歩積み・両建て預金は常識でなく方便
[要旨]
昭和34年の京セラ創業当時、同社が銀行で手形割引をするたびに、当時の慣行で、手形割引額の一定割合を預金させることが行なわれていました。これに対し、稲盛さんは、原理原則に反するものと考えていましたが、経理担当者などからは当たり前のことだと反論されました。しかし、その後、その慣行は廃止されたことから、道理から外れることは、最終的に社会からもおかしいと認められるようになると、稲盛さんは自信を持つようになったそうです。
[本文]
今回も、前回に引き続き、稲盛和夫さんのご著書、「稲盛和夫の実学-経営と会計」を読んで、私が気づいたことについて述べます。稲盛さんは、かつて、銀行での融資取引の慣行であった、歩積み・両建て預金について疑問を感じていたということを、同書で述べておられます。「昭和34年の京セラ創業当時には、銀行で手形を割り引くたびに、一定率の『歩積み』預金を行い、銀行に積み立てていくことが当然のことのように行われていた。銀行で受取手形を割り引いても、それが不渡りになれば、銀行がリスクを負うわけではなく、当社がその不渡手形を抱えなければならない。
しかし、なお、銀行は、当社が約束通り、不渡手形を買い戻してくれるかが心配なので、その担保として『歩積み』をとるというわけである。これは、『銀行のリスクヘッジのため』と一応の理解をしてみても、その歩積み預金は手形割引とともに積み上げるのみで、手形の割引残高を超えても歩積みから解放されない。社内で銀行の方から申し入れのあった歩積み率の引き上げが話題となった際に、私は、むしろ、歩積みそのものがどうしても納得できないと考えて、会議でその旨を発言した。
しかし、経理を担当する者をはじめ、周囲からは、歩積みをするのは常識であって、それをおかしいなどというのは、非常識極まりないと笑われて、相手にもされなかったことがある。その後、間もなく、このような歩積みや両建てという慣行は、銀行の実質収入を上げるための方便にすぎないと批判され、廃止された。これを見て、私は、『いくら常識だといっても、道理から見ておかしいと思ったことは、必ず、最後にはおかしいと、世間でも認められるようになる』と自信を持った」(27ページ)
ちなみに、歩積み・両建て預金は、現在は、独占禁止法で禁止されている優越的地位の乱用に該当するものと解釈され、銀行自らも、注意をもってこれらを行わないよう努めています。(本題から外れますが、融資取引をしているにもかかわらず、その額と比較して、預金取引額が少なく、銀行から見て取引の採算が悪いと判断できる場合、それを理由として、融資取引を断るような場合は、優越的地位の乱用には該当しないものとされていますので、注意が必要です)
とはいえ、戦後間もないころの日本では、産業の生産基盤が不安定であった状況において、その産業への資金提供者である銀行は、融資に関するリスクを低減させることが重要であったと認識されていたため、歩積み・両建て預金という慣行がつくられ、それが合理的であったと認められていたのだと思います。問題なのは、事業の環境が変わったにもかかわらず、過去の慣行に疑問を持たずに、それを続けることだと思います。
したがって、大切なことは、現在、行っていることの中に、原理原則から外れていることはないか、常に注意し、問題があると思われるものについては見直しをすることだと思います。現在も、リモートワークが進んだり、夏季の職場での軽装が進んだり、役所の手続きでの押印廃止が進んだりとうった、実態に合わせた改善活動の例が見られます。こういった、改善活動に注力することが、会社の競争力を高めていくことになるということを、稲盛さんの本を読んで、改めて感じました。
2022/12/5 No.2182