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自分の名前で仕事をしてみて良かったこと

その1:表面的な価値は通用しない


自分の名前で仕事をしてみて、一番良かったと感じることはこれを感じられたことかもしれない。(まだまだ序盤だけど)


20代は、可愛いとは綺麗とかお金がたくさんあるとか、格好いいとか、雑誌にでているとか、肩書とか、売り上げとか、評価とか、そういうことに憧れをもち、そこがモチベーションだったけれど


30代になり、だんだん本質的な価値はそこなのか??とうっすらと言語化できないまま違和感を感じ始めていた。(遅い。。。)


そして、40代になり表面的な価値に拘り、本質を見れていなかったことに少しずつ気が付くようになり、気付くたびに過去の自分を「あーーーー!!はずかしーーーーーー!!」と思うことも度々で、でも、今思えば20代はそんな表面的価値を追求して、そこにヒューマンドラマがあったし、逆に全部本質を分かっている20代じゃなかったからこそ、駆け抜けられたこともたくさんあったから、それはそれでよかったのだと思う。


自分の名前で仕事をしてみようと思ったのは、実は自分発信ではない。趣味が合う人が集まるコミュニティに入っていて、そこで私の才能を拾ってくれた人がいて、そのコミュニティ内で表にでるように背中を押してくれたことがきっかけだった。


不本意で前職を退職して以来、自己嫌悪という沼にはまりまくって、自己否定と自信喪失が激しかった私は「目立ってはいけない」「自分には価値がない」と異常に自己暗示をかけていた分、極力自分のカラーを出さないように頼まれた仕事をやりきることだけに注力した。


でも、どこかで拾ってくれる人はいて、少しずつ私の名前を知ってくれる人が増え、お会いしたことがない人からもダイレクトメッセージでお仕事の依頼がくるようになった。


自分の名前で、相手に何かを提供するというのは対価に関わらず、すごい緊張感と責任と喜びだった。そして、相手の「良かった、悪かった」という言葉の反応に惑わされず、ダイレクトに私だけが感じる自己評価を受け取る


やはり、上手く取り繕っても、上手く取り繕っているかどうかは自分自身が一番よくわかっていて、その気持ち悪さが残ったままではいいパフォーマンスはできなくて、本質を突き付けられる


その2:プライドをはるところを間違えると自分の首を絞める


自分でもびっくりしたのが、「できません」これを言うことに異常な抵抗感があったこと。


ある案件で、自分が「3日後には提出します」と伝えた日程までに、納得するものが出来なくて、「あと2日いただけますか?」というメッセージを送るのに、すごく抵抗感があった。


よりよいものを提供するための時間がほしい&最終的は相手の希望する納期に間に合うのに……。自分の提示した日にちを覆すことが嫌で、こんなところにプライドがあったんだと、自分の中の小さなブロックとなるプライドに気がつく「場」によく出くわす。


その先の目的を果たすためには、本当に本当に小さなプライドに、「うーーん」と1時間程度の葛藤をしてしまう自分にびっくりしつつ、とても低いハードルをよいしょと超えている。


その3:積み重ねたものは、なくならない


前職を辞めた時は、積み上げてきたものを手放したら、自分には何もなくなってしまうのではないかという大きな恐怖があった。がんばってきた過去の自分を捨てたくなかった。役職や、社歴や、過去の実績を語ってくれる人や、チームの一員である自分や、目に見えるものは、なくなったかもしれないけれど、自分の内側に身となり残っているものがちゃんとあった


それを感じられたのは、やはり自分が矢面にたった経験だと思う。前職を退職し、大きな組織に転職し、お給料も役職も私の過去のがんばりも、全部0ベースで一から積み上げなきゃいけない1年は辛かった。やはり私には何もなくなったような気持ちでいた。でも、それは組織の中にいる私であり、組織の評価に依存していた辛さだった。


自分で世の中に飛び出してみたら、「今の私」で勝負ができた。過去は関係なく、積み上げてきた思考や能力が自分の身となっていることが実感できた。0になったわけではなく、一度裸になってみて、本当に自分に必要なものだけは、生きてきた分ちゃんと残っていくことを知った。



その4:大切にしたい軸に改めて出会えた


「ここで生きていく」と決めていた前職時代は、がんばらないと居場所がなくなるとある意味猪突猛進で走ってきたので、他のコミュニティに時間を作り出す余力もなかった。でも、「ここで生きていくもの」を手放したら、それこそ時間を持て余し、ここぞとばかり、色々な人に会い、色々なことを試してみた。


インタビュアーのお仕事、広告のお仕事、ライターのお仕事、ボランティア、コミュニティの企画会議のディレクションも試してみた。


ママばかりが集まるコミュニティ、起業家だけが集まるコミュニティ、性別男女関係なく集まるコミュニティ、色々なコミュニティにも参加してみた。すると、「居心地がいい悪い」の軸が少しずつ分かってくる。


人生にチャレンジしている人と一緒にいると居心地がいい。一つ抜けた世界には、マウンティングがない世界があることも知る。人にダイレクトに関わることが私の喜びなんだと気付く。本質的な話をできる人と時間を共にしたい。自分がどう生きたいに真剣に向き合っている人を尊敬する。


どんな人と一緒に時間をすごしたいのか?どんなことに自分の命の時間を使いたいのか?今まで、当たり前にそこにあって考えたこともなかったことを失ったからこそ、時間をかけて自分に問うてきた。


そして、物事や人に対して価値を見出すスピードは速くていいけど、価値を自ら作りだす道のりは、過程を踏んだ方がいいということも身をもって体感する。やはりもがいたほどに、深く相手に届けることができる。


比較的導火線が短い私は、「すぐ行動すぐ結果」と思いがちなのだけど、その先に自分がどんな未来を作りたいか、一旦立ち止まって目的を見る、それを自分の原則に追加できたこともこれからの人生にとっては、大きな変化にきっとなる。


その5:圧倒的に自分の心と対話する時間が増えた


組織の中にいると、他人からの評価によって自分が揺さぶられることがある。それでなくても、自分よりも他人をベースに考えてしまいやすい私にとっては、それが喜びとなることもあるし、自分をなくしてしまう大きなマイナスとなり得ることもある。


でも、自分の名前で仕事をしていくと、判断はすべて自分だ。その都度相談する人はいるし、指標を示してくれる人はいるけれど、「その上でどうするか」は誰かが決めるものではなく、私の判断だ。そして、自分の色が作られる。


そのためには「心の位置がどこにあるか」がとても重要で、ベストな判断、ベストなパフォーマンスをできる自分を整えておく必要がある。


やはり、心が整っていない時に、お客様や重要な決断と対峙すると後からとんでもなく絶望感におそわれる。自身が、どんな心の状態でも逃げ場がなく、自分でしか勝負ができない状況だからこそ、そこに向き合える状態の自分を作る重要性を身をもって感じている。


結局は、私にとって働くとは生きること。生きることとは、自分の命を作ること。


きっと、1年後には新たな気づきがあったり、この5つの発見でさえも1年後の私には幼く感じるのだろう。でも、それを開示していくことに私の未来への一歩が作られてる気がするからここに記しておく。






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