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生活者が未来の社会を創る

「業界の常識は世間の非常識」ということは多々ある。
しかし、それも長く続きすぎると、世間(つまり生活者)の感性が鈍り、非常識なことばかりが浸透してしまう社会になりかねない。

そのため、業界都合のレールに顧客を誘うのではなく、生活者のそれぞれに「主体性の解放」を促しながら、個々の暮らしに合せた価値ある衣食住の提案をしていく価値づくりであること…コレを、自分がお仕事を引き受ける上でのポリシーにしている。

なぜなら「オンリーワン」という概念は、個々の生活者が幸せに生き抜くために、日々の暮らしの中に宿るべきものだ…つまり、事業者の生き残り戦略のための「オンリーワン」ではないと考えているからだ。
これは、拙著『未来に期待したくなるジブンスイッチ』にもしたためた。

それが仮に個人的感覚に過ぎないとしても、加速度的な人口減となっているこの国では、大量生産&マス受けする事業戦略が通用しなくなっていることは明白である。

そして、企業規模が大きくなるほど「生活者のオンリーワン」を実現させる価値づくりは、体質および構造的に難しい。

一方、生活者一人ひとりオンリーワンの心豊かな暮らしを実現させる価値づくりに、個人事業主や零細企業が勤しむこと。
これは、草の根レベルの活動あっても、明らかに「未来のあたりまえ」を創る価値づくりであり、コレも立派な「イノベーション」につながるものだと確信している。

幸いボクの周りには、そうしたことに邁進する事業者とのつながりがとても多い。
これからの未来は「生活者こそがイノベーターになり得る」と再認識した事象があったため、あらためてnoteにしたためることにした。



根深い固定観念

こうしたことを述べると、業界の常識を人為的に造り上げて既得権益にこだわる人達を揶揄しているように思われがちでもある。

ところが、生活者の一人ひとりのオンリーワンな暮らしや生き方に寄り添う価値づくりを信条としている者達は、大手企業と競合することも無いので、批判することも抵抗する必要もない。

各業界と抗う必要はないが、生活者側に対して懸念していることはある。

業界の都合によって「ある種の固定観念」を擦り込まれ続ける生活者が、現代社会の大半を占めているという点だ。

働き手の立場でも、自分の暮らしを築く消費者の立場でも…生活者の一人ひとりが無意識のうちに、資本力や組織力によって「従順に飼いならされてしまっている人が多い」というのは過言ではない。

これによって最も大きな懸念点となるのが、生活者のそれぞれが主体的かつ能動的に「ジブンらしさを解き放つ」ということに躊躇・抵抗・拒絶する傾向が強くなるということだ。

他律的かつ相対的評価が中心となる現代社会においては、その中での「勝ち組」や「優等生」となることが豊かさの象徴であるという錯覚に陥りがちであることも背景の一つなのだろう。

特定の人だけが裕福になる構造と、それが社会というものだと自分に言い聞かせてしまうような常識化は、小学校に入った頃から社会人となった後も根深く刻まれ続けているため、とても厄介な固定観念となっている。
 
そのため、生活者の一人ひとりが「主体的に自分らしさを活かして生き抜くこと」こそが「心豊かな社会」を築くことにもつながることに目覚めてもらうこと…コレを草の根から地道に積み重ねていくことが今後の鍵となる。


丁寧に二つのことをする

先日、冒頭記載の想いがあると推察する異業種の二人を引き合わせた。

両者共に「いつまで人為的に造られた常識に合せて生きていきますか?そろそろ自分に合う社会を身近に創りませんか?」という投げかけの価値づくりをされている点で、親和性の高さを感じていた。

この日の引き合わせでは「食+住まい」と「衣(装い)」のプロそれぞれが足並みを揃える共同イベントの実現性を探ることが目的だった。

対話が進むにつれ、この企画の実現性だけではなく継続性も持たせていく上では、双方が同じベクトルを向いた次の二つの同意点がポイントとなった。

  1. 告知はなるべく多くの人に理解されやすいアイテムに「絞る」こと

  2. 商品の仕上がりの「品質」にお客様の納得と感動が生れること

このポイントはマーケティング的要素としては当然の二つとはいえ、どちらの事業者も、誠意をもって丁寧にやっていく意思が固いことを確認できたのは大きい。
組織運営のみならず異業種による取り組みにおいても、運営に入る前のこうした確認(心のグリップ)は欠かせないところだからだ。

また、俯瞰的に感じる点として、この両者の対話に同席したことで気づかされたことがある。


得体が知れないものは何?

両者が、イベント運営上のポイントをあらためて明確にする際、個人的には次のような考察をしていた。

そもそも零細事業者同士が組んで「ジブンらしさが活きる生活スタイルを提案する」というのは、名の知れた大手企業が仕掛けるものとは違って「得体が知れない」と感じられてしまいがちであるということだ。

したがって、どれだけステキなものであっても「得体の知れないもの」である以上、誰だって距離を置いたり警戒するのは当然のことだ。

その警戒を解くためにも「自分にもとても身近に感じられる」というところから関心を寄せてもらう必要がある。
そのために出てきたのが上記一つ目のポイントだ。

突然「あなたらしさを表現しませんか?」と投げかけられても、どうしても自分の中にある「固定観念」が邪魔をして行動に移せない可能性が高い。
そのため、とても身近に感じてもらいやすいアイテムを丁寧に用意する必要がある。
 
ここで仮説が浮かぶ。

多くの消費者は、案外「本来のジブンらしさは何か」ということを把握していない可能性が高く、実際問題「あたならしさとは何ですか」と問うと、明確に答えられない人のほうが多い。

つまり…

「得体が知れない」というのは、見知らぬ零細事業者に向けられがちだが、実はその対象の本質は「本来のジブンらしさの得体が知れていない」ということなのではという仮説である。

誰でも過去の自分を否定したくはないため、本来のジブンらしさと向き合う一歩を踏み出す勇気が出ないことの繰り返しとなる。
そうなると、いつまでも本来の自分のことが「得体が知れない」ままという皮肉な悪循環に陥りやすい。

また、そうした自分自身が抱えている「パンドラの箱」は、自身でも開けたくない上に、他者にこじ開けられることなど、もっての外だろう。
名の知れぬ零細事業者に「あなたらしさを解放してみましょう」と言われても、頑なに防御姿勢が出てきてしまうのも当然のことだ。

そうした中で、今回引き合わせた二人の事業者は、生活者一人ひとりが自ら「ジブンらしさ」を自然体で向き合ってみたくなる空間と空気をつくることに長けている。

要するに、この事業者は「パンドラの箱」をこじ開ける人ではない。
「少しずつで良いですから…ご自身でジブンらしさと向き合ってみましょ♪」と優しく背中を押す立ち位置にいる人達だ。

さらに、少しずつその歩みを始めた人には「得体の知れないご自身の解像度を少しずつ高めること…それ自体を本気で楽しんでみましょうか」と寄り添うことができる人達でもある。

今は企画段階であるイベント構想も、そんな二人だから心理的安全性が担保された空間と空気感を提供できるという期待値が上がった。


得体の解像度を高める

さらにこの二人が共感した点は、提案されていくモノやコトが「ホンモノである」という、先に述べたポイントの二つ目のことだ。

生活者一人ひとりの「オンリーワン」を実現する上で「この人達にぜひお任せしたい」という価値創造力と質の高さを感じてもらえる自覚と心意気が、この二人にハッキリと感じられる。

せっかく生活者自身が「ジブンらしさ」を少しずつ実装化させていこうとするならば、付け焼刃のような「なんちゃって」レベルではもったいない。
ホンモノの品質を感じてもらうことこそが、その人にとっての自律的歩みを後押しできるということを理解し合っていた。

「ジブンらしさ」の覚醒に加え、その実装化に向けた品質は「ホンモノ」であるからこそ、一人ひとりの生活者がもっと自分自身と丁寧に向き合う機会を増やす…これが「継続性」にも不可欠な要素となるのだ。

いずれにしても「ジブンらしさ」への変遷は、生活者自身の内面から出てくるものだ。

衣食住のあらゆる場面において「こういう私で良いんだ!」「社会に自分を合わせるのではなく自分に合う暮らしは自分で築いて良いんだ!」と内面から変わるためには、心理的安全性が高い機会を提供する必要がある。
そして「ご自身の内面が目覚めて歩まれること…どうせやるなら衣食住も自分が感じるホンモノを使って本気で楽しんで行きましょう」の姿勢である。

本当のジブンらしさという「得体の知れないもの」…これを一緒に探究していくこと仲間であるため、今回の零細事業者の二人が「得体が知れない」というわけではないということだ。

まあ、どうしても大手に比べると明らかに知名度が低いため「得体が知れない」と思われるのは仕方ないことではあるが、一度会ってお話しする方は、ほぼ全面的な信頼を寄せて行かれているのは間違いない。


生活者