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【アンジェが私にくれたもの】ポステコグルーの置き土産と受け継ぐべき哲学

2021年6月10日、我らが横浜F・マリノスの監督を務めるアンジェ・ポステコグルーがスコットランドの名門・セルティックの監督に就任することが決まった。

マリノスの視点に立つと、これには賛否両論がある。一つは、シーズン途中での退任となり、王者・川崎フロンターレを追いかけ優勝争いを演じるマリノスにとっては決して小さくない傷を負うことになる、という見方。もう一つは、より中長期的なスパンで見たときに、UEFAチャンピオンズリーグに毎年出場するような名門クラブにマリノスから"直接"指導者を輩出した、という実績がマリノスというクラブのブランドをこの上なく高める、という見方である。ボス(アンジェポステコグルーの愛称)が今後セルティックで活躍をすればするほどマリノスというクラブの価値は高まっていく、この上なく喜ばしいことなのである。

単純な二項対立に落とし込むとすれば、短期的な成功と中長期的な成功、もちろんそのどちらも確約されたものではないのだが、どちらを重視するか、という話にはなってくる。


さて、今回の記事の趣旨は、アンジェポステコグルーと歩んだ3年半の総括である。

アンジェが私、マリサポ、マリノス、ひいては日本サッカーにまで与えた影響を紐解いていくことで、彼の功績を称えるとともに、マリノスが今後哲学として遺していかなければならないものにも言及していく。

また、この記事を読んでくださっている皆さんにもアンジェとの3年半を振り返ってほしい。彼が我々に遺したものは何か?彼から学んだことは何か?

みんなで「アンジェが私にくれたもの」が何か考えてみようではないか。

きっと、キリンが逆立ちしたピアスでもグレイスケリーの映画の券でもないはずだ。笑

どうか、最後までお付き合い願いたい。


【アンジェが日本サッカーにくれたもの】

アンジェが日本サッカーにくれたもの、それは①トランジション②ポジショニングの新概念である。

①について。トランジションとは、ボール保持→非保持、もしくは非保持→保持と局面が切り替わる数秒間のことを指すわけだが、いかに局面の切り替えをシームレスに、かつ効率的にゴールまで迫るか、という部分において、マリノスはリーグ全体に鮮烈な印象を与えた。ボールを奪ったら素早く仲川、エリキ、マテウスの"爆速3トップ"に預けて一気に攻めきってしまう。そんなマリノスの強さを肌で感じた各クラブが、以後トランジション局面における速さを重視するようになった例は枚挙にいとまがない。

②について。これは定義するよりも事例を挙げるのが手っ取り早いだろう。偽サイドバックである。サイドバックはその名の通りサイドに張ってプレーする、というサッカー界のステレオタイプに一石を投じたのがアンジェである。たしかにそれ以前にもペップグアルディオラを中心にサイドバックのポジショニングの固定概念を崩す監督は何人もいたのだが、アンジェもその一人として挙げられるべきであり、またそれをJリーグに持ち込んだ人物と言っても差し支えない。

先に断っておくが、すべてアンジェの狙いのもとに日本サッカーにもたらされたものとは思わない。どちらかというと、偶然の産物めいたものである。

これらがJリーグ、ひいては日本サッカーにもたらされたのは、やはり2019年のリーグ制覇が大きく関係している。かのシーズンを経て、少なからずアンジェのマリノスの影響を受けたように見受けられるチームはいくつか存在している。

例えば川崎があれだけポジショニングを整備し、トランジション局面を重視するようになったのは、少なからず2019年11月の試合が出発点となっている部分があるだろう。また、清水が2019シーズンまでアンジェの右腕として働いていたピータークラモフスキーを監督に招聘したのは、少なからずアンジェ・マリノスのサッカーに感銘を受けた部分が大きいはずだ。

コロナウイルスによるパンデミック、およそ5か月のリーグ中断という大きな分断がありながらも、2020シーズン、そして2021シーズンの各クラブの試合を見ていると、2019シーズンのマリノスに着想を得たようなエッセンスが随所に見られるようになった。

