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幸せだから死にたい #うつ病治療2年3ヶ月目

私は今幸せだ。だから死にたい。
この世に未練は無い。

新学期(4月)になって、改めて私の人生の意味について考えた。
やっぱり考えてしまうのは、自分の想定以上に治療に時間がかかってしまっていることだ。初めて心療内科に行ってから、もう2年が経ってしまった。

この2年間、私は、自分なりには、精一杯頑張った。
図書館に行ってうつ病に関する本を読んだり、運動したり、資格勉強したり、バイトしたり、、

でも、頑張れば頑張るほど完全回復は不可能なのではないか、と思うようになった。前回のnoteで処方される薬の量が減ったと書いたが、また最近になって、2種類に増えてしまった。

バイトは、1対2の個別指導塾で英語を教えている。
1月、2月は生徒の受験前で普段より多くのシフトが入った。
普段の月より20〜30時間多くバイトをした。

その精神的・肉体的な疲れからか、受験が落ち着いた頃(3月)に異常に涙もろくなった。ほぼ毎日泣いていた。
ウクライナでの戦争のニュースを見ると声を上げて大泣きしてしまった。
彼氏と「また今度ね!」って時も寂しくて彼氏の前で泣いてしまった。(人の前では滅多に泣かないタイプだから、私にとっては相当のことです。)
散歩してる時によく彼氏のことをふと思い出して、「彼氏は本当に素晴らしい人なのに、それに全く見合わない低レベルな何も出来ない自分で、申し訳ないな」という思いでいっぱいになって泣いていた。
彼氏が私に優しくしてくれる度に、彼氏はたくさんgiveしてくれるのに、私は何もgive backできなくてごめん、と思っていた。彼氏の優しさを素直に喜べなくなっていた。

でも、その涙もろさは薬が増えたことで落ち着いた。
落ち着いたのは良かったのだが、せっかく薬が減っていたのに、また増えてしまった、もう2年も経ってるのに、完全回復から遠ざかってしまった、という自分の衰退に、悔しいというよりかは、もう完全回復は無理かもなという思いや、頑張って生きることへの諦めが強くなっていった。

どこまで頑張ればいいのか、その調節もかなり難しい。
今日は調子がいいなと思って活動しすぎると、次の日その影響で動けなくてほぼ寝て過ごすことになってしまう。それは良くないので、次の日に影響が出ない、そこそこの頑張りをしなければならないのだが、そこそこの頑張りだと達成感が物足りなく、頑張った感が感じられない。



そんなこんなで、完全回復を目指していた以前よりも頑張ることを辞めていった。頑張ること、完全回復を目指すのを辞めたら、辛くなくなった。
私ってなんて幸せなんだろう、恵まれているんだろうという気持ちが強くなっていった。

毎日ご飯が食べられる、ちゃんと屋根がある家で暮らせている、大好きな最高な彼氏がいる、金銭面では親に甘えることができる。
幸せだ。
もうこの世に未練は無い。
私ができる頑張りはもうやり終えたし。
もう満足だ。
もういいや。

私は生きることに満足しきってしまったのである。
生への執着は0になった。

この時に書いた、人生のビジョンとか目標とか、本当にどうでもよくなっていた。

このような考えに至ってから、また希死念慮が強くなっていった。
私はもう満足したので、あとはどれだけ他人に迷惑をかけないで消えるかだ。

みんな優しいので、私が死ねば、家族や彼氏は悲しんでくれると思う。
でも金銭的に見れば、私が早く逝けばそれだけ楽をさせてあげられる。
私なんかに使っているキャパを他の人、ことに使ってほしい。

書いてて気づいたのだが、私は感情のような曖昧なものよりも数値でわかるものを過剰に評価している。大学で経済学部だったからかなあ。

早く死ななきゃなあ。
いつ死のうかなあ。
どうやって死のうかなあ。

そう思っていた頃に、彼氏からホログラフィック理論を教えてもらった。大雑把にいうと、人間はホログラムでできているのではないか、みたいなやつである。
それを聞いて、人生というものが、より薄っぺらくなった気がした。
ホログラムならいっか、と思えた。

(これを読んでくれているかもしれない私の彼氏へ。これがあってもなくても以下のことは起きてたと思う。それくらいの段階まで来ちゃってた。あなたのせいじゃないよ。これ本音だから。)

台所へ行き、包丁を手に取った。
死に対する恐怖とかは無かった。
包丁を自分の部屋に持って行った。
試しに手首に包丁を押し当ててみた。
痛い。
痛かったけど、薄い線がつくだけで血は出なかった。
というか傷すら出来なかった。
あ、意外と人って切れないんだなあ。
結構力を入れたつもりだったが全然だった。
この時の体重は41kg、身長164cmだった。
栄養失調で倒れた高校2年生の時よりも低体重だ。
運動をするのも辞めてた時期で、体力や筋力が落ちていて、力不足だった。
包丁で死ぬのは難しそうだな、楽な死に方ないかなあ。
ググった。
洗剤をコップ一杯飲んで自殺した人の記事を見つけた。
これなら自分もできそうだ。
飲みやすそうな洗剤買ってから死のうっと。
そういえば来月おじいちゃんと数年ぶりに会う約束もしてるなあ。
それまでは生きてみよっかな。
あーあ、また死に損ないのクズになっちゃったな。

