見出し画像

ありがとう

みなさん、ポケモン、好きですか?

私は、大好き。

私の青春時代を彩ってくれた、とても大切な作品です。



小学生の頃は、男女問わずクラスのほぼ全員がポケモントレーナーでした。

学校が終わって帰宅すれば、すぐさまゲーム機を持って友達と集まる。

バトルしたり、交換したり、どうすれば攻略できるかを教えあったり。

宿題なんて、そっちのけ。

割り算が苦手でも、漢字の書き取りを間違えても、理科の化学反応がわからなくても、ポケモンが好きだという気持ちさえあればそれでいい。

だって、私たちは''ポケモントレーナー''だから。

ポケモンをきっかけに仲良くなって、ポケモンが原因で喧嘩して、ポケモンのおかげで仲直りできた。

私の隣には、いつだってポケモンたちがい居てくれました。


ちなみに、人生で初めてのパートナーは、女の子のアチャモ。

不甲斐ないトレーナーのせいで負けてばかりだったけど、ちょっとずつ強くなって、進化して、チャンピオンに勝てたときは嬉しかったな。

今でも一番好きなポケモン。

シリーズを超えて、ずっと私のそばで戦ってくれた最高の相棒です。



もちろん、アニメもずっと見ていました。

リアルタイムで見始めたのは『アドバンスジェネレーション』から。

サトシとピカチュウたちの冒険に胸を躍らせ、

「いつか私もアチャモと旅をしたいなぁ」

なんてことを思っていました。



私にとってとても大切な作品ですが、少しだけ距離を置いていた時期がありました。

いや、正確には

''置こうとしていた時期''

