懺悔

少し前に、仲間内でセットをしたときの話。

自分がツモろうとしたときに下家から仕掛けが入り、牌を山に戻した。

ただ、牌はすでに見えていて、役牌だった。

そして、次巡にツモった対面はその牌ではなく別の牌を切った。

自分の手の内には見えた牌を含む字牌が孤立した状態で2、3枚あったが、その牌は進行上出ていくまで引っ張ろうと思った。

結果、テンパイで切って対面が鳴き、出てきたのがアガリ牌で、自分がアガった。


その後、自分は見えた牌を切らなかったことを責められた。

切るならさっさと切れ、テンパイまで切らないなら最悪アガるな、と。

腹を立てるのも無理はない。卓内では全員が平等なはずなのに、自分だけが有利になる情報を持ち、それを利用した打牌をしていたことになるからだ。

自分の手はそれほどたいしたものではなく、字牌はその前からある程度温存していた。もしかしたら、牌が見えていなくともたまたま同じ進行になっていたかもしれない。けれども、それを分かっている相手からすれば非難したくなる気持ちはあって当然だし、そもそも自分に「鳴かれそうだから切りたくなかった」というずるい考えがあったのは事実だ。白か黒かで言うなら、間違いなく黒である。

その場はもやっとしたまま麻雀が進み、終わってからも少しその話をしたが、自分は質問にうまく答えることができなかった。ばつが悪かったのだと思う。

もちろん、相手には詫びた。だが、そういうアンフェアなことをするヤツと、再び麻雀を打ちたいと思うだろうか。もしくは、自分がそういうアンフェアなことをする人間だと知った人は、自分と麻雀を打ちたいと思うだろうか。


事象を防ぐだけなら、おそらく最高位戦のように所作に対しても厳格に、先ツモなどをしないように徹底すればいいのだろう。ただ、今回の最大の問題は、アンフェアなことをした自分の精神性である。一応、自分もフェアに麻雀を打ちたいと思っていたはずであり、今回の一件はそんな自分を裏切ったことにもなるからだ。

あれからしばらく経つが、麻雀を打っていてかつてほどの楽しさを感じない。相手や麻雀に対する後ろめたさか、あるいは自分への失望かもしれない。


今後はしないようにする、と言ったところでそれを証明するすべはないし、現に一度やってしまっているわけなので、疑いの目で見られてもしょうがない。けれども自分はそれを承知の上で、クリーンな麻雀を打つように努めるしかないと思う。

こんなことは、本来なら公表しなくてもいい。けれどもそれをあえて書き記したのは、ある意味で懺悔であり、けじめであり、戒めでもある。同卓する全員が気兼ねなく、気持ち良く麻雀を打てることを、今後は改めて心掛けたい。それは、自分が麻雀をより楽しむことにもつながるからだ。


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