フェアネス01

 俺たちの学年には、小学校中学校だが、足に補助器具を付けてるメガネの女の子がいた。鈴木さんという。俺は映画「マッドマックス」のマックスが足をショットガンで撃たれて以降、膝に装着しているやつと似ていたので、無邪気にカッコいいとか思っていたが、実際はカッコいいとかでなく、やはり大変なものだった。階段は登りにくいし、鈴木さんのクラスは一階になる、遠足など遠くに行く時は車椅子だし、山登りはみんなとワイワイ山路を行けず、付き添いの先生とロープウェイだし、ドッヂボールは外野が多いし。それでも公園で一緒に遊んでいたが、俺たちみたいにあっちの公園、こっちの公園と、自転車やダッシュで飛び歩くわけにはいかなかった。むこうずねのあたりに手術痕があり、ずっと小さい頃に両足ともに大怪我を負ったんだ、と誰かが言っていたような。本人に聞いたことはなかった。

 村田という男がいた。ひょうきんを絵に描いたようなクラスメイトで、漫才も好きだったし、「オレたちひょうきん族」で細いところを歩いて、スポンジプールに突き落とし合うようなゲームを公園あそびに取り入れたりするような、遊び好きのやつだった。高学年になると、ボードゲームを自作したりしてみんなで遊んだりした。テレビゲーム全盛期に突入したばかりの俺たちだったが、村田のキン消し(人気アニメ「キン肉マン」の超人をかたどったゴム製の4cmくらいの大きさの人形)を使ったボードゲームは楽しくて仕方なかった。村田と鈴木さんは家が近く、というかほとんど斜め前が鈴木さんのうちだったので、道端でのボードゲーム遊びなんかにはよく鈴木さんを誘っていた。鈴木さんは強い、村田製新作ゲームのルールをすぐに把握し、面白い展開を作る。まあ、そのあと、モデルガンなんかをガチャガチャ持って、自転車で撃ち合いしながら遠くの公園に行く時は鈴木さんは家に引っ込むわけだが。

 中学生になっても、鈴木さんの補助器具は取れなかった。そんなに悪いんか?と思ったものだが、やはり、足の具合を聞いたりはしなかった。村田は相変わらずボードゲームを自作していたが、もはやそのレベルは洗練されまくり、ロールプレイングゲーム的要素が取り入れられていた。今でこそ、そういうハイレベルなカードゲームが売られているが、当時は少なくとも一般には出回っていなかった。外国の専門誌でも読んでいたのかもしれないし、完全オリジナルだったのかもしれないが、俺たちは楽しんでいた。なにしろ、普段一緒に遊ぶことも無くなった、ちょっとグレてしまって、大人ぶっていたやつらでさえ、無邪気に遊んでしまうくらいだった。その頃には、鈴木さんも一緒に道端で、といったことはなくなっていた。 

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