彼氏に自殺未遂したことは隠して、
「おじいちゃんと会うまでは生きようと思う」とLINEを送った。
「えらい!」みたいな返信を期待していたが違った。
「生きないと怒る」「俺は悲しい」と返信がきた。
生きるという選択をしたことに対して褒められると思ってたのに、彼氏を怒らせ、悲しませてしまった。
この時はなんで怒られたのか、悲しませたのか、よく分かってなかった。



それから1週間後、心療内科に行く日だった。
先生に正直に自分の部屋に包丁を持って行ってしまったことを話した。
先生はショックを受けたような顔をしていた。
なぜそんなことをしたのかを聞かれた。
「今、幸せだから、もういいやって思っちゃったんです。もう満足だな、やり残したことないなって。」
彼氏いるんでしょ、悲しむよ、と言われた。
「確かに感情論で言ったらそうだと思うけど、自分は周りの人間にとっては経済的にマイナスの存在だから。自分には社会的価値がないから。」
それは違うと思うよ、人間の価値ってお金だけじゃないよ、そんなこと言ったら稼げてない人いっぱいいるじゃない、その人たちも死ぬべきなのかと聞かれた。
「他人の生き方には全く興味がない。生きたいなら生きればいいと思う。」
冷静になった方がいいよ、頭だけが動きすぎてる感じがする、と言われた。
「うーん。(なんだろな、冷静に考えて死にたいんだよな。)」
先生の死んじゃだめだよ説得の言葉は何も刺さらなかった。私の考えは少しも変わらなかった。
いつも心療内科にはだいたい月1回ペースで行っているのだが、心配だから2週間後に会いたいです、薬は今回はこのままだが2週間後は変わるかもしれない、と言われた。
先生にありがとうございます、と言って診察室を去ろうとした時、
(生きてて)良かったよ、と言われた。
私はその言葉に首をかしげてしまった。

これを書いてて思ったが、この首をかしげる反応はちょっと異常かもしれない。一昔前の自分だったら、すごい嬉しい、救われる言葉だったと思う。


次の日は土曜日だった。大好きな彼氏に会える日。
一緒に楽しい時間を過ごした。

日曜日の朝、この間見た夢の話をした。
「(略)〜で、(彼氏)と2人で一緒に歩いていたら、ヤンキーから包丁で(彼氏)が刺されちゃって必死に救急車呼ぶ夢見た。けど、(彼氏)は私より先に死んじゃダメだからね、私が先に死ぬから。」
「(私)が死んじゃったら、40歳とかで一人になっちゃうの?なら今から他の相手探さなきゃじゃん、それは嫌でしょ?笑」
(そっか、だよな、早く死ななきゃな。何してるんだろ、自分。)
みたいなことを考えていた。
何考えてるの?と聞かれ、私はその言葉で泣いていた。
(言えないよ、、)

そこから、なぜ泣いているのか優しく聞いてくれた。その優しさに甘えてしまい、私は、ここ最近の心のモヤモヤを全て彼氏に打ち明けた。彼には家族には絶対に言えないようなことも言ってしまう。
彼だけは「死んじゃだめ」と直接的な言葉で伝えてくれる。
少し前は響いたはずのこの言葉も、この時は効かなかった。

この日は午後から銀座で過ごすことになっていた。
銀座の予定がある場所に早く着いたので、予定が始まるまでの時間つぶしでハンバーガー屋さんに入った。
2階の飲食スペースの2人席に向かい合って座った。
彼氏は今までに見たことないくらい落ち込んでいた。
鈍感な私でさえ見たらわかるくらい、すごく落ち込んでいた。
そんなに落ち込ませてしまうとは予想外だった。
落ち込ませてしまって、また迷惑をかけてしまって、「ごめんね」と声をかけ続けた。
気づいたら彼の体が震えていた、彼を泣かせてしまった。
衝撃だった。
大人の男の人が泣くのはドラマとかでしか見たことなかった。
これまでに築き上げられた「私は死ぬべき」という、分厚くて硬い考え方に穴を開けられたような感覚だった。
その穴は小さくはあるが、これまで頑なにあったものに確かに穴が開けられた瞬間だった。

それから彼は死ぬ前にやりたいことリストを作ろうと提案してくれた。
ちょっと考えてみたら、死ぬ前にやっても良いかなって思うことがいくつかあった。
・おじいちゃんに会いたい
・彼氏の誕生日にイヤフォンをプレゼントしたい
・ジュラシックワールドの映画見たい
・みんなの100日謎の100日目の謎を見たい
・弟の大学合格を見たい
・バンジージャンプ飛んでみたい
・ムツゴロウ見てみたい
・藤の花いっぱい咲いてるところ見てみたい
彼はこれらを定期的にリマインドすると言ってくれた。
そして、彼の誕生日まで頑張って生きようと思えた。



そして月曜日。今に至る。
6月3日、次の診察日に彼氏も来てくれることになった。
とりあえず、7月25日の彼の誕生日まで頑張ろうと思う。

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