
でも「変わらなきゃいけない」って「今持っている自分の価値観を変えないといけない」ということだけでは決してないことに気づけた。
まず、そこまで「変わりたい」と思えない部分は、むしろ自分にとって大切な部分、自分の好きな部分なのでは!?とハッとした。この時、自分を好きだと言えるロジックが頭の中で自然と生まれたことに、嬉しくて泣きそうになった。
そして、こういう気づきがあったことが十分な「変化」なのだ!と思えた。自分の軸ごと変えることだけが「変化」じゃない、と書いてみると当たり前のようなことにも、身をもって気づくことができた。
この、「私は私なんだな」という気づきは、環境にも後押しされたと思う。寮生活をしていて、みんな自分の生活スタイルを自由に貫いて、生きてるなあってことを実感した。早起きする人もいれば、夜遅くに帰ってくる人もいる。遊ぶのが好きな人もいれば、そうでもない人もいる。そんな様子を見て、なんか「自分貫いていいや、貫かんとやってられんよな」って思えた。みんな本当にそれぞれ、無理してない感じ(知らんけど)、そんな生活感を目の当たりにしてかなり励まされた。
留学という一筋縄ではいかない、そしてプレッシャーもある意味存在する環境下で生活したからこそ、今までよりは自分を強く持てるようになったのかなあ、と思う。

人と関わるということ、価値観

自分を大事にすると同時に、人のことをどう大事にしたらいいかも、学ぶことができたと思う。というのも、うまく人を大事にできていないのではという瞬間が結構じわじわ続いた。ルームメイトに対し、価値観の差を感じて疲れてしまったり。それだけではないけれど色々。特に、旅行はずっと時を共にするため、価値観の違いに疲れてしまいやすいなあと感じた。部屋も個室はないし、プライベートのなさにも悩んだり、人付き合いに苦を感じてしまう時も正直あった。
一方で、うまく予定が入らなかったりして、孤独に悩まされる時もあった。バランスだあなあ、とも思ったし、やっぱり、一緒にいてくれる人のことを大事にできる人でありたいと思った。
まず、今回留学して、他者と過ごす時間が増えたからこそ、人と過ごすということのざらざら感、容易でなさ、を今まで以上に身をもって学ぶことができたと思う。思い通りになんて行くわけはないんだということ。でも別に自分が全部我慢しなきゃいけないというわけではないということ。コミュニケーション、うまくないけれど、諦めたらいけない大事なことだなあと学んだ。
価値観の違いについても、自分の価値観を相手に合わせて変える必要はないと感じた。私は私、相手は相手。でもリスペクトは必要だなあと思った。そして、必要な場合のコミュニケーションもやっぱり大切だなあと思った。異文化理解ってこういうことか、と体感できた気がする。そしてこの経験は、国関係なく、日本人同士での付き合いでもいきてくることだと思った。しんどさはあったけれど、経験できてよかったなあと思う。

自分で自分の日々を愛してあげられる強さ

留学中、何度も他者と自分を比較して、悩んでしまった。比較なんてよくないに決まっているけれど、どうしても、自分にできないことができている人を見て、落ち込んでしまう瞬間がたくさんあった。
特に、十一月末から十二月真ん中にかけて、上手くいかなかった。どうしても日々が辛いと感じてしまい、中々そこから抜け出せなかった。抜け出しかけて、また落ち込んで…みたいな繰り返しの中で、徐々に、環境の変化もあり、大丈夫になってきた。
その時に、「結局、ささやかな自分の日々を、自分でいかに愛せるかだなあ」と思うことができた。これは今までも何度か思ってきたことではあったけれど、改めて、この苦しんだ期間それができていなかったことに気づき、それができたその日、幸せを感じられたことに気づいた。
自分の日々は自分にしか持てないものだということ、幸せは必ず一日の中にあること。(そもそも今日も一日生きれている)これまた当たり前だけれど、人を羨んでいては一生幸せになれないよなあと思った。
うまく自分の一日を抱きしめてあげられない日もきっとあると思う。でもそれも人生だし。いいのだ。
留学で散々人と比べてうんざりするほど悩んで、もう自分は自分でいいんだ、自分の日々を愛したい!そのくらい思えちゃう境地に達した感じも少しする。まだわからないけれど、
留学前は今以上に人と比べて、自分に集中できていなかったと思う、でも、とにかく今は、自分で自分のことを抱きしめられる強さが前よりは身についたはず。
ひとり旅をしている今も、今日の私にしかない一日、よかったことを、少し葛藤しながら抱きしめようとできている。いい成長だなあって思う。よかった。
実は、絵日記を毎日描くことができるようになってから、あまり落ち込まなくなった。タイミングもあったと思うけれど、やっぱりいいことに目を向けられる習慣として、とってもいいのかなあ、と思う。

残り一ヶ月とこれから

きっと残り一ヶ月も一筋縄ではいかない。でもそれでよいんだろうな。全部糧にできる力が私にはきっとあるから、いいのだ。とにかく一日一日、自分を抱きしめてあげられるように、積み重ねていけたらいいな。本当に、時間は嫌でも過ぎてゆくのでね。なんとかなると思う。
そして、「もっと面白くするには?」のアンテナをもっと張ってきたい。これがあんまりできていない気がするので…。できたら面白いと思うから、やれたらいいなあと思う。
帰国後についても、まだまだ言語化して深掘ってみたいなあ。

今回言葉にしてみて、十分得られているものがたくさんあることに気づけたし、大事なマインドのリマインダーにもなった。やっぱり言語化って大事だね。いいね。

あくまで私の場合の留学で気づけたなあと感じたこと。これでもまだごちゃついているかもしれないけれど、読んでくださった方、ありがとうございました。これから留学を控えている方、留学中の方、マジで人それぞれだと思うので、あんまり気にしないでください!(笑)

イラストは、英語講師のボランティアでポーランドの幼稚園に行った際に、いきなり女の子がハグしてきてくれた日の絵日記です。この子のハグは、本当に忘れられない、宝物な瞬間です。寂しい日、辛いなって思う日は、思い出してあったかくなろう!

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