42歳、芸大卒業しました。
二足のわらじ生活楽しいからもっと長引かせたいし、リモート授業のまま終わるのももったいないし。というわけで3年生の春休み、まずは1年間の休学を考えたのだけど、考え始めた時にはもう前期休学の申請期限を過ぎていて。じゃあ後期だけでもと思ったら、前期に卒論を出すことはできないシステム=もし卒業を目指すなら(まだ目指してはなかったけど閉ざす覚悟もなかった)、この年の後期に加えて翌年の前期も休学するしかないことが分かり。前期休んじゃうと通年授業が取れず、芸大の授業って通年ものと前期だけもののほうが断然面白くて後期だけものは残りカス風味なのが分かってたから、それはおいしくないなと思い。
じゃあ留年か?と考えるも、もう1年分の学費を払うほどは取りたい授業の数がなく。今となっては、授業なんか何にも取らなくてもただ学生生活を長引かせるためだけに学費払っても全然良かったなと思うけど、その時の私には53万の壁がやけに高く感じられ。とりあえず私の学生生活は4年間だな、卒論が書けたら卒業、書けなかったら2年生の時に決めた個人的卒業=卒業する同級生と同じ数の単位を取るコースにしよう。そんな思考回路で、卒論分の単位がなくても「124」に達するように時間割を組んだのが4年生前期のこと。
しかしその後、長引かせたい願望はますます強くなり。うっかり卒論書けちゃったとしても留年できる可能性を残すべく、後期の履修登録時にはあえて卒業要件を確認し直さないというささやかな作戦を決行し。また留年に備え、翌年の副科実技の申し込みなどもちゃっかり済ませ。…と、色々抵抗はしてみたのだけどなんかまあ、卒業してしまいましたね。卒論補充分プラス、入学したばっかりの時にとりあえず認定してもらってた前の大学の単位、さらには聴講のつもりがなんとなく試験も受けちゃって取った単位をあわせて、取りも取ったり計「151」。普通に4年で卒業とか、真面目か!というツッコミしか出てきませんが、しちゃったものは仕方ないのでとりあえず、4年生の授業を振り返ってまいります。その前にまずは、なぜ卒論を出せてしまったのか問題。
答えは、「暇だったから」
2年生になったばかりの時、卒論の指導をお願いしたい教授がいないことを含めた4つの啓示により、非卒業コースに傾いていると書きました。先に他3つが啓示じゃなくなった経緯を片付けておくと、まず1つ目のピアノの試験受けられない問題。これね、あの時は「仕事で」って書いたけど、要は『レ・ミゼラブル』ロンドン千秋楽に行きたかっただけで(笑)。行くなら1週間は滞在しないと、って日程組んだらピアノの試験と被っちゃったなって時に書いたのだけど、その後フランス語の試験と被る形になら日程ずらせることに気付き、フランス語の先生に相談したら試験受けなくても課題やったら単位くれるって言われたのでそれで解決。しかもこの話にはその後、副科実技が楽しいって気付いて他のもバンバン取ったからピアノの試験受けなくても別に啓示でも何でもなかったというオチまでつきました。
2つ目の和声わからなすぎる問題と、3つ目の試験対策したくない問題がリモート授業により解決したことは、3年生の授業振り返りシリーズで書いた通り。でようやく4つ目に入ると、指導をお願いしたい先生はね、あのあと割とすぐ見つかったの。歴代のミュージカル卒論を担当してきたO先生のこと、最初に話しかけに行った1年生の時は「他にいないから仕方なくやってます(苦笑)」みたいなテンションにチーンってなったけど、2年生で受けた演習で好きになって、春休み=コロナ第一波で気分が沈んでた時にテーマ決めのやり取りメールする中でその温かさに触れてさらに信頼が増し。え、じゃあ4つの啓示、全部まるっと解決じゃん!って思うじゃないですか。それがそうは行かず、4年生になったらO先生がなんとサバティカルでドイツに行ってしまったことから始まりましたよね、私の卒論ラプソディーが。
ドイツからもリモートで指導すると言われて乗っかったはいいものの、メールの返信が遅くても自分の研究でお忙しいなかドイツからって思うと文句は言えないわ、表向きは在籍してない先生だから履修登録上は他の先生になっていちいち両方にお伺い立てないといけないわで、不便この上なかったです。それでもなぜ書いたかというと、これはもう「暇だったから」の一言に尽きる。締切が12月頭だったのだけど、11月後半にかつてないほど取材も急ぎの原稿もない時期が訪れ、それこそ書けという啓示としか思えなかったのです。2週間で『アンドリュー・ロイド=ウェバーのバラードにおける音楽語法』を書き上げ、締切の2日前に別件で大学に行く用事があったから意気揚々と提出…したはずが。ここからひと悶着というか、なんかもう体感50悶着くらいあった気分だわ。
濾過版・卒論ラプソディー
50悶着の卒論ラプソディー、きっとまた忘れちゃうしあとあと読み返したら面白そうだからと思っていったん結構な時間をかけて書いたのだけど、このアンチ誹謗中傷な世の中に鑑みて今、全部消しました。いや別に誹謗中傷じゃないし、誇張でもなんでもなく久しぶりに本気の悔し涙を流したのは私のほうなんだけど、顛末を事細かに書き記したら自分で読み返しても確実に悪意が見えるものにはなったから(笑)。濾過して濾過して総括すると、要は私、大学に限らずトップの機関にいる人たちの何事も「してあげる」という考え方が合わないのだと思います。それは向こうが悪いわけじゃなく、私が「暇だったから書いて、書けたから持って行きました」みたいな人だから――別になめてるとかじゃなくただたただ啓示論者なだけなんだけど――、本気で学問に取り組んでプライド持ってトップにいる人たちと合わないのは当然だよね。
というわけで詳細端折りましたけど、提出時に色々あったせいで口述試問を放棄したくなっていた私に、ここまで来てもったいないと口々に言ってくれた方々、そして「何を言われようとビビるに足らず。腹の中で笑っておけばいい」との金言をくれたOさんへの感謝だけは記しておこうと思います。それでも心配で、直後にカウンセリングの予約を入れておくという万全の体制で臨んだ口述試問はちなみに、入試の時のような圧迫では全くなくむしろ拍子抜け。実際の指導教授O先生は当然欠席、形式上の主査のU先生と副査のN先生のおっしゃることが正反対かつO先生の言っていたこととも違っていて、論文の評価って本当に主観なんだなあといういい勉強になりました。U先生からもN先生からも悪意は感じなかったから、どちらのコメントも有難く受け止めましたけど。
そして何を隠そう、誰に何と言われようと(実際評価は悪かった)、私はあの卒論にものすごい愛着を持っている。ロイド=ウェバー作品の文化的・美学的な側面はいつでもいくらでも自分で考えられるから、卒論では純粋に音楽面の研究がしたくて、彼の全ミュージカルから代表的なバラードを抜き出して共通点をあぶり出し、私が「ロイド=ウェバー節」と感じていたものの正体を探り当てました。もちろんそれをするのに十分なソルフェージュ能力が備わってはいないから、見つけられなかった共通点もたくさんあると思うけど、私なりに納得できる結果が得られたのは確かだし、少なくとも私の受験期からの4年間の集大成にはなったと思ってます。欲を言えば、足りないソルフェージュを対面指導で補ってもらいながら書けたらなお良かったけど、たとえO先生が日本にいてもコロナ禍では叶わぬことだっただろうし、対面再開を待って留年してたらしてたで2週間も暇だとそそくさと海外旅行に繰り出しちゃう私だとも思うから(笑)、満足満足!
からの、大学院ラプソディー
これ卒論書けちゃいそうだなと思った頃から、学生生活を長引かせるため、またあわよくばミュージカル研究者の肩書を得るため、実は大学院進学も画策してました。芸大はハナから頭になかったしその時点で募集が終わってもいたから、じゃあどこ行こうかなと調べたり色々な人に相談したりするなかでもやはり、親身になって(面白がって?)くださった非常勤講師の皆さんと違って芸大の先生のアカデミックなめるな、お前に勧められる院はねー的態度は顕著でしたけどまあそれは置いといて。「音楽学」のある院のほとんどが芸大も含めて西洋芸術音楽中心であるなか、音楽民族学がメインのところがあったからとりあえず受けてみようと願書を取りに行き、大学の雰囲気も職員さんの対応も良かったから、履歴書も研究計画書も書いて証明写真まで撮りました。撮ったのに…!
願書の受付期間は3日間。最終日に届くように、2日目に郵便局に持って行こうと準備を進め、あとは受験料を振り込んでその受領証を貼って出すだけ!というところまで行ったんだけど、なんと振込の受付が2日目の午前中まででね…。落ちたとかじゃなく、受けそびれたというのがこっちのラプソディーのオチ。まあそもそも、院ってあらかじめ指導受ける先生の研究室訪問とかしてから受けるのがならわしみたいで、そういうのしてない時点で受かる可能性低いのは分かっていたなか、もう1年準備するにしても1回様子見てモチベ高めようくらいの気持ちだったから全然いいんだけど。ことほどかように私は事務手続き系がとても苦手なADHDなので、①卒論提出時の不手際くらいであんなに責められたのはやっぱり人格否定だし、②4年前も同じくらい急ピッチで受験準備したのに手続きがスルスル進んだ芸大にはやはりあの時「呼ばれて」いたんだと思う次第です。少なくとも今年度の大学院には、呼ばれなかったんだなあ。
ほぼ趣味の領域だった学部を経て、今度は院で仕事と絡めたミュージカル研究をして私的アウフハーベンさせて、ゆくゆくは『日本ミュージカル史』を著したい野望は今も持ってます。けどこればっかり呼ばれるかどうかだから、すぐ受けるかもしれないしまた20年後かもしれないし一生受けないかもしれないし、もしかしたら院じゃなくいつかまた別の学部を受けるかもしれない。つまり未来のことは分からないけどとりあえず、しばらくは心許ない一足のわらじ生活に戻ります。卒業式、久々に「同級生」たちに会えてめちゃくちゃ楽しかったな~! 先生たちはどちらかというと敵で終わったけど(笑)、みんなには感謝が尽きないし、今後のご活躍をお祈りするばかり。文科省とか自衛隊とか大手放送局とかすごい就職先または院進学の子ばっかりだから、私が祈るまでもないと思いますけどね(笑)。
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