市民オリンピック狙撃未遂事件

小学生の高学年の頃、地元のデカい運動公園の競技場が新設され、かなり立派なものになり、その年、そこで市民オリンピックが開催された。

俺たちは、というか、俺は当時「メカニック」という暗殺者の映画に影響を受けた早熟だったからして、藁半紙を広げ、公園の地図を描き、マラソンコースの近くに丸を3つ。そう。狙撃ポイントを描き込み、エアガン所持の友人を誘い、そこから選手を撃つ計画をたてた。

コーフンしていた。その熱のまま、日曜日を迎え、朝の10時くらいか、時計は持ってないのに、お互い時計の針(幻)を合わせて、各ポイントに散った。

しかし、ホンモノの射撃手のようにはいかず、選手に狙いを定めることすらできず、タイミングも計画もなく、「パスッ!」「パンッ!」とあらぬ方向にBB弾を射出し、すぐに大会運営のおじさん?お兄さんらにみつかり、お縄となった。逃げる時に、往生際悪くパンパン撃ったくらいが華だった。

我々、ものすごく叱られ、小学校には連絡が行かなかったみたいだが(本当は行ってるんだろう)、「自分たちで明日先生に言いに行くんだぞ!」とお灸を据えられたので、月曜日の放課後、職員室に恐る恐る伝えに行った。太ももビンタと正座をさせられ、反省の言を述べさせられた。

俺たちは忍者にもハマり、研いだペーパーナイフや、線路で○○した釘ナイフなんかも持っており、苦無として校舎裏の樹木なんかに投げつけていた前科もあったため、何度も没収されたそれら苦無は再び没収された。

家に帰ると、何故か(当然)、母さんもそのことを知っており、仕事から帰ってきた父さんにも報告され、夕飯も食べずに、こんこんと叱られた。まあ、反省したが、次の日は爆竹で公園の砂山を爆破する計画をたてていたので、泣きながらも半分ワクワクしていた。そのあと、自宅マンション誤爆事件を起こし、ママ友とお茶していた母さんに見つかってしまうとは、夢にも思っていなかつた。

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