3年生の授業を振り返る④~和声との3年間の戦いの記録~
「芸大受験してみた。」のほうに書いた通り、ワタクシ、和声については完全なる付け焼刃で受験を乗り切りました。それは、時間的にそれしか手段がなかったのもあるけれど、楽理科では「中級」が必修科目ながら楽理科以外の科ではそもそも和声が受験科目にないことから、入学してからほかの科の「初級」を聴講することから始めようという目論見もあってのこと。しかしながら、和声を牛耳る作曲科は聴講というものを頑として受け付けておらず、それはソルフェで親しくなった初級和声の担当でもある先生に「絶対に邪魔しないので教室の片隅にいるのを見逃してもらうだけでいいんですけど、それでも追い出されるんですか?」と聞いたら「そうです」と申し訳なさそうに言われたほど厳格な決まりのようでした。
仕方がないので楽理科の中級クラスに顔を出してみたものの、みんながスラスラ答える超初歩的な出題にも首を傾げてニコニコするしかなかった1回目の授業。終わったあとで先生に泣きついたところ、私にだけ別の課題出したりもできるから来週相談しましょう、と言われてちょっと希望を見出したのも束の間、相談する気満々で自分が使ってきたテキストなど持ち込んで臨んだその「来週」、次の授業があるからまた来週と逃げられ、その「また来週」も同じようにして逃げられ…。先生には劣等生の相談に乗ってくれる気などそもそもなかったのだと悟ってからも、どうやら出席さえしていれば単位はもらえることが分かり、とりあえず授業に顔だけ出し続け(て一応前期は試験も受け)ること半期と1か月。何をやっているか全く分からない授業のために時間を割くことの無意味に耐えかねて、11月からとうとう行くのをやめました。これはそこからの戦いの記録です。
1年生冬:担任に相談するの巻
授業に行くのをやめた時、これはもう卒業を諦めろという啓示なのかなと一方では思いつつ、でももうちょっと道を探ってみてからでも遅くないような気もして、作曲科にはもう何を言っても無駄なの分かってるけど楽理科の先生ならもしかしたら、と思って学年担任のところに相談に行ってみました。なんかもう話してるうちに恥ずかしながら涙が止まらなくなってしまったのだけど、単位のためじゃなくせっかくなら分かるようになりたいから初級から始めたいのだ、という私の訴え(およびアラフォー女の涙)は先生にも響くものがあったようで、大学院生による補習を提案してくださいました。
それで1月から補習を受け始めたのだけど、その院生さんは学部が芸大じゃなかったため、もはや授業の何が分からないのかも分からない状態だった私に何を教えていいのかよく分からぬご様子で。しかも、なにせ1月半ばにはすべての授業が終わって春休みに入ってしまう芸大です。その院生さんはその年で卒業だったため、3回ほどレッスンを受けたところで、じゃあ来年度がんばってねってな感じであっさり終了。親身になってくださった担任の先生にも院生さんにもものすごく感謝はしたけれど、和声が分かるようになる道は見えなかったから、これはやっぱり卒業を諦めることになるのかなあ…と思いながら1年生は終わっていきました。
2年生:人格否定され(た気にな)るの巻
毎年度(毎期)、1週目はいろいろな授業をお試し受講してみて時間割を確定させることにしています。なのでなんの勝算もないまま、とりあえず和声にも顔を出してみたところ、この年の授業は生徒全員の自己紹介からのスタートで。そこで初めて知ったのが、全員が受験の過程で「赤い本」と呼ばれる、芸大の授業で使っている教科書とは別のテキストを通ってきていることでした。そうか、私もそこから始めればいいのかと思い、さっそく図書館で借りて4月からGWにかけて自習に励んだのだけど、やはり読むだけでは分からないことが出てきます。そこでGW明け一発目の和声の授業後に先生に相談したところ、そんなんじゃなく芸大の教科書を使いなさい、とりあえず今日から毎日1問ずつ解いていきなさいと。それでできるようになるかはセンス次第だから保障はできないけれど、まずはそこからですと。
え、えぇ…。その通りなのかもしれないけれど、この先生についていく気にはちょっとなれないなと思い、その年は5月半ばでもう授業に行くのやめました。そして、このまま非卒業コースを進むのかなあ、でもまだ啓示の決定打ではない気がするなあと思いながら過ごしていた秋ごろのこと。1年生の時に超お世話になったソルフェの先生と構内で偶然遭遇し、この先生になら教えてもらえるかも!とふと思って事情を話したところ、授業についていけないような劣等生に教える和声はない、というようなことを言われてしまい…。この先生に対して、ソルフェを楽しいと思わせてくれたという点で感謝が消えることは生涯ないけれど、これは純粋にショックだったな。なんだか、二人の先生から人格否定された気になった2年生の和声でした。
2年生終わり:同級生に活路を見出すの巻
そんな2年生の後期の終盤、同級生何人かとファミレスでランチする機会がありました。その中の何人かが和声上級でも優秀な成績を修めていることを知った私が、そしたら私に和声を教えるバイトしない?とこれまたふと提案したところ、二人の同級生があっさり「いいですよ」と。バイトじゃなくタダでいいとまで言ってくれて(もちろんそれは断った)、なんていい子たちなの!と感動することしきり。芸大で中級を終えてる子たちだから院生さんの時にあったような問題もないし、3年生になったらお互いの時間割をすり合わせて空きコマに練習室を借りてレッスンを受ける約束をとりつけ、希望に満ちた春休みを迎えたのでした。
が、そこにやってきたのがコロナ禍によるリモート授業…。空きコマに練習室に集まるどころか、まずその同級生たちと会うことすらかなわないまま3年生の授業が始まりました。私の和声チャレンジもここまでかと思い、もう今年は和声と時間が被ってる別の授業を履修しようと、実際1回目のお試し授業はそっちを受けたほど。なのだけど、前期の和声中級は、教科書の著者でもある作曲科の偉めの先生のよるオンデマンド授業と、別の若い先生によるリアルタイム授業が隔週で行われる形。つまり1回目はオンデマンドだったので、別の授業を受けてから一応そっちも見てみたところ…なんと、すごく分かりやすかったのです!
