フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン

姉さんの友人がステージに立って歌うのを、私は聴きに来ていた。
日曜日の昼間、あまり大きくもない市民会館。家からバスで30分くらいの距離。おじいちゃんやおばあちゃんが数多くを占める、小さなホールで。
私が姉さんとその場所についたのは、開演ぎりぎりの時間だったというのに、二人してゆったりとした足取りで入口に向かっていたところを、ブロンド髪の女性に声を掛けられる。
姉さんの友人は私たち姉妹のほかにも沢山の人を招待したようで、道中で彼女の知り合いに遭遇しては英語で沢山挨拶された。(彼女は英語圏のつながりをたくさん持っている女性だから、当たり前だった。)英語を使って飯を食っている姉がにこやかに会話するのと対照的に、私はいつものようにうまく答えられず、視線を横にずらして曖昧に笑ってやり過ごした。そうすると、心がずうん、と鉛のように重くなって、上手に息ができなくなる。私は生まれた時からほぼ日本に住んでいるけれど、初めて会った大抵の人には日本人として扱われない。かといって英語圏の人間になることもできない。そういうコンプレックスを何度も思い出すのは、こういった簡単なやり取りからだ。自分が誰だかわからないような、乖離していく悲しみが、ずっとある。相手はなんでもないかのように笑ってくれるけれど、それがもっとつらい。そういうのを抱えて、気分が落ちたままコンサートホールに入ると、すでに姉の友人がステージの上に立って歌っていた。彼女はジャズを題材にした歌を歌った。パリ、ダリ、リラ、とスキャットを口ずさむようなアップテンポな曲、テーマパークで馴染みのあるようなスイングや、巻き舌が印象的なラテンな曲。そして、それらをすべて歌い終えたあとに、彼女が静かに告げた最後の曲の名前。私はその言葉を聞いて、動けなくなった。右耳のストレスの名残が小さく鳴り響いていた。

「最後の曲です。ナチュラル・ウーマン」

ナチュラル・ウーマン。その言葉を聞いたとき、走馬灯みたいにセリフが思い浮かんだ。

『私、あなたを抱きしめた時、生まれて初めて自分が女だと感じたの。男と寝てもそんな風に思ったことはなかったのに。』

私が20のときに初めて読んだ小説。暴力的で荒々しいような、黒い雲の間から一筋の光が差すのを、長い航海の途中で偶然目の当たりにしたかのような印象を持つ、女性同士の恋愛を描いた小説。日本人にもなれず、外国人としても振舞えず、更には異性を好きになることもできない、私の救いになった小説。その小説の名前こそが「ナチュラル・ウーマン」だった。
(恥ずかしいけれど、私はこのライブで初めてちゃんと曲を聞いた)

"ユーメイク・ミー・フィール・ソー・アライブ、ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン"

小説の中で確かに言及されていたそれが、音楽として私の耳に届いた。

日曜日の市民会館で私は泣いた。
何かに感動すると、涙はたいていの場合は右目から流れ出る。今回のは、まさにそれだった。ステージの上から優しく語り掛けるようなそれに、運命めいたものまで感じ取っていた。

ナチュラル・ウーマン。
ナチュラル・ウーマン。
フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン。

原曲をろくに聴きさえもしなかったのに、私はこの言葉を脳裏に携えて生きてきた。そしてこのホールで初めて音楽として届いた『ナチュラル・ウーマン』が、私にとっての答え合わせになった。


帰りのバスで、ただ一言「ナチュラル・ウーマンって曲、よかった」と感想を述べた私に、姉さんは「人種差別への反対と、女性の自由を歌った曲だよ」と教えてくれた。
そして、家に帰った後に、アレサ・フランクリンがケネディ・センター名誉賞の祝賀公演でナチュラル・ウーマンを歌っている動画を見せてくれた。その動画では、オバマ元大統領が泣いていた。
その力強い歌声を聞いているうちに右目から涙がまた溢れて、結局私はボロボロ泣いた。



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