見出し画像

そろそろ、自分探しをやめたいから


また、続かなかったなぁ・・・。




20代後半から、自分の継続性のなさに飽き飽きするようになった。


水彩画をはじめるぞ!と意気込んで、わざわざ銀座にある月光荘で道具を一式揃えた。水彩画教室にも通った。


あるときは、Instagramでお洒落カフェに足を運び写真をアップしはじめた。


新種のポケモンをとりに、猛暑日にもかかわらず新宿御苑やコイキングが頻出する都内の公園までポケモンGETのためにGOしたこともある。(その日は汗だくだった。)


将来、転職や昇進に役に立ちそうかもと、英会話をはじめた。


どれも数ヶ月で終わった。桜が散るよりも、早いときもあった。


気になったこと、やったほうがよさそうなことを始めても、なかなか長続きしない。半年もてばいい方で、関心ごとが移り変わったり、モチベーションが保てなかったりとフラフラしていたように思う。



別に誰かに頼まれたわけでもないけれど、続けられないものが積み重なっていくことは、地味にダメージが蓄積されている感覚で、風船がしぼんだみたいにしょんぼりとしてしまう。



だって、わたしの周りや世間では、何かを突き詰めている”専門性”がある人が重宝されることが多い。



さらに令和になってから、「自分らしさ」や「好きなことをして輝く」が一種のステータスになっている風潮である。それが、仕事と結びついているとなお良いとされている。




SNSではやりたいことをしている人たちで溢れかえっていて、わたしは置いて行かれている感覚になっていたし、好きなことすらも定められない自分て何者……?と、勝手に自分の人生を迷子にしていたように思う。



「思う」と書いたのは、最近になってある要素を足せば、この飽き性なわたしの気分をラクにしてくれることが分かったからだ。今日はその1つを紹介したい。



チャップリンになりきる

突然何故に……?と思うかもしれなけれど、チャップリンの名言を自分の暮らしに取り入れるようにした。あるとき出会った医師から教えてもらって、ときどき思い出すようにしている。

「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」

Charlie Chaplin(チャールズ・チャップリン)の名言



チャップリンが出演する映像に、彼が船で落ちそうになっているシーンがあって、それをみた人達はケラケラと笑う。けれど、冷静になって考えると人が船から落ちているのを笑えるのって結構ひどいよねって話である。


つまりは、自分の今置かれている状況は、本当に落ち込むことなのか?と疑ってみることだ。


わたしの場合は、好きなことを続けないといけないの?、専門性がないことは価値がないと思い込んでない?と問いかけてみることだったけれど、これらの問いは他のシーンでも役立つ。


自分探しと呼ばれるものは”チャップリン状態”で、模索している本人は必死だけれども、友達から見ると「何をそんなに悩んでいるの?いつも何か新しいことをやってるでしょうよ」となる。実に喜劇である。



その一方で、興味を持って始めたことが純粋に「やりたい」ものだったら、やり始めた瞬間は自分の気持ちをちゃんと叶えたことになる。素晴らしいよねって。



好きなことが、必ずしも何かの役に立ったり、自分のキャッチフレーズの一部になったりしなくても、その経験した瞬間をめいっぱい楽しめればそれでよし!と軽く考えることも人生には大事な気がする。



また、マルチに活躍している人もいるよねって世の中を俯瞰してみることも重要だ。



そうゆうことに気づくためには、ときには人とあって視野を広げてみたり、自分の気持ちを紙に書きだしたりする時間も必要で。今年に入って読んだ精神科医の樺沢紫苑さんが書いた本にもこんな記載がある。


自分の感情や思考は言語化しない限り他人には伝わらない。

言語化の魔力 言葉にすれば「悩み」は消える より



これは自分自身にも言えることだから、少しずつ言語化していく必要がある。


言語化を手助けしてくれるのが、わたしにとっては書くことだったので、自分探しモードになってしまったら、まっさらなA4の紙を1枚用意して淡々と自分と向き合っていくしかない。


「自分を知るために興味のあることを試そう」ではなくて、単純に「好きなものを愛でる」思考に変えられると、好きなことをする時間が多い自分探しも、悩みではなくなる日が来るのかもしれない。



ときには自分を疑ってみたり、今までの捉え方を変えると少しラクチンに暮らせるよね、というお話でした。






おしまい





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?