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顔面ブロック

ひとつ、またひとつ。

10月のクイーンズランド北部
太陽の”迷惑”な寵愛を享受する季節

ただ在る、という意識を依り代に
そこで立つ意味など考えもせず
なにもない自分がそこに居た。

無意識が叫びあげる金切り声を
気づかぬふりをし、押し殺し、達観した末
流れ着いた場所で

整列した木々を世界とすれば
確かに存在する生命達を刈り取っていた。

悲しみも、喜びも、まして祈りなど
有意識の片隅の隙間にも無い

過ぎ去る時を納得する事で
人生の錨を下ろそうとしていた日に
1人の男性と出会った。

「ボルケーノ先輩」

泊まり込みの宿舎へ繋がる長い廊下に

彼は立っていた。

最初の会話は簡単な自己紹介、軽い挨拶程度と記憶しているが、内容はかなり曖昧で、彼の本名すら覚えていない。

顔の印象が強すぎた。

12ラウンド壮絶な殴り合いを演じた直後の
ボクシング選手のような

大きく腫れ上がった顔から所々
吹き出た血が噴出して固まっている様は

まさにボルケーノだった。

聞けばサンドフライ(日本で言う吸血バエ)の大群に襲われ、顔を隙間なく刺され、腫れあがり
ボルケーノ先輩と呼ばれるようになったのだ、と。

(後にわかった事だがボルケーノ先輩は
年齢性別関係なく誰からもボルケーノ”先輩”と呼ばれていた。
少しの嘲笑を含め
敬称付きのあだ名を誰かにつけられたんだと
勝手に邪推していた。)

辟易とした態度であだ名の経緯を説明された、その直後。

丸く赤い球体がボルケーノ先輩の顔を歪めた。

りんご だった。

誰かが戯れに投げた
小さな生命が、ボルケーノ先輩の頬を直撃していた。

唐突な衝撃を受けたボルケーノ先輩は

駄々をこねる子供のように
或いは奇妙で宗教的な踊りのように
全身をばたつかせ、痛みに耐えていた。

あまりに突然の
小さな生命の反逆だった。

自然と笑っている自分がいた。

その日を境に
無意識の声が少しずつ聞こえ始めたのを思い出した、2023年報道写真展。

ありがとう。先輩。またどこかで。

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