インフラとは,誰のものか

札幌市内でもバス路線の廃止がはじまり,同時に「山線」などと言われているけれど,要するに函館本線の廃止が「目前のもの」と,なっている。
ほぼ同時に,道内の特急列車(これも,ほとんどは,かつては急行列車だったもの)から,自由席がなくなるようだ。かなりの頻度で「ガラガラ」という感じだから,不便と思う人はいないのかも知れないけど。でも,急な用事で使おうとしたときに「座席がありません,次の列車に」などと言われる可能性があるということだ。

電電公社が,docomoになっても。
郵政が,日本郵便になっても。
一応,目立った不便は感じられない(値上げとかは凄まじい)けど,国鉄に関しては,どうだろう。民営化で諦めさせられたことが,多すぎないか?

国民として,移動することの自由はあるし,そもそも鉄路は国が敷設し,道路も鉄路もインフラとして(誰かの営利目的ではなく国民の共有財産として)整備してきたはずだ。そこに,利益の有無とかの価値観を持ち込み,必要とか不要とかという判断をするのは,おかしいと思う。

ローカル線とか,言われるかも知れないけど。
ローカルまで到達できるということが,鉄路や道路の目的なんだよ。
大都市にしか行けないとしたら,まったく違う意味のものとなる。

僕は,北海道新幹線(函館〜札幌)なんていうものが,成功するとは思ってないけど。それを,新たな「インフラ」とすることと,現状として機能しているインフラを廃止することは,全く別の次元の論点だと思う。誰かが儲かるとか,見ず知らずの誰かが便利になることなんか,比較の対象にすらならない。今あるものを守ること,補償することなくして,次のステップに進む必要はないんだ。

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