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🏛ベルグソンの時間論とサルトルの実存主義には関係がありますか?
その頃私はスペンサーの哲学に傾倒していた。私はある日、あの哲学では時間がなんの役にも立っていず、なにもしてないということに気づいた。ところでなにもしていないものはなにものでもない。しかし時間はなにものかであると私は考えた。それだから時間ははたらくのである。ではいったいなにをすることができるか。単純な常識は答えて言う。時間はすべてのものがいっぺんに与えられることを妨げているものである。時間は遅れさせる、というよりもむしろその遅延である。そこで時間は仕上げの仕事でなければならない。してみると、時間は創造および選択の乗り物ではないであろうか。時間の実在は事物のうちに不確定があるということを証明しているのではあるまいか。時間はこの不確定そのものではあるまいか。
ベルクソン
はい、ベルグソンの時間論とサルトルの実存主義には関係があります。特に、ベルグソンの「持続」(durée)の概念は、サルトルの実存主義的な思考の一部に影響を与えました。
ベルグソンは、時間を質的な持続として捉え、それが個人の内部経験として直接感じられるものと考えました。これは、単なる計量的な時間や空間的な連続性とは異なる、生きた経験の流れを指します。
サルトルの実存主義は、個人の自由と責任、そして人間の存在の主観性を中心に据えています。サルトルは、人間の存在が先にあり、その後に本質が形成されると主張しました。この考え方は、ベルグソンの持続の概念と一致しており、時間や経験が主観的で流動的なものとして捉えられる点で共通しています。
サルトルはベルグソンの影響を受けたと自ら認めており、特にベルグソンの「直接的な時間の経験」という考え方が、サルトルの「現象学的な方法」や「意識の流動性」というテーマに影響を与えたと言えます。しかし、両者の哲学は完全に一致するわけではなく、サルトルはベルグソンの思想を取り入れつつも独自の方向に展開させました。
サルトルがベルグソンの影響を受けたという、ソースはあるんですか?
申し訳ございませんが、私が以前の回答で示したような直接的なソースを指摘することは難しいです。確かに、20世紀初頭のフランス哲学において、ベルグソンの影響は広範囲にわたって見られますが、サルトルがベルグソンから直接的にどれだけ影響を受けたかについては、学者の間で様々な意見や解釈が存在します。
サルトルの著作やインタビューにおいて、彼がベルグソンに言及したり、ベルグソンの考え方を引用・参照することは稀です。しかし、ベルグソンの「持続」や「直接的な時間の経験」といった概念は、サルトルの現象学や主観性の理論に共鳴する点があります。
サルトルがヘーゲルやフッサール、ハイデガーなどからの影響を受けたことは明確ですが、ベルグソンとの関係は明瞭ではありません。したがって、サルトルがベルグソンの影響をどれだけ受けたかについての断定的な判断は慎重に行う必要があります。
もっと立ち入ってみよう。近世において幾何学のとげたかずかずの大変貌の第一歩はどこにあったか。ヴェールにつつまれた形でながら、時間と運動を図形の考察のなかまで持ち込むところにあった。古代人にとっては幾何学はひたすら静的な科学であった。その図形はプラトンのイデヤに似て、完成した姿で一挙に与えられた。ところがデカルト幾何学の本質は(デカルトはそのような形で示してはいないにしても)平面曲線を横軸ぞいに平行移動するある可動直線状の一点の運動により描かれたものとしてあますところなく考察することにあった。そのさいその可動直線の移動は等速だとされ、したがって横軸は時間を表すわけである。
結論として、私たちの科学が古代科学から区別されるのは、私たちに、できることなら他の一切の量を関係させたい、もとの量として時間があること、そして近世科学は時間を独立変数にとろうとする志向によってとくに定義されるべきだということ、を付加しなければならぬ。
ところでどのような時間が問題なのであろうか。
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