<書評>あの人たちが本を焼いた日 ジーン・リース短篇集(西崎憲・編)

つい先日「第4回翻訳者のための書評講座」というものに参加させていただきました。これまで書評など書いたことはなく何をどう書いたらいいものやら頭がぐるぐるになりつつ提出した初書評でしたが、講師の豊崎由美さん始め参加者のみなさまから合評いただき大変勉強になりました。以下、講評を受けて書き直したほうの書評、いただいたコメントとわたしの意図、提出した書評の順で掲載します。

*修正後*
 <七月の日曜の朝は明るく、わたしはノッティングヒルの家主と言い争いをしている。一か月分の下宿代を前払いしろと言うのだ。(中略)いまわたしには仕事がないし、言われるままに支払ったら、ほとんどお金は残らない。だからわたしは断る。>ジーン・リース短篇集収録の『あいつらにはジャズって呼ばせておけ』(西崎憲訳)はこうして始まる。下宿を追い出された主人公は顔見知りの好意で住まいを与えられるがさしてありがたいとも思わない。お金がないのは大家が盗んだからだと考えている。薬とアルコール漬けの彼女はここでも隣人とトラブルを起こし刑務所へ入れられる。世界は常に理不尽で自分は不当に虐げられていると彼女は考えているが、じつは主人公の認知のほうが歪んでいるのではないか。読者には次第にそう思えてくる。だが終始現在形で語られる文体が、尋常ならざる精神状態に併走している感覚にさせられる。物語は刑務所に入れられた主人公が、そこで耳にした歌によって生きる意欲を回復し釈放後は仕事にも就くことができ、と一見ハッピーエンドになりそうな展開だがそうはならない。印象的なタイトルの意味はラストで明かされる。<わたしはどこにも属していないし、属すためのやりかたを買うお金もない。>と彼女はつぶやく。本当に大切なものを奪われる感覚、つねに社会から疎外されてきた主人公の抱く諦観のほろ苦さが胸を打つ。
 イギリス人女性作家ジーン・リースの『あの人たちが本を焼いた日』はリースの前半期の作品を集めた短篇集として2022年に出版された。これまで『カルテット』など長編の邦訳はいくつか出ているが短篇集は本邦初である。本書の編者であり訳者の一人である西崎氏による詳細な評伝によれば、リースは1890年カリブ海の旧イギリス植民地・ドミニカ国生まれで母親もまたクレオール(植民地生まれの白人)、17歳でイギリスに渡りコーラスガールや絵のモデルなどをしていたが経済的にはつねに厳しかった。第一次世界大戦中に最初の結婚をしその後はヨーロッパ各地を転々とする。夫はスパイだったのである。その結婚生活の終盤にリースは作家デビューする。37歳だった。だがその後も生活は安定しなかった。2番目の夫は急死、3番目の夫は投獄される。自身も過度の飲酒で心身を病みトラブルが絶えなかった。リースが作家として再び表舞台に出るのは67歳のときである。複数の文学賞を受賞さらには叙勲という栄誉も得、89歳で亡くなった。
 彼女の実人生の欠片が、収録された14編に透けて見える。収録はほぼ年代順とあるが、幼年時代を材に書かれたと思われる表題作『あの人たちが本を焼いた日』(加藤靖訳)が冒頭に置かれた意味は大きい。イギリス人の父とクレオールの母をもつ友人との話だが、夫に対し妻が抱く憎しみが夫の死後蔵書に向けられるという展開に、植民地で暮らす人々の宗主国に抱く複雑な感情が凝縮されている。また植民地で暮らすクレオールの子どもの寄る辺なさも描かれ、生涯を通じてリースが抱き続けていた疎外感の根源を知るのである。
 収録作品のほぼすべてに社会に居場所を得られない人が登場する。語り手本人の場合も、それを見る人の側から書かれた作品もある。失職、飢え、刑務所、病院、戦争。描かれる世界に希望はないが、どこか突き放したような楽観も感じる。それゆえか読後感は不思議に明るい。なにより「属す場所を持たざる者」として激動の時代を生き抜かざるを得なかったリースの作品には、無意識に疎外する側に立っている者の意識をも揺さぶる強さがある。
(想定媒体 All Reviews、1480字・スペース含)

