メリーゴーランド
ふと心が動く瞬間がある。
心の奥から燃え盛る焚き火のように熱く、震えるように。
自身の中から湧き上がる熱量を感じ取ることが多々ある。
美しさや愛おしさ、情熱溢れる瞬間に震える瞬間がある。
仕事場へ向かう道中、自転車を漕ぎながら毎朝1人思うのだ。
今日もまだ死んでたまるか
と。
不思議と湧き上がるように思うのだ。
まだ死ねない、まだ死にたくない、死んでたまるか。
まだまだやり残したことがある。
明日もこれをやりたい、挑戦したい、忘れたくない記憶がある、しまっておきたい思い出がある。
尽きない情熱がある。
これこそ人間の性が剥き出しなのだ。
そして1日の終わりに必ず毎日思うのだ。
今日も1日やりきった、死んでももう悔いはない。
と。
そしてまた朝が来れば掻き立てられるように、生き急ぐかのように『生』を体感するのだ。
その日々の繰り返しだ。
心から死にたいと願った過去のか弱い自分は一体どこへ姿を消えたのか、と自身を笑ってやれる自分がいる。
「おまえは止まることを知らないな」
とよく人に言われる。
嫌味か良い意味かはわからないが。
きっと両方だろう。
立ち止まることを知らない、後退を知らない。
たぶん胸に刀が突き刺さっていても気づいていないタイプだ。
ここ最近学んだことがある。
人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だということ。
人は苦悩を好む。
悲劇の主人公になれば、さぞドラマティックな刺激的な人生に思えるからだ。
その渦の中で、人は生涯もがき模索し、確信的な答えを追い求め、生きてそして死んでいく。
そんなの面白いじゃないか。
長い目で見ればなかなかの喜劇な人生だ。
その一コマ一コマの一瞬の苦悩にピントを合わせて生きていくのが人間なのだ。
唯一の特権だろう。
それさえも美しい。
人生にはそれくらいのスパイスがあった方が面白味が増す。
煮込めば煮込むほど人間に味が出る、深みが出る。
料理と一緒さ。
メリーゴーランドと一緒で、本当は同じ場所をぐるぐる巡っているだけなのかもしれない。
同じ馬に乗り、一定のスピードで回り続ける。
たまに故障もして、上手く動かなくなったりして。
天気が悪い日もあるだろう。
照りつける太陽が眩しすぎて思わず目を背けたくなることも。
同じ場所で回り続けるが故に、同じ事柄の繰り返しのように一見思えるだろう。
そうではないのだ。
昨日と全く同じ景色がそこにみえるかい。
そうではないのだ。
どこに人生のピントを合わせ、心を震わせるかなのだ。
あの観覧車の向こうに小さく見える一本の木に気付いているかい。
コンクリートの裂け目から力強く生きる輝くタンポポはあなた自身かもしれない。
ある時は、自分の足元のほどけた靴紐が人生の最大のヒントになるかも。
今日の雲の形は竜に似てるな、なんて。
そんなバカらしいことの繰り返しが、人生のどんでん返しに繋がったり。
明日は何がある?
1秒先に何が起こる?
日々変化は続く、問題は起こる。
でもそれでいいのだ。
むしろそれがいいのだ。
起こるべくして事は起こるのだ。
どーんと構えりゃいい。
今度は何が来る?
私の人生にどんな味を出してくれる?
かかってこいよーっと。
人間ってどうやら、巻き起こる日々の混乱が喜びのようだから。
“生きている”ということをもっと楽しんで。
今日もあなたの人生は最高に喜劇で美しい。
明日も情熱を探しにいこう。
ROGORONA
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