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軽く決意表明。

 年が明けた。なんとなく去年を振り返っていて、目標としていたnoteを書くというのを、出来ていない自覚はあったが、最果タヒ展以降まったくできていなかったのだと知ると、まともにこうしてPCに向かって文章を打つということをせずに8か月近くにもなるかと思うと、ちょっとびっくりした。そして今日は、お日柄的に、天赦日と一粒万倍日と寅の日が重なる良い日というのは知っていたが、色んなものが重なっているようなので、まぁ決意表明でもしようかなぁって漠然と思ったのである。(更新は日付を越してしまったが1月11日に書いた)

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 その前に、去年はどんな年だったのかっていう話を、まずしたいなと思う。年賀状の返事として、去年から手紙を書いている訳だが、今年も手紙を書きながら、どんな年だったかを考えていた。
 去年は、コロナ禍になって2年目の年だったけれど、移住してから、1番県外に行き、1番ライブに行った年だったんじゃないかと思う。30代で1番旅をした年だった。中でも大きかったのは、岡山に何度か行ったこと。新幹線のための一瞬滞在を含めると4回行ったことになる。なので、なんとなく岡山の土地勘を養えた。ライブにかなり行ったので、本当は行ったライブのレポを書くつもりが、全く書かずになっているので、これは前半後半の2つに分けて、近々書こうと思う。

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 もう1つ思ったことは、「流れ」を見たこと。その「流れ」に乗るのか、その「流れ」から外れるのか。潮時を見るというか、そういうことが何度もあった。ただ単に「切る」というのではなく、自分の中にある規約というか項目というか、それに幾つ当て嵌まったかや、何度守られなかったか、みたいなそういう基準で、諦めるというか。
 諦めると書くと、とてもマイナスなイメージではあるが、このまま続けても、それ以上はないし、限界効用逓減の法則ではないが、自分がやればやるだけ甲斐がないという感覚があるなら、もうそれ以上はいらないと言えばいいだろうか。そういった法則の対象になっていることに気付くのは、自分の何らかを注ぎ続けることが、注がれる側にとって当たり前と化していると感じる瞬間や、当初より利用価値がなくなったからと無下にされるというのがいろんな頻度から見えてきて一気に繋がる時だったりだ。
年末になって、どんどんと明確になっていき、そういうものから距離を取った。そうして、年始に1つ自分の中で覚悟が決まった。

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 そんな去年を踏まえて、今年は脱却をする覚悟を決める1年にしようと思った。特にこの2年、変わりたいと言い続けて、さほど変わってないのではないかという現状しか提示できないでいる自分がいて、変わったことについて最近流行りのエビデンスなぞ求められた時には、お手上げである。それこそ、去年は、かなりやれることはやったとは思うが、「結果」や「成果」は、何一つとして手中にはなく、もっとできたことがあるんじゃないか、という気持ちは拭えない。いつだって、先を行く者がいれば、自分がどれだけやっていたとしても、まったく変わらない場所にいるような感覚は、どうしたってあるものだ。傍から見れば、それなりに変わっているのだろうとも思う。
 周囲を気にせず生きているのに、いざそういった社会的なものになると、自分は成人になってから、達成できたものなんて、ないのではなか、と思えてならないのである。そう思い出して、ずっと足りていないものであり、課題であるのは、自分の経済力なのだ。誇張ではなく、たぶん私はそれなりに仕事はできる部類の人間だ。働いた場所で「役に立たない」と言われたことは1度もないし、1カ月しか経っていないのに、あたかも何年も前からそこで働いていたように見えると言われたこともある。そんな自分がやったことのない職種と、正社員という雇用形態に、今年は挑戦しようと思う。

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 そして、noteを書くことはできれば週1で書くことを課したいなと思うし、本を読むこと、とりわけ1番本を読んだ年の冊数を超すということを課したい。もちろん写真は撮り続けるし、音楽も聴き続ける。去年一切やらなかった絵もやりたい。そうチャレンジすることは、ずっと自分のテーマではあるし、年末にパンチニードルのキットを購入しているので、ハンドメイドは常に新しいものへのチャレンジ精神に満ちているから、今年はどんどん「新しい」チャレンジを日常でしていこう。
 あとは、2年前にやろうと決めて、ご時世的に動けなくなってできなかったことを、今年はせめて2つはやり遂げたい。1つ目は自分で音楽のイベントを組むこと。2つ目は写真の展示をやること。もう何年もやりたいと思っているので、いい加減どうにかしたいところだ。
 やりたいことは山のようにある。それを実行する為にも、日々の掃除と家事の効率、そして早寝早起きに戻すというのもやっていきたい。
なんだかんだ言ってはいるが、40になって最も重要な課題は健康でいることで、コロナ禍にあることも影響はするが、結局のところ『体が資本』なのである。去年3月に腰痛をこじらせ、左足親指周辺に違和感が残ってしまった。ほぼなくなってはいるが、ふとした時に、そこに不自由さを感じ、完全に取り除けたらと考えるのだ。一瞬の不調が、治りにくく長引くということが、年齢によるものでもあるし、完全には抗えなくなってくる。だからこそ、自分の心に向き合ってきた2年が終わりを迎えようとしていることだし、今度は自分の身体と今一度向き合ってみようと思う。
 長々と書いてしまった。日記というより、雑記に近い。長いTwitterみたいだな。今年は文章も、もう少しうまく書けるようにならねば。

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