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桜の頃にまた

平成21年1月に我が家に初めて来たウーパールーパーが今年の7月19日に亡くなった。飼育下で11年半、大往生だった。
体長25cm以上のブラックのメス、肺呼吸のためウーパールーパーの特徴である赤いエラは退化してオオサンショウウオのような見た目、生のササミ肉が大好きな子。
名前を うらん と言う。
鉄腕アトムの妹のウランちゃんからとった。

ホームセンターのペットショップで見つけた子だった。
ヘッダーの解像度の悪い写真が買ってきた日のものだ。
この時体長5cmほど、ご飯もなかなか一人で食べられないので解凍した赤虫を一本ずつピンセットでつまんで食べさせた。
まだ体も透けていて赤虫を食べるとお腹に入っていくのがわかる。
小さな命を作業机の横で育てていた。

2ヶ月後にゴールデンのこはくを飼った。
うらんの水槽に孵化用ケースをつけてしばらく一緒の水槽で育てた。

うーちゃんとこはく

こはくは冬の寒い日に水温上昇で亡くなった。
父がリビングのストーブを切り忘れたのが原因だった。
名前の由来は身体に雲母みたいなラメがあってキラキラしていたから琥珀にした。
雲母ちゃうんかい!というツッコミは無しにしてほしい。蜂蜜色だったからね。
母のお気に入りだった。

こはくが亡くなってからリューシのさんごを飼った。
もっともスタンダードなウーパールーパー。
白い身体にピンクのエラ、黒くて丸い目。手のひらでクチャっとしたような顔で愛嬌があった。

さんご

この子は水疱と水カビで1年生きられなかった。

そして平成28年にブラックのあとむを飼った。
初めてのオス。でもうらんより小さい。

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この子はうらんと同じ水槽で育てた。
元気すぎて水槽から飛び出したこともあるし、なぜか仕切りを越えてうらんの方へ入っていたこともある。お腹が空くと水温計をつつく。今もめちゃくちゃ元気だ。
元気すぎて怖い時もあるくらい。

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あとむ(左)とうらん(右)

うらんは4匹の中で一番手をかけた子だった。
初めてベビちゃんから育てた子だったこともあるし、一番病気をした。
何回も死にそうになったけれど不死鳥の如く復活した…両生類だけど…
とにかく、とても生命力の強い子だった。

エラや指先に水カビが生えた時は診てくれる獣医もなく、ネットでめちゃくちゃ調べて見つけた方法で薬浴をさせた。
(何年か後に薬浴させてはいけないと知るのだが…

食欲のない時は生のササミをやった。大好物になった。
ある時は消化不良を起こして食事を全くしなくなった。ササミも食べない。
めちゃくちゃ心配していたら口から大量の赤虫を吐いた。ブロック5個分くらいあっただろうか…
この瞬間のことを今でも思い出すのだけれど、犬が嘔吐の前兆運動をするようにウーパールーパーもするのだ。口を開けてオエッと何回もやる。
大きく開いた口からズルッと膜に包まれた赤虫が出てくる様はSF映画でクリーチャーが何か吐き出すシーンを想像してもらえればと思う。

去年の今頃は指と尻尾側から体の1/4を失った。10歳の夏。
たまに先が欠けてしまう事はあったけど、骨まで見えたことは初めてだった。
仕切りからはみ出た尻尾をあとむが齧ったか、はたまた仕切りを越えてあとむが入った時か、保冷剤で怪我したのか原因はわからなかったが、ここでもうらんは強く生きた。
怪我の程度が程度だったので、いつ死んでもおかしくなかった。覚悟もしていた。
けれど、うらんは強く生きた。
しばらくバケツで養生させて、落ち着いてから物置に仕舞っていた水槽で生活させた。
赤虫をよく食べたおかげか、取れかかっていた指も、8cmほど千切れてぶら下がっていた尻尾も時間はかかったけれど綺麗に再生した。脅威の生命力だった。

その後もたまに食欲は落ちて、嘔吐することが増えた。
1月に11歳を迎えていた。そりゃあ消化器系も弱ってくるわよ。と戻さない程度にご飯の量を調整した。

そして今年の夏。7月に入っても梅雨と低い気温が続いていた。
偶に、遅い夏の到来を予感させるような、30度近くなる蒸し熱い日もあった。
そろそろ水槽用クーラーを買いかえないと…次の楽天スーパーセールの時でいいか、なんて。
そんなことを思っていた。水温が25度を超えることはなかったから。
うらんはと言えば、赤虫の食いつきが悪かったり残す日が増えた。
もともと動かない生き物だけにじっとしていると不安になって生きているか確認することも増えた。

7月19日、食べ残しの赤虫と吐瀉物らしきものをスポイドで吸い上げる。
夕方、水槽を覗くとまた吐瀉物が水槽の底に沈んでいた。
うらんの周りに少しだけ落ちているのを吸い取るために、体をスポイドで移動させた時に異変に気付いた。


口が開いたまま、手も、尻尾も、何もかも動かなかった。


朝、掃除した時はまだ生きていたような気がする。
けれど、生きていたんだろうか…もう亡くなっていたんだろうか…
堪らなくなって買い物に出ていた母に電話して泣いた。
あんたが泣くなんて久しぶりやな、なんて言われながらわんわん泣いた。

手袋をはめて水槽から出してやる。
生前、よく手を突っ込んで抱っこしていた。ウパがやけどするので本当は触らない方がいいのだけれど、さながら手乗りウーパールーパーだった。
抱っこすると踏ん張って、爪が手のひらに当たる。じっと私の手の中に収まっていた。
でもこの日はだらりとして、なかなか手の中に収まってくれなかった。
小さな手についている爪は、もう私の手のひらに、指に、食い込むことはない。

頭を持ち上げると口がパカッと開いてしまう。
水槽に指を入れると餌と間違えてよく突きに来た。歯が無い口に突かれるのは怖くもあり、こそばゆくもあった。もう突かれることもない。

水槽を覗き込むと餌の時間かと水面に上がって見せる愛らしかった顔、いつも笑ったような顔をしていたのに、何の表情も見せてくれなかった。
1週間、ほとんど餌を口にしなかったので丸々としていたお腹はぺたんこになって、25cm以上あった身体はいつの間にか小さくなっていた。
今思えば、死を迎える準備をしていたのだ。

11年と6ヶ月
人間の子が小学6年生になる、長い長い年月だ
小さい頃は一人で餌を食べることもままならず、ピンセットで一本ずつ、長い時間をかけて食事をさせた
病気になれば原因を調べ、治療し、環境を整える
動物に対し人間は尽くすことしかできない

うらんは
ありがとうを言う口を持たない
私に笑いかける表情を持たない
水と陸だから寄り添うこともできない
ただ、生きていてくれれば充分だった
これは、無償の愛に近いのだろうか
自分の子供のような存在だった


母に手伝ってもらって今年買った桜の苗の鉢にうらんを埋めた。

線香を立てて手を合わせる。

12年目の春、桜が花を咲かせたらきっとまた会えるだろう。

ありがとう、うらん



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