これらが、アンジェが日本サッカーにくれたものなのである。

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【アンジェがマリノスにくれたもの】

アンジェがマリノスにくれたもの、それは①一体感②自主性・主体性、さらに③強度の高いサッカーである。

~①一体感~

①について。一体感という極めて抽象的な概念に付随する言葉が2つ存在する。「アタッキングフットボール」と「マリノスファミリー」である。この2つの言葉の意味やもたらした役割を紐解くことで、アンジェが重視した一体感とは何かを考えてみたい。

アタッキングフットボール、これは、アンジェが就任以来ずっと言い続けてきた言葉である。とにかく攻撃的に、観る者を魅了し興奮させるサッカー。これこそがマリノスの強さの源であった。
サッカーにおける最も悪い状態はチームが迷い、バラバラになることである。例えばボールを奪ったとき、前へ行くのか落ち着かせるのか。これがチームの中で食い違うと相手に隙を与えることになる。
ここで大きな役割を果たすのが「アタッキングフットボール」という指針だ。ボールを奪ったらとにかく前へ、スコアに関わらずゴールを目指す。
あの優勝した2019シーズン、毎試合勝たなければならないプレッシャーのなかでマリノスが堅くならず、前へ出て点を取り続けることができたのは、間違いなくこの指針があったからである。何点取ろうが関係ない、退場者が出ようが関係ない。自分たちの信じるサッカーを最後まで貫き通す。その真っ直ぐさがマリノスから迷いを消し去っていた。あの一体感はそうして生まれていた側面もあったといえる。

アタッキングフットボールはただの標語ではない、ピッチ上の選手たちにとっての光としてたしかに息づいていたのだ。

もう一つがマリノスファミリー、チーム全員を家族として支え合う。その頂点に父親役としてアンジェがいる。

この言葉もアンジェが就任以来ずっと言い続けてきたのだが、もはやこのクラブの文化になりつつあるようである。それは、5/22柏レイソル戦での特別観覧席の体験で感じたこと。エンブレムの下にあしらわれた"WE ARE FAMILY"の文字、このバッジは、選手・スタッフはもちろんのこと、マリノスのチーム関係者全員がスーツに着けているものである。まさにマリノスに関わるすべての人々が家族なのだ。

こうした一体感の醸成にはアンジェだけでない様々な人物が関係しているが、ここでは喜田拓也と大津祐樹の名前を挙げておきたい。
2018年、結果が出ずバラバラになりかけていたチームを繋ぎとめた喜田と、2019年、メンバーになかなか入れない選手たちを背中で鼓舞し続けた大津。めぐり合わせなのだろうが、この2人がいたからこそマリノスは #すべてはマリノスのために を体現するチームであり続けられたことは各媒体で漏れ聞こえてくる逸話である。


~②自主性・主体性~

アンジェの指導法、それは他の指導者と一線を画すものだった。これは有名な話だが、選手とアンジェが1on1で個別に話すことはほとんどなく、むしろ距離を置いているらしい。日々の練習もアンジェが主導することは少なく、コーチ陣に任せて自分は少し離れた位置で見守っているだけ。

これは、監督という自らの立場で発する言葉が、選手の思考判断に大きく影響してしまうことを心得ているからである。「こうしろ」と監督が言ってしまうと、選手はその言葉に大きく影響され、それしかやらなくなる。結果的に選手が自ら考え行動する機会を奪ってしまう。

そもそもなぜ選手が自分で考えることが必要なのか?それは、試合中のピッチで監督ができることは限られているからだ。外から見守り指示を出すことしかできない。どこに選手を配置し、いつどこにパスを出すか。サッカーの試合はコンピューターゲームではないのだから、監督がすべてコントロールすることはできない。だからこそ、選手がその場の状況を見て自分たちで考えなければならない。

先述したアタッキングフットボール、その大きな概念だけ与えてあとのディテールは選手が自分たちで考える。この3年半、なかなかうまくならなかったビルドアップは、もしもアンジェが大ナタを振るって整備していたら改善していたはずだ。しかし、あえてそれをやらない。選手自身に考えさせる。それを貫き通してきた。

マリノスのフィロソフィーとして、今後も「主体的に自分たちで考える」ところは受け継がなければならないものなのだ。どんなに優秀な指揮官であっても試合をすべて思い通りに操ることは絶対にできない。必ず選手の"自律"が必要なのである。


~③強度の高いサッカー~

ここまでは非常に抽象的であいまいなものを挙げてきたが、最後に一つだけ具体的な話をしてみたい。これは必ずしも受け継がなければならないものではない。個人的に受け継いでいけたら良いかなと考えているに過ぎないものだ。

それは、強度の高いサッカーだ。よく走るサッカー。マリノスは走行距離・スプリント数ランキングで毎年リーグの上位を占める。

アンジェのマリノスの試合を見ていると、終盤に相手の足が止まってもなお高い運動量をキープしながら畳みかける場面をよく目にしてきた。これは、ほかでもないマリノスの強みである。

きっとどの時代においても高い運動量は武器になるため、アンジェが遺してくれたこの強みは生かし続けても良いのではないかと考える。


【受け継ぐべきマリノスの哲学とは?】

アンジェとの3年半を無駄にしないために、マリノスとしては、アンジェが遺してくれたものを「クラブの哲学」として受け継いでいかなければならない。クラブの哲学とは、この先何年何十年と受け継ぐ指針となるものだ。

つまり、向こう何十年間のマリノスとしてのクラブの在り方にも深く関係するものになる。

この点、私は極めて抽象的ではあるが前項にて挙げた❶一体感(マリノスファミリー)、❷自主性・主体性❸アタッキングフットボールこそが、アンジェが遺してくれた、マリノスが受け継ぐべきクラブの哲学なのではないかと考えている。

やや具体性に欠けた印象はぬぐえないが、この先何十年もクラブの指針として存在し続ける哲学としては、これくらいの粒度がちょうどよいのだ。

これはあくまでも私の考えだが、クラブの哲学として適切なものは、いつの時代でも通用する金科玉条か、もしくは移り行く時代に応じて変えていく余地があるもののどちらかである。

サッカーがチームスポーツである以上、一体感は絶対になければならないものであり、サッカーがピッチ上の判断を求められるカオスなスポーツである以上、自主性・主体性は持っておく必要がある。
❶と❷は、金科玉条・普遍の真理にあたる。

かえって、絶対的に君臨し続ける妥当性がない哲学を規定しすぎることの方が問題だ。

例えばクラブの哲学として「ポゼッション至上主義」を謳うとする。そうすれば、クラブとしてはっきりとした指針が立つ。1試合単位でボール保持を65%以上に保ち続けること、と明確な数値目標が立ち、それを実現し得る人材を確保し続ければ良い。

しかし、サッカーの戦術的な進化、流れは目まぐるしく、時代によってはそれで勝てるかもしれないが、全く勝てず2部に降格してしまう未来が待っているかもしれない。現に、今現在のサッカー戦術史の最先端にポゼッションがあるかというとそうではない。ポゼッションが絶対的に正義でいつもサッカーにおいて正しいとは限らないのだ。

だからこそ、哲学の規定の度合いが重要になる。雁字搦めにしすぎず、ブレない一貫した概念もなければならない。

この点、❸アタッキングフットボールは、クラブ哲学の規定の度合いとしては非常に適切な粒度である。「アタッキング」という一貫した軸がありつつ、その定義は時代によってうまくアジャストさせることができる万能な型となり得る。

よって、アンジェが遺した3つの哲学は、今後もこのクラブの指針として採用して良いものだと言える。

ただし、今挙げたものはあくまでもアンジェとの3年半の中で浮かび上がってきたもの。新しいマリノスはまだまだ創成期であり、哲学を創り上げている段階だ。今後このクラブにやってくる監督がどんな指針を打ち出していくのかはまだ誰にもわからない。それによってクラブの哲学は大きく変わるかもしれない。

一つだけ言えることは、アンジェポステコグルーからの継続路線とは、「❶一体感があり、❷選手が自主性・主体性をもって取り組む、❸アタッキングフットボールを志向するチーム」である。

そして後任監督は、この3つの要素を兼ね備えたチームを作れることが唯一の条件である。

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【アンジェがマリサポにくれたもの】

アンジェがマリサポにくれたもの、それは、様々な角度から見て意見を発信・交換する文化である。

特に2019シーズンにおいて、試合の感想をnoteにしたためる者、ツイートベースで意見を述べる者が続々と登場し、そこから建設的な意見交換が展開されるようになった。今となっては当たり前となったこうした光景も、アンジェが就任してからより活発となり、マリノスの文化として根付くまでになった。

現在では、文字媒体のTwitterだけではなく、PodCastやツイキャス、ClubhouseやYouTube等で、サッカーの競技面にとどまらず、スポンサーシップやマスコット、サポーター論といった、様々な角度から発信をする人が増えている。

例えばサポーターとスポンサー企業が相互に発信し、こんなにも高め合えているクラブが他にあるだろうか?
マリノスに関わるすべての人々がファミリーであり、みんなでクラブを前へ動かしている感覚がいまの私にはある。

私は、こうしたムーブメントがアンジェによってもたらされた側面が少なからずあると考えている。アンジェが示したチャレンジとコミットの姿勢、それが選手や会社はおろか、サポーターにまで伝播していることが大きいのではないだろうか?
アンジェが作ったのは、みんなが応援したいと思える魅力的なチームなのだ。だからこそ、みんながマリノスのことを考え、もっとこのクラブを強くしたいとコミットする。そして大きなムーブメントが起きる。
まさに好循環だ。

アンジェが去ってもなおクラブにはそうしたチャレンジの姿勢を崩さず前へ進み続けてほしいし、サポーターの一員として私もそうした取り組みの一つひとつを応援していきたいと考えている。

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【アンジェが私にくれたもの】

アンジェが私にくれたもの、それは、多角的なサッカーの見方である。

2018年のプレシーズンマッチのFC東京戦、そしてリーグ開幕戦のアウェイ・セレッソ大阪戦。なんだかすごいことをやっているぞ、という興味を搔き立てられたあの2試合だけで掴まれていたのだろう。特にリーグ開幕戦のセレッソ戦、わずか2か月前の天皇杯で接戦に持ち込みながらも内容では完敗だったあのセレッソを、怒涛の攻撃で圧倒してしまった前半の45分。現地で見ていて鳥肌が立ったあの感覚は今でも忘れていない。

そこからこのサッカーを理解したい、と盤面戦術を勉強し、翌シーズンから毎試合のマッチレビューを書くことを始め、アウトプットをする過程で同じような視点でサッカーを見る仲間と出会い、様々な人のサッカー観に触れる環境ができた。何にも代えがたい私の財産であり、一番好きな環境である。

最近では、アンジェのサッカーを理解しようと始めた盤面戦術論"だけではない"視点でサッカーを見る大切さも感じ、徐々に自分のサッカーの見方が変容するまでに至っている。

それもこれも、プレイヤーだけでなく観る者をも考えさせるサッカーを展開するアンジェが監督であればこそである。

私はアンジェによってもたらされたこのサッカー観をいたく気に入っている。



【Thank You Boss】

アンジェ・ポステコグルーを象徴する1枚の写真がある。

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勝った試合の後、サポーターと喜びを分かち合う選手たち、そしてその輪には加わらず選手と距離を取ったところにいるアンジェ。しかし決して影が薄いわけではなく、フィールド中央の目立つ位置に身を置いてしまう。どこにいても圧倒的な存在感がある。

そんな微妙な距離感、微妙な立ち位置を維持し続けたこの3年半だったのだろう。そのスタンスはずっと変えない。

まさに信念の人だ。

正直、彼のサッカーに失望を感じた試合はなかったと言えば噓になる。しかし、疑念を抱いた次の試合では最高のスペクタクルを見せ、私の失望などなかったかのように吹き飛ばしてしまうのがアンジェだった。


最後に、彼の就任時のコメントを引用してみたい。

「他チームのことはリスペクトするが、恐れるチームはどこにもいない。他のチームがマリノスを恐れるようなチームにしていきたい。ファンが白熱し、誇りに思うチームをつくっていく。2018年が将来まで語り継がれるようなチームにしていきたい」

2021年現在、マリノスはこの競争力の激しいリーグのなかで最も恐れられるチームの一つとなっている。また、我々サポーターはアンジェのサッカーに魅了され、いまのチームを誇りに思っている人がほとんどだろう。

彼は自らの言葉に値するチームを創り上げたのだ。


アンジェポステコグルー、マリノスを私たちが誇れるチームにしてくれてありがとう。

15年ぶりの感動的な戴冠をありがとう。

次なるキャリアに幸多からんことを。


「アンジェが私にくれたもの」を、大事に受け継いでいこう。





写真提供:ゆかさん

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