野球少年
俺は中学生の頃は野球部だった。1学期と夏休みの半分まで。野球は父親はテレビで毎日チェックするくらいには好きだったが、俺は一度も観たことなく、ルールも知らなかった。47歳になろうとする今もほとんどわからない。空き地でやる草野球のまねごとみたいのはやったことあるが、それすらしっかりやったことはない。つまり、野球っぽいものになんら興味がなかった。中学校に入り、運動クラブにでも入ろうかと、友人らとブラブラしていたとき、1人が野球部にしようか、と。そいつはまあまあ野球が好きだったようで、俺ともう1人も何も考えず、盛り上がりもしないまま、一緒に入部届を出した。
練習が始まり、運動場を走ったり、筋トレをしたり。これがわりかし楽しい。みんなで並んで走ったことなどないから、ザッザッザッザッとスパイクの先輩たちに続いて走るのも良かったし、腕立て伏せも好きだった。さらには、キャッチボール。これはかなりお気にいりだった。音が良い。パシッ。パシッ。狙ったところに、シュっと投げる投げ方も教わり、野球楽しいやん、となっていた。が、その後、ユニフォームやスパイクも買ってもらい、守備練習をするようになってからがいけなかった。ファーストだショートだレフトにライト。守りに入るべき場所の名前を言われても、どこかわからない。だいたい、始めて聞く単語だ。それでも、先輩に怒鳴られながら、視線と指差す場所、まわりの友達らの指示に従い、なんとなく立っていると、バットで打たれたボールが飛んでくる。楽しいんだが、受け取っても、その後どうするものかがわからない。ホームだセカンだ指示されるが、よくわからない。だいたい、何をするスポーツなのかがわからないことに気づいた。それでも意外と楽しかった。
ついでに言うと、先輩らの中にはアウトロータイプもおり、そのため、暴走族に所属している同年代の先輩がバックネット裏の塀を越えて入ってきて、なぜか俺たちにキャッチボールの相手を強要することもあったが、バイクを見せてもらえたりして、それもなんだか良かった。
まあ、良いことばかりではない。3年生(アウトロー)が2年に、となりのサッカー部の3年(アウトロー)にちょっかい出してこい、という指令を出すことがしばしばあり、そのお供に着いて行かねばならない時など、かなり神経をすり減らす。2年生はサッカー部3年に当然ブチ殴られるが、その横で立ってる俺たちの顔つきが気に入らないと俺たちにも被害が及ぶ。ヘラヘラしてもいけない、しかめっつらでも無表情でもいけない、、、難しいんだ。なんかよく分からんタイミングで、ウスッ、とか言うと良い感じになる場合もある。あと、極めて難しいのが、声出しだ。先輩たちが試合っぽい練習をしている時に、1年はぼーっと立ってるわけではない。俺ともう1人(そいつも野球を知らない)はぼーっと立ってるに近いが。なんかのタイミングで「バッチこーい!って言え!」「はいよーい!って言えや!」「さあこーい!やろが!」などと、それぞれ指示が飛んでくる。それぞれのアウトロー(暴走族を含む)から。俺たちは顔を見合わせ、「さあこーい!」というと、「だらぁー!はいよーい!って言ったやろが!」と。「こっちこーい!」と、尻を蹴られに行く羽目になる。誰の言うこと聞いたらええねん!だ。または、バットを並べさせられ、その上で正座をしたり。これ、いじめか⁈いや、俺たち、なぜか、そういう環境に慣れていたからか、笑えてきて、ニヤニヤして、正座していた。当然、しばかれるが。追い込む感じもなく、爽やか?だったからかも知れない。街の野球チームに入ってるような野球好きなやつは、このクラブは楽しくなかったんだろうね。知らんけど。
では、なぜ辞めたか?やはり、野球への興味がわかないため、いつまで経ってもルールを覚えなかったから、面白くなくなったからだろう。野球さえせずに、みんなで走って、キャッチボールして、玉拾いして、声出しと正座とバイク鑑賞、雨の日は校舎内を走り、教室で先輩による偏った性教育、これらだけをする部なら続けていたかも知れない、、、そんなアホな。そして、俺たち2人は辞めて帰宅部になりましたとさ。今だに、プロ野球チームは巨人、阪神、広島、近鉄バッファローズ、南海なんちゃら、なんとかライオンズくらいしか知らない。選手も何人かしか知らない(当然、その人たちの所属チームも知らない。
そんな俺も親になったので、子らとキャッチボールなんかはすごいしたい。
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