映画「あんのこと」感想(ネタバレなし)/こういう映画をわたしが観る理由

令和日本のダンサーインザダーク。

虐待や薬物のような問題は、「誰かに助けを求めていれば…」と感じる人が一定数いるようだ。しかし、生まれついた境遇によっては、助けてもらおうと思いつくことも、たとえもし思いつけても選ぶことができないなんて状況も、本当によくある。現実では、トー横キッズなんて存在もまさにそれだ。
例えでわかりやすいのは福祉関係の支援。一度でもやろうとしたことのある人は実感があるのではないかと思うのだけど、申請、一般の人でもかなり難しい。申請手続きの複雑さもそうだし、「福祉にお世話になる」という心理的なハードルが極めて高い。

わたしは過去に生活保護を受給していたことがあり、やはり話に聞いていたとおり、それはもう一筋縄ではいかなかった。もちろん役所では当然に断られ、それでも粘り続けて頼み込み(頼むというのがそもそもおかしい)、運よく受理にこぎつけたものの、詳細は省くが受給決定までに何度も挫けそうになったことを今でもよく覚えている。
20代の若者が生活保護を申請するということは、それなりの問題を抱えているわけで、わたしにとってそれは精神疾患だった(双極性障害)。健常者よりも心身がはるかに衰弱しきっている中で、健常者にとってさえ難しいあれこれをすべて自力でこなさなきゃならない。水際作戦で折れてしまう人、そもそも申請を拒む人がわらわら出てくるわけだと当時はつくづく思ったものだ。
ともかく、外部リソースを頼って社会的支援を受けるというのは、一般に想像、想定されている水準よりはるかに難しい。自分がどのような問題を抱え、支援を受けるためにどこに行くべきかを調べ、実際に足を運び、理解してもらえるように説明する。生活保護の申請などは、説明というよりあれは交渉である。精神疾患はまだましなほうで、十分な教育を受けられなかった人、社会経験に乏しい人も多くいる。これら一連のなすべきことはもはや「スキル」であって、そんなスキルを持ち合わせている人は世の中、極めて少ない。
それを踏まえて、「社会の見落とし」はどうやったら減らしていけるのだろうかと頭を抱えてしまう。

また、人間が多面的である描写もすさまじくリアルだった。こちらも具体例を出すと、「聖職者が性加害者だった」なんてニュースがまさにそれ(教師だったり、宗教家だったりも同じ)。「警察や弁護士が法を犯した」などもそう。
誰かにとっては害悪でしかない人が、ほかの誰かにとってはかけがえのない大切な存在になることもある。多面的であることそのものに善悪の概念はないので、だからこそ起きる不幸に、またもや頭を抱えてしまう。

生きるうえでの困難を乗り越えていくには、ひたすら思考し、そしてそれを繰り返し行動に移すことだとわたしは思っている。どちらが欠けても成立しない。
本作で、主役の「あん」は薬物中毒であり、それによって普通の人(あえてわかりやすく「普通」を使う)よりずっと折れてしまいやすくなっていた。さらに、生い立ちも輪をかけて状況をさらに悪化させている。救いどころがなさすぎて、鑑賞中は涙を流すことすら憚られた気がした。泣いたって現実は何も変わらない。

おそらく観客の多くはそうではない、もしくは、そうかもしれないが、それでもおそらく何かを得たくて観に来ている人たちなのではないだろうかと思う。
もしそうであるならば、もし死ぬよりもつらいことがあったとしても、かけらでも生きていたいと思ううちは、あんが一瞬でも掴んだあの強さを、わたし(たち)も持って生きようという思い。それだけが、観客にとってのたったひとつの、もはやほぼ祈りに近い希望だったように思う。
そんな希望が見出せたかとしれないと、意地でもそう思わなければ、この物語がただの悲しい話で終わってしまう。完全なフィクションならともかく、この悲劇は紛れもなく現実に起きていたのだ。あるいは、今も。


この世の地獄のような「ありえない」不幸が、よりによってほかでもない自分の身に降りかかってくるのが人生。それこそいっそ死んだほうがなんぼもましってくらいのことが、当たり前に、さらにときどきは突然に、起こる。それがわたしたちの人生。

幸せと不幸せは上り坂と下り坂と同じようにあるとわたしは思っている(この世界、上り坂と下り坂のどっちが多く存在するでしょうか?気になる人は「上り坂 下り坂 どっちが多い」で検索してみてください)。精神疾患に起因するさまざまな困難を経て、わたしは人生で今がいちばん幸せなので、この先どう転がってもいつか絶対どこかで"最悪"に出くわす。それはもはや必然だという覚悟を持って、わたしは今を生きている。

あくまでわたしは、「想像しうる困難は、そうである限り、乗り越えられるものである」と信じている(あくまでわたし個人の信念)。実際にわたしは20年近くの間、比較的重度の精神疾患を患った。底辺の生活での多くの試行錯誤を経て、その困難をなんとか乗り越えられた。だからこそ、これ以上想像の余地がないくらいに、あらゆるしんどい状況があふれているこの現実と常に接続していたい。自分に襲いかかるかもしれない災厄を、できる限りシミュレートしておきたい。だからわたしはこういう映画を観るのだろうなと思う。

これは愚痴なのだけど、わたしの両親は、思考することも行動することもできず、臭いものに蓋をして、問題をひたすら先送りにするタイプの人だった。結果、自分たちの首を絞めるような状況を自分たちで作り、そのうえ、まわりの人間が多大な迷惑を被ることになった。両親を愛していないとは言わないし、産み育ててくれたことに感謝もしている。しかし、少なくとも生き方においては反面教師でしかない。わたしがこんなにこじれているのは、あなたがたのせいです(パートナーはわたしのこじれているところが好きらしいので、まあこんな自分でも悪くはないかなと思えているけど)

わたしは今、生まれて初めて、生きていたいと思えている。大切な人と手を取り合って、これからも生きていく。だからこそ、どんな困難をも乗り越える強さを、持ち続けようと思うのだ。

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