世界史B イスラム史Ⅰ ムハンマド誕生~正統カリフ時代

文系世界史選択者にとっての一つの山であるイスラーム史をまとめます。このnoteではセンターだけの人、二次試験を世界史で受ける人どちらにも対応しています。二次試験論述を受ける人はこのnoteを全暗記がmustです。

イスラム教の成立

時代は6世紀。オリエント(今のイラン~トルコ東部)ではビザンツ帝国ユスティニアヌス帝ササン朝ペルシャホスロー1世が争っていましたそのせいでオリエントを通る貿易は衰退し、代わりにアラビア半島のヒジャーズ地方をとおるセムアラブ人による隊商(キャラバン)貿易が繁栄しだし、メッカメディナなどの都市が栄えました。しかし、商売が発達するにすれ貧富の差が大きくなり、拝金主義がはやり、アラブ人の昔の共同体は失われてしまいました。そこに出てきたのが、メッカ出身クライシュ族ハーシム家の商人ムハンマドです。彼は瞑想の途中、大天使ガブリエルによりお告げを授かります。彼は自分はモーセ(ユダヤ教)、イエス(キリスト教)に次ぐ最後の預言者だとし、唯一神アッラーに対する絶対的帰依、偶像崇拝の禁止、六信、五行(信仰告白礼拝断食喜捨巡礼)などを唱えました。

しかし彼の主張はメッカでは受け入れられなく、彼は622年メディナに移住します。これをヒジュラ(聖遷)といいます。そしてそこで教えを広め、イスラム共同体(ウンマ)を設立し、満を持してメッカに攻め戻りメッカのカーバ神殿を聖殿として、なかにあった他の神の偶像を破壊します。(630年)。622年は太陰暦のイスラム歴元年とされています。彼は632年アラビア半島を統一して亡くなりました。

正統カリフ時代

ムハンマドの死後、彼の後継者で代理人であるカリフ選挙で選ばれるようになります。

第一代カリフ   アブーバクル(ムハンマドの義父)
第二代カリフ   ウマル
ウマルは積極的にジハード(聖戦)を展開し、642年ニハーヴァンドの戦いササン朝ペルシャを破り、651年に滅亡させます。またエジプトやシリアをビザンツ帝国から奪い取りました。
この時代征服地には軍営都市ミスルが築かれ、総督(アミール)が軍政にあたり、ミスルに住むアラブ軍兵士はカリフからアターと呼ばれる俸給を受け取っていました。
第三代カリフ ウスマーン 聖典クルアーン(コーラン)を編纂
第四代カリフ アリー 
アリーが暗殺され、正統カリフ時代は終わりました。

★イスラームのいろは

聖典:クルアーンアラビア語
礼拝所:モスク
征服された土地にはモスクと尖塔(ミナレット)が立ち、そのそばには市場(ペルシャ語でバザール、アラビア語でスーク)が賑わい、イスラム知識人のウラマーを養成するためのマドラサが建てられました。
また、ユダヤ教徒キリスト教徒啓典の民とみなされ庇護民(ジンミー)として扱われました。
ウラマーと呼ばれるイスラーム知識人がイスラーム法(シャリーア)をもとに人々を審判していました。(例)電話が発明されたとき、ウラマーたちが互いに電話し、コーランの声が電話を通して聞こえるのを確かめて、初めてイスラム教徒の電話使用が許可されました。





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