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【畦地梅太郎】 木版画 「白い像」1958年 査定 買取 致します。

作品名: 白い像

作家名: 畦地 梅太郎

作品詳細: 1958年 木版 68.7×45.2cm


◎畦地 梅太郎の芸術

畦地梅太郎(Umetaro Azechi、1902年 - 1999年)は、日本の版画家であり、山岳登山家でもありました。彼は特に山々とそれに住む人々を描いた版画で知られています。

梅太郎は愛媛県宇和島市で生まれ、農家の家庭に育ちました。彼は若い頃から芸術に情熱を持っていましたが、地方の農家の出身という困難な背景にもかかわらず、1920年に東京へ移り、新聞配達の仕事をしながら美術の通信教育を受けました。

彼の芸術的なキャリアは、1923年の関東大震災後に一時的に宇和島に戻ったことで変化しました。その後、彼は再び東京へ戻り、政府の印刷会社で働き始めました。ここで、彼は印刷技術と素材を活用して版画制作を実験的に始めました。

彼の芸術的な転機は、版画家平塚運一との出会いによって訪れました。平塚からの支援と刺激を受け、梅太郎はフリーランスのアーティストとしての道を歩むことになります。財政的に厳しい時期もありましたが、彼の才能は徐々に認められるようになりました。

太平洋戦争後、梅太郎は独自のスタイルを確立しました。彼の作品は、山岳のシーンや登山者をシンプルな形と広大な平面で表現しました。また、彼は山岳登山に情熱を持ち、プリントの制作や山に関する書籍の執筆で生計を立てました。

彼はサンパウロ、ルガノ、東京で開催された版画ビエンナーレに参加し、成功を収めました。彼の作品は、サンフランシスコのアチェンバッハ財団、シカゴ美術館、ボストン美術館、ロンドンの大英博物館などの主要な美術館に収蔵されています。

梅太郎は1999年に97歳で亡くなりましたが、彼の作品は今日もなお、多くの人々に愛され続けています。彼は版画家としてのみならず、登山家としても注目された独特の芸術家でした​​​​。


◎畦地梅太郎の木版画

畦地梅太郎の木版画は、彼の生涯の情熱である山岳登山に密接に関連しています。梅太郎の作品は、山々と山岳風景、そしてそれらの風景に生きる人々を描いたものが多く、彼の版画はシンプルな形態と広大な平面を特徴としています。彼の作品は、山のシーンや登山者をユニークな視点から捉え、しばしばシンプルで大胆なスタイルで表現されています。

彼の木版画には、山や自然を愛する彼の深い感情が反映されており、その作品はしばしば荒々しく力強い表現を持っています。彼は色彩の使用においても独特で、鮮やかで力強い色を用いることがあります。この色使いは、山岳風景の壮大さと美しさを際立たせ、彼の作品に独自の魅力を与えています。

梅太郎はまた、彼の木版画において人物の表現にも特に力を入れており、登山者や山に住む人々を力強く、時には詩的に描いています。彼の作品は、自然と人間の関係、特に山岳地域での生活を深く掘り下げており、これらのテーマは彼の生涯を通じて一貫しています。

彼の木版画は、日本だけでなく国際的にも評価されており、サンフランシスコのアチェンバッハ財団、シカゴ美術館、ボストン美術館、ロンドンの大英博物館など、世界中の主要な美術館に収蔵されています。

畦地梅太郎の木版画は、彼の芸術的なキャリアと、彼が愛した自然との深い関係を示しています。彼の作品は、日本の版画の伝統に新しい息吹を与え、彼の個人的な情熱と芸術的な才能が結びついた独特の芸術スタイルを生み出しました​​​​。


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