3年生:すべてまるっと解決するの巻
今振り返ると、1年生の時の授業って本当に、みんながすでに中級和声を身に着けていることを先生が確認するためだけの時間だったのだなと思うわけですが。書法では、席順に当てられた人が1小節ずつ答えていって20人くらいで1曲を完成させる形だったから、1曲がどういう流れでできるのかが私には分からず。ほかにこういうやり方もありますって回答例も、先生がピアノで弾くだけだから聴音できない私にはこれまた分からず。課題を提出したとて、ここが違ってたよって言われるだけで、じゃあどう直したらいいのかは教えてもらえず。そして演奏では、これを移調して弾く試験がありますって課題を配られるだけで、どんな練習をすればできるようになるのかはもちろん、移調奏と和声がどう関わっているのかすら分かりませんでした。
3年生のリモート授業で起こったのは、これらすべてがまるっと解決するという奇跡。まずオンデマンドで偉い先生がポイントを説明しがてら課題を指定してくれて、その課題をオンラインで提出すると若いH先生が添削してくれて、リアルタイム授業ではH先生が多かった間違い例を引きつつ、H先生のやり方で1曲まるまる解いて見せてくれる。その際、譜面を書いてる手元またはピアノで弾いてる手元のアップ付き! 演奏も、要はアルトまたはソプラノしか書かれていない譜面を見ながら和音で弾く訓練をすることで、理屈じゃなく音として和声をとらえられるようにするためのもので、移調することが目的ではないと理解できたし、その訓練の仕方まで丁寧に教えてもらえたもんだから、私もうっかりできそうになるほどでした。
和声って何なんだろうの巻
そう。できそうになっただけで、できるようにまではならなかったのですよ。書法試験、演奏試験とも、試験前2週間くらいは毎日1~2時間練習したけれど、当日は時間が足りなくて半分くらいしかできなかった。故に成績も、何も分からないまま流れに身を任せて受けた1年生前期と同じ「良」。でもさ、なんでそんなに練習できたかって(この程度で「そんなに」とか言ったら2年生の時の先生にまた否定されそうだけど)、楽しかったからなのです。アルトまたはソプラノを見ただけでなんとなく曲が自分の中で鳴るようになって、書法ではルールに沿って和音を付けていくことで、演奏ではとにかく弾いてみることで、鳴ってる音を探り出すのが楽しくなったし、書法と演奏の両面から攻めることで、巷で噂の内的聴覚ってやつが身に着くんだなって、身に着けるには至らなかったけど理解はできた。本当に有意義な授業で、過去2年間の紆余曲折はこのためにあったのだと心底思いました。H先生に直接会ってお礼を言う夢、いつか叶うといいな。
ただまあ、2年(受験から数えると3年?)来の疑問が解決されたというだけで、冷静に考えると、和声って要するに何なの?という疑問は今も未解決。古典派の大家たちが概ね則った作曲上のルールに、追随したロマン派の巨人たちがそこから逸脱した方法を加えたもの、ってことで合っているのかな(たぶん違う)。だとしたら、原則のみならず例外までここまで厳格に規定したルールから面白い曲なんて生まれるわけないじゃんねとか、なんかもしや日本の受験英語みたいになってない?こればっかやってると、文法は得意だけど全然喋れないみたいな作曲家が生まれちゃわない?とか思わなくもありません。まあきっとそのあたりはやっぱり英語と似てて、小さいころからやってて内的聴覚が自然と身に着いてる帰国子女的な人が受験英語を学ぶことで、ますます自由に操れるようになるみたいなことなのでしょう。
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とまあそんな冷静な疑問はさておき、とにもかくにも、卒業を目指すにあたって最大の難関だった和声を3年間かけて見事(?)クリアしたワタクシです。今まで成績って、気づいたら付いてるものだったけれど、今回ばかりは発表される日を指折り数えて12時回った瞬間にアクセス、和声の「良」を確認してちょっと泣きそうになりました。これで残る難関は卒論のみ…。この壁がまた、コロナによってさらに高くなっていたりしてまだまだ卒業一直線!とはいかないのだけど、「GEIDAI見聞録」の最初から読み返すと、ここまで来たってだけですごい進歩だよなとも思ったり(自画自賛)。あとここまで来ちゃうと、卒業がどうこうより学生生活がもうすぐ終わっちゃうのが惜しいよなって思い始めたり。留年?休学?まさかの進学? 第二モラトリアムの終焉を前に、いろいろな選択肢を吟味し始めた41歳の春なのでした。
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