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【見聞録マガジン最終回】4年生の授業を振り返る~金曜編~

「声楽の月曜」と「能楽の水曜」は昼過ぎには終わってたから、4年生で1日中授業だったのは金曜だけ。前期はオールリモートだったけど3コマもあって、そして後期は2コマしかなかったけどどっちも遠い北千住校舎での対面授業だったから、基本的にほかのことはできなかったということで、名付けて「大学の金曜」を振り返ってまいります。ああこれを書き終わったらGEIDAI見聞録ももう終わりなのか、寂しいな…。

■金曜①音楽音響学【前期:優/後期:優】

「ホール音響概論」「楽器学」「音響学」「音声学」に続く、シラバスに音響の文字がある科目はとりあえず履修してみようシリーズの掉尾にして本丸。これまでのは外部の先生の担当だったけど、これは芸大の音楽環境創造学部の一番くらい偉いK先生の講義です。これはもう仲良くなって色々聞き出すしか…!なのに前期はオールリモートで、しかも授業内容は理系の話が多くてほぼ理解できず、また扱われるジャンルが幅広すぎて私の知りたいミュージカル音響(スピーカーを用いた室内音響)の話にはなかなかならず。前期の内容で気になったことを調べてレポート書いて、しかもそれを発表するという課題が出た時、もう聴講だったことにして後期から出るのもやめちゃおっかなくらい思ったのだけど、いやこのレポートと発表で「後期はミュージカル音響の話をしてください」と訴えるのだ!という決意で、無理くりシンガーズホルマントの話をミュージカルに結び付けて発表しました。

そしたらね、もうびっくりするくらい思惑通りになりまして(笑)。後期は来たい人はどうぞなハイブリッド授業になり、それでも行く人なんてほとんどいないなか毎週のように千住まで行ってミュージカル音響オブセの町田です!アピールをしていたら、その話いっぱいしてくれたし質問もし放題、数少ない対面参加組の同級生にミュージカルに興味を持ってもらうことまでできました。おかげでよ~~うやく私の長年の疑問と不満の根源を知ることができ、この上はもう現場の人に話聞いて解消まで持って行くしか…!とダメ元で、後期レポートのためにどなたか卒業生紹介してもらえませんかと相談したらK先生まさかの乗ってくれて、私の念願であり何度か仕事でやろうと試みたこともあったけどことごとくダメだった音響スタッフ取材をついに実現できたのです。2時間に及んだ取材を元に書いたレポート、今改めて読んだけど本当面白い(笑)。バリバリの現役の方に実情を教えてもらった形だから表には出せないけど、結論(所感)部分だけかいつまんで紹介しておきます。

ただまあ結論だけ言っちゃうと、あまり希望にあふれるものではなくて。日本のミュージカル音響に対する私の不満は主に、歌声もオケの音も音源からの生音としてじゃなく、全部混ざってスピーカーから聞こえてきちゃうこと。で、歌声がそうなるのは日本の劇場の構造と日本人の声帯の問題が大きくて、オケの音については日本ってそもそもカラオケ公演が多いから、オケピット(下のほう)から聞こえてきたほうが気持ちいいって前提がまずないみたいなんだよね。となると、前者は解決不能だし後者は単なる私の好みじゃんってなって、しかもなぜそれを好むかを考えていくと、ブロードウェイに慣れてることに加えて私が聴覚過敏だからってのもあることに気付いちゃったりして、こっちのほうが気持ちいいです!と声高に言うこともできなくなる。…みたいなことを思いながら卒業後、久々にブロードウェイに行ったらでも、やっぱこっちのほうが気持ちいいって確信を持ったからやっぱり声高に訴え続けていくんだけど(笑)。歌声は舞台から、オケの音はオケピットから聞こえたほうが絶対気持ちいいし、少なくとも歌詞は聴き取りやすくなりますっ!

■金曜②日本音楽史演習【前期のみ:秀】

3~4年の演習(計4単位)は卒論と絡めて取ることが推奨されているので、ロイド=ウェバーの楽曲分析をする私は本当は西洋音楽史(選択肢としては一番多い)を取るべきなんだけど、推奨であって強制じゃないし~と純粋な目でシラバス読んで自分の興味の赴くままに取っていったら美学が2、音楽民族学が1、日本音楽史が1、つまり西洋音楽史はゼロという結果に(笑)。でももちろん、私のなかでは全部ミュージカルにつながっているので結果的に卒論と絡んではいて、これなんてその最たるもの。『近代日本の音楽百年』(細川周平著)という全4巻のお高い本を一人1章ずつ担当して発表してくんだけど、「浅草オペラ」の章があるとなったら、それはやらないわけにいかないよね。先生としては担当したい章の候補をいくつかずつ挙げてもらって調整するつもりだったようだけど、「浅草オペラ一択で。それ担当できないなら履修しません」くらいの勢いで死守して読み込みました。

というのも、浅草オペラってよく日本ミュージカルの原点みたいに言われるけど、恥ずかしながら私にはなんとなくの知識しかなく、なんでオペラがミュージカルの原点なの?くらいに思ってて。どんなに知りたいことも強制されなきゃ調べない私には絶好のチャンスだったと思って取り組んで、実際本当にいい機会だった。「ミュージカル」というジャンル名の曖昧さに始まり、日本における音楽劇の歴史とその捉え方&取り組み方、さらには芸術音楽ではなくポピュラー音楽(大衆芸能)を研究するとはどういうことかに至るまで、色んなことを考えさせられました。最近の私がよく言ってる、いつか『日本ミュージカル史』を著したいみたいな野望も、この発表をまとめたレポートを書くなかで生まれたもの。ちなみにそのレポートは「自分にはどうにも細川のような根気がないことが残念でならない」という諦めの言葉で締めくくられてるので(笑)、「自分が著したい」より「いつか著されてほしい」のほうが正確なフシもあるけれど、まだ完全には諦めていない…つもりです。

実際さ、細川さんの根気がものすごいのよ!みんなの発表を通じてほかの章も大体(後期は取らなかったから前半2巻分だけだけど)読んだけど、書名の通り百年の間に日本で起こった音楽ムーブメントが全部網羅されてて、内容にもボリュームにもかけられた時間にも目を見張らされました。というのはさておき、とにもかくにもこれをもって演習、つまりマンモス私大の文学部時代には1~2回しかやった記憶ないから何なら避けて通れるかと思ってたら全くそうはいかなかった「発表」を伴う授業は終了。とはいえその後ほかの授業とか卒論関連でも発表があり、改めて数えたら私、全14回(うち対面7回、リモート7回。これもリモートだった)も発表してました。お疲れ私。

■金曜③音楽民族学講義【前期のみ:優】

民族音楽のU先生のことは割と信頼してて、1年の東洋音楽史概説も3年の音楽民族学演習も面白かったから期待してたんだけど、これに関しては2年で別の先生がやってくれた音楽民族学概説とほぼ内容被ってて期待外れでした。オールリモートで、先生意外と反応気にしてるらしく強制ではないけどレスポンス送ってほしそうだったから、どうスミワケてるのか質問してみたりもしたけど、特に話し合うことなくそれぞれに組み立ててますみたいな回答でそれも残念。話し合ってくれよ~

つまりは概説と同じく、西洋芸術音楽以外の色んな音楽を紹介してくれるのでは全くなく「音楽民族学」という学問についての講義だったわけですが、ほぼ被ってるとはいえより踏み込んだ内容ではあったことで、そしてU先生の常としてレポート課題がかなりハードで色んな論文を読まされたことで、それも致し方ないのだなとは思いました。ほんっとこの学問フクザツ…。ここに来て白状すると、今この金曜編を書いてるのは卒業から半年も経った9月で、この授業に至っては前期に受けてるから1年以上前には終わってて、ゆえに今「私が現時点で考える『民族音楽学』の定義」みたいなテーマで自分が書いたレポート読んでも他人の論文並みに意味が分からなかったりするのだけど、要はそれくらい複雑な学問なんですわ。

なんかでも、ここでがっつり音楽民族学とは、というか音楽学とは何かを考えたことで視野がちょっとマクロになって、なんなら私が大学外でやってることも大きな意味では音楽学の研究なんだなあと思うようになったりしました。いやもちろん研究者の仕事って論文書いて学会で発表することなのだろうから、それをしてない私に研究者の肩書は付かないけれど、ミュージカルを観て取材して音楽とは何かを常に考えてるんだからフィールドワーカーではあるよねみたいな。とこうして、課題が限定的すぎてミュージカルに結び付けたレポートは書けなかったけど、周り回って結局ミュージカルのこと考えてる私ブレない(笑)。そしてそのレポートにも、テーマにはできてないけどちゃんとミュージカルの文字は出しているのでした。

■金曜④ポピュラー音楽研究【後期のみ:優】

ハイブリッド形式ながら、対面には私プラス週替わりで0~3人くらいしか来てなくて、同い年の非常勤のW先生と仲良くなれて、最終日にはうっかりサシ飲みまでしちゃった授業(笑)。この時点ではもうこれ履修しなくても「講義」の単位は足りてたんだけど、なんか楽しかったのと金曜は同じ千住校舎で音響学もあるしってことでほぼ毎週行って、レポートもなく発表だけだったので単位もついでにもらっちゃいました。授業前後にほかの子も交えて雑談するみたいな楽しみを久々に味わえたし、先生と二人だけの時は大学院についての相談とかぶっちゃけアカデミック業界ってどんななんですかみたいな話もできて、授業自体よりそういう時間がとても楽しかった思い出。って書いてると改めて、それこそ大学生活の楽しみなんだからやっぱり対面がオール復活するまで留年すれば良かったよ~とか思うわけですが。

授業自体はわりと緩くて、「メディアと音楽」「植民地主義と音楽」「実験音楽」を3本柱に先生の話と学生の発表で進めていくみたいな触れ込みだったけど、なんか想定より履修者が多かったみたいで途中から発表ばかりになり、正直先生の話はもはやあまり覚えてなかったりする(笑)。けど発表も緩くて、3本柱と関係なくただ「今自分が興味持ってる音楽」でもいいよみたいになっていったから、結果的に芸大生のリアルに触れられて興味深かったのと、ポピュラー音楽研究の特徴はその緩さにある…と言うと語弊があるけど、音楽民族学との違いは対象じゃなくアプローチにあり、興味持ったことを独自の切り口で強行突破するように突き詰めていくのがポピュラー音楽研究者なのだろうなと思えたりしたのも面白かったです。

私の発表テーマは相変わらずミュージカルで、配信だとなんで面白くないのかを考え、芸大生にも問うてみた。ところ、観客の反応が演技を変えることがある、配信だとアングルが選べずアンサンブルが見えない、音響の違い、聴覚以外の情報量の違い、サイズの違いなどが上がってきました。どれもまあそうだろうねという感じで膝を打つほどの意見ではなく、もっと真剣に考えとかないとそのうち全部リモートに取って替わられちゃうよ!と、その時は思ったのだけど、今となってはその「まあそうだろうね」の集合体が真実なんだろうなとも思います。ほかの子のテーマで特に面白かったのは、ギャップレス再生、チップチューン、ローファイヒップホップ、YouTubeやTikTok音楽、リモート合奏の実情など。音楽の形態って本当、移り行く社会のなかでどんどん変わっていくのですね。あとW先生、元気かな。

■総括?

はあ~振り返り終わってしまった! 大学生活全体については、特に総括するつもりで書いてはなかったけどちゃんと卒業直後の鉄が熱いうちに打った「42歳、芸大卒業しました。」に、私の生の気持ちが表れてると思うからいいとして、音楽とは何かを考えたくて入学して何を学んだかだけ、寂しさに任せてちょっと追記しておこうかなと思います。といっても、ちゃんと総括しようと思うとまた時間ばっかり過ぎちゃうだろうから簡単に…。

ひとことで言うなら、音楽って思ってたほど本能的な営みじゃないんだな、ということになるのかなあ。わりと慣れがすべてで、物心つかないうちから好きだったからって動物的直感で惹かれてるわけじゃなく、そこには赤ちゃんのうちから聞いてた音の蓄積があって、もちろん絶対音階だって先天的なものでは決してないし、だから逆に全く親しんでない音は、まずもって音楽と認識することすら難しい。つまり人は――少なくとも私は、味わったことのない音に出会った時に心が最も動くような気がしてたけどそうじゃなく、慣れ親しんだ音楽のちょっとした変化球が気持ちいいのだと思います。無調とかポリリズムとかまで行っちゃうことなく、西洋の調性のなかでの転調とか偽終止くらいがちょうどいい。そこにミュージカル的なドラマ性を求める習性が加わって、ピカルディ終止が大好きなのでしょう。…全く着地点を予測せずに書き始めたけど、なんかこれはこれで納得だな。私が4年間の芸大生活で得た音楽観を総括すると、「ピカルディ万歳」です!

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