です。

思春期と言われる年齢を迎えて、クラスの中でもなんとなく

「ポケモン?子供が見るやつやんなー。」

みたいな空気が漂い始める。

女の子の間では、特にそれが顕著でした。

私の周りも例に漏れず。

臆病だった私は、

「私は今でも好きやよ」

の一言が言えなかった。

「そうやんなー。
昔は見てたけど、もうさすがに見んわー。」

なんて、思ってもない言葉を発する。

でも、態度は取り繕えたとしても、やっぱり心は素直で...。

もう見ないわーなんて言っておきながら、家に帰るとしっかり見てる。

ゲームだって、

「まだポケモン好きなん?」

と言われるのが嫌で、親に隠れてコソッと買って、コソッとプレイしていました。

距離を置こうとしても、私にはできませんでした。

それをするには、大切すぎて、思い出深すぎたから。



そんなポケモンのアニメが、ひとつの節目を迎えようとしています。

26年続いたサトシとピカチュウの冒険の幕が、今まさに降りようとしている。

アニメ自体は続きますが、サトシとピカチュウの冒険を見られるのは、これが最後。

「永遠に続くものだ」と根拠なく思い込んでいたものが、ある日突然終わりを迎える。

心にぽっかり穴が空いたようで、すごく寂しい。

ポケモンと一緒に織り上げてきたたくさんの思い出たちが、走馬灯のように駆け巡ります。



そんな中、ぼんやりとYouTubeの海を漂っていると、サトシ役の松本梨香さんのTHE FIRST TAKE を見つけました。

投稿時間をみると、ほんのさっきアップロードされたばかり。

ほとんど脊髄反射で動画を再生する。

笑顔の松本さんの映像が流れ、幼子に語りかけるかのような優しい

「いくよ?」

という声に続き、いつもの力強い

「ポケモン、ゲットだぜ!」

の掛け声。

大ヒット曲、『めざせポケモンマスター』です。



フルで聴いたのは、かなり久しぶり。

当時の思い出がぶわぁーっと頭に広がり、懐かしくも切ない気持ちに。

楽しい曲のはずなのに、気づけば涙が頬を伝う。

全て歌い終えたあとの、松本さんの

「はぁー。

楽しかった!!」

という言葉で、ギリギリ目の中に留まっていた涙が次から次へとこぼれ出す。

こんなに質量のある言葉を聞いたの、いつぶりだろう。



音楽って、不思議な力を持っていますよね。

それを聴いているときの状況や心情を丸ごと包み込んで、ひとつの大きな''思い出''として脳や心に残り続ける力。

時間が経てば経つほど、曲と思い出が強烈に結びついていく。

幼い頃に夢中になったアニメの主題歌を十数年ぶりに聴いたとき、当時の思い出が突然洪水のように溢れだすことがあります。

今まで無意識の中に押し込まれていた無数の記憶たちが、その主題歌をフックとして意識領域に引っ張り上げられるからなのかもしれませんね。


そういえば以前、「スキな曲」というテーマで記事を書いたときも、ポケモンのアニメ主題歌を取り上げました。

執筆にあたってその曲を改めて聴いてみて、いろんな思いが込み上げてきたのを鮮明に憶えています。




たくさんの思い出を詰め込むことができる''音楽''という名の箱。

今でこそ、私の中にある『めざせポケモンマスター』の箱はパンパンに詰まっていますが、出会った当初は空っぽだったと思います。

もちろん、この曲自体には様々な意味や願いが込められていたと思いますが、受け手である当時の私は、恐らくその百分の一も感じ取れていませんでした。

たくさんの願いが詰め込まれているであろう『めざせポケモンマスター』の箱が、ある日ぽんっと空から降ってきた。

当時の私にとってはよくわからないもので埋め尽くされた箱が、突然目の前に現れた。

とりあえず逆さにして全部外に出す。

空っぽになった箱を抱え、これから始まるであろう未知の冒険の予感にわくわくした。


それからは、どこへ行くにもその箱と一緒。

学校の教室では昨日見たアニメの話で盛り上がり、放課後は友人たちとポケモンバトルに勤しむ。

そうしてできたたくさんの思い出たちを全部箱に詰め込んで、日に日に中身がいっぱいになっていく様子に、思わずニンマリ笑顔がこぼれました。

嫌なこと、辛いこともあったけれど、それも全部この箱が受け止めてくれた。

言うなればこの箱には、当時の私の''すべて''が詰まっていました。



先日、久しぶりにフルで『めざせポケモンマスター』を聴きました。

いつの間にか無意識の海に沈んでいた『めざせポケモンマスター』の箱が引き上げられ、途端に中身があふれ出す。


あのとき、あんな楽しいことがあったな。

そう言えば、あれは結構大変だったな。


懐かしい思い出たちが、我先にと私の意識に登ろうとします。


ユメは いつか ホントになるって

だれかが歌って いたけど

つぼみがいつか 花ひらくように

ユメは かなうもの
『めざせポケモンマスター』より


この歌詞、昔はあまり好きじゃなかったんだよな。

「夢は叶わないほうが多いから夢っていうんやし。
みんな叶ってたらこの世はスポーツ選手と医者で溢れてるわ。」

なんて、斜に構えたようなことを考えていた時期があった。


それから時が流れて、小さな夢が叶ったときの嬉しさを知った。

小さな夢が散ったときの悔しさとやるせなさを知った。

小さな夢に向かって努力することの辛さと大切さを知った。


その上でさっきの歌詞を聴くと、全く違う印象を持ったものとして感じられました。

キレイゴトだと一蹴していた言葉が、私の心にズドンと響く。

こんなに眩しくて、真っ直ぐな言葉を、どうしてあんなに屈折して受け止めていたんだろうか。

とても重く、それでいて軽やかで、素敵な歌詞じゃないか。



...あ、またひとつ、この曲にまつわる思い出が増えた。

今この瞬間のこの気持ちも、あの箱に入れよう。

そう思い立ち、箱を引き寄せる。

隙間に詰めようと押し込みますが、もう既にパンパンになった箱には、水の一滴も入る隙間がありません。

せっかくの新しい思い出を入れることが出来ない。

行き場を失った思い出が、不安そうに漂う。

それでもなんとかギュッギュッと詰め込んで、無理やり蓋を閉めようとする。

案の定閉まるはずもなくて、詰め込んだばかりの思い出がポロポロとこぼれる...。



『めざせポケモンマスター』を聞きながら私の頬を伝った涙は、このときこぼれ出した''新しい思い出''だったのかもしれません。

歌い終えての松本さんの

「楽しかった!」

という言葉を聞き、そのときの松本さんの心情に思いを馳せる。

同時に、私自身の今までの様々な経験をそこに重ね合わせる。

いろんな思いが湧き上がる。

これもまた、新しい思い出。

そうしてまた箱に詰め込もうとするけれど、既に定員オーバーを迎えた箱に、もちろんそんなスペースはない。

次から次へと生まれる思い出たちが、箱に入ることができなかった思い出たちが、とめどなくあふれ出す。

私の涙が、あふれ出す...。



⚡️▼o'ᆺ'o▼⚡



長々と書きましたが、とにかく言いたかったのは、私は今も変わらずポケモンが大好きで、サトシのピカチュウの冒険に胸を躍らせているということ。

あれから十数年が経ち、小学生だった私は社会人になった。

それでも、ポケモンに対する気持ちはあの頃と何も変わっていません。

彼らの冒険を見ることはできなくなりますが、これからもこの広い世界のどこかで旅を続けていることでしょう。

もしかしたら、松本さんも一緒かもしれませんね。

サトシのピカチュウの、そして、松本さんを初めとするポケモンを愛する全ての人の旅路に、幸多からんことを。



これからも、末永くよろしくね。

この記事が参加している募集

振り返りnote

いただいたサポートは、より良い記事を書くためのインプット費用にあてたいと思っております😊