*講評とわたしの意図*
 まず「実体験から書き出しているのは読み手のハードルを下げるからよし」と豊崎さん。「ただしその講師の言葉には首を傾げざるを得ない。本人もそう思うから自分なりの解釈をされているのだろうが」とのこと。じつはここがこの本を取り上げようと思った一番の動機だった。しかし何度も書き直しをしていくうちに自分でもよくわからなくなっていたのは事実。そこをとっぱらって書き直してみました。
 また、「あいつらにはジャズって呼ばせておけ」の内容紹介の書き方が三人称で書かれているように読めること、だとすると狂気を語るのは弱いのではないか、と指摘されたので、それもあわせて大きく直しました。
 さらに、講座に提出したものには、長編は既訳があるということに触れていなかったのを指摘されたので訂正、情報提示は正確にしないといけないとのこと。
 参加者の方から「収録の短篇はいつごろ書かれたものか書いてない」という指摘があり「作者の前半期の作品」と入れることにしました。ラストの一文が印象に残ったとおっしゃってくださる方もいたのでなるべく残したかったのですが、前の部分とのからみで文章を直しました。
 また想定媒体という点で「All Reviewsは、すでにキャリアのある評者が持ち込みする場なのでふさわしくない」と豊崎さん。「書評はまず媒体を決めて、その読者層を考えて書くこと。層に合わせて書く、というのもありだし、あえて逆に振って刺激してみるのもよし」とのこと、なるほどそういうものかと思いましたが、今回はすでにAll Reviewsを想定して書いてしまったのであえて変更はしてません。次は鋭く狙っていきます。あとせっかくこういう場なのだから、どんどん冒険や挑戦をしていかないと、というのをひしひしと思いました。手堅くやってるだけでは面白くないし進歩もないかな、と。
 というわけで、まだ生まれたての子鹿みたいによろよろしておりますが、なんとなく書評というものの姿がぼんやりとながら見えてきたような気がします。

*提出した書評(修正前)*
「本当に狂っている人に小説は書けません」以前通っていた小説教室の講師の言葉だ。小説は作者の構築した世界を言語を介して他者に伝えるものだから、共通の言語がなければ成立しないということらしい。だけど酷い鬱やアルコール依存に苦しんだ作家は数多いて、素晴らしい作品もたくさんあるではないか、と疑問に思った。「狂気」にはさまざまな定義があるが、一般的な意味を調べると「常軌を逸脱した精神状態」とあり、その定義によるなら極度の鬱もアルコール依存も狂気ということになる。おそらく、狂気の渦中にあるとき小説は書くことはできない、他者に伝わる言葉に置き換えられるのはその渦を脱してからだ、と言いたかったのだろうとわたしは理解した。
 ところが、これは狂気の内側で書かれているのではないか、と思うような作品に遭った。本書収録の『あいつらにはジャズって呼ばせておけ』(西崎憲訳)である。薬とアルコールに依存する語り手セリナの思考の流れ、認知の歪み、記憶の分断と混乱、これは明らかに常軌を逸した状態にある者と感じた。現在形で語られる文体も、尋常ならざる精神状態に併走している感覚にさせられる。セリナの主観で語られる世界では周囲は常に理不尽で自分は不当に虐げられている。一歩退いて周囲の者たちの視点で見ればセリナこそが迷惑をまき散らす人間なのだが。物語は隣人とのトラブルで刑務所に入れられたセリナが、そこで耳にした歌によって生きる意欲を回復し釈放後は仕事にも就くことができ、と一見ハッピーエンドになりそうな展開だがそうはならない。印象的なタイトルの意味はラストで明かされる。本当に大切なものを奪われる感覚、つねに社会から疎外されてきたセリナの抱く諦観のほろ苦さが胸を打つ。
 本書はイギリス人女性作家ジーン・リースの日本初の短篇集で2022年に出版された。日本ではほとんど知られていない作家であるが、編者であり訳者の一人である西崎氏による詳細な評伝が収録されている。リースは1890年カリブ海の旧イギリス植民地・ドミニカ国生まれで母親もまたクレオール(植民地生まれの白人)、17歳でイギリスに渡りコーラスガールや絵のモデルなどをしていたが経済的にはつねに厳しかった。第一次世界大戦中に最初の結婚をしその後はヨーロッパ各地を転々とする。夫はスパイだったのである。その結婚生活の終盤にリースは作家デビューする。37歳だった。だがその後も生活は安定しなかった。2番目の夫は急死、3番目の夫は投獄される。自身も過度の飲酒で心身を病みトラブルが絶えなかった。リースが作家として再び表舞台に出るのは67歳のときである。複数の文学賞を受賞さらには叙勲という栄誉も得、89歳で亡くなった。
 彼女の実人生の欠片が、収録された14編に透けて見える。表題作『あの人たちが本を焼いた日』(加藤靖訳)は幼年時代を材に書かれた作品と思われるが、この作品が冒頭に置かれた意味は大きい。イギリス人の父とクレオールの母をもつ友人との話だが、夫に対し妻が抱く憎しみが夫の死後蔵書に向けられるという展開に、植民地で暮らす人々の宗主国に抱く複雑な感情が凝縮されている。また植民地で暮らすクレオールの子どもの寄る辺なさも描かれ、生涯を通じてリースが抱き続けていた疎外感の根源を知るのである。
 収録作品のほぼすべてに社会に居場所を得られない人が登場する。語り手本人の場合も、それを見る人の側から書かれた作品もある。失職、飢え、刑務所、病院、戦争。描かれる世界に希望はないが、どこか突き放したような楽観も感じる。それゆえか読後感は不思議に明るい。なにより渦中の体験を経て書かれたリース作品には、無意識に疎外する側に立っている者の意識をも揺さぶる強さがある。
(想定媒体 All Reviews、1537字・スペース含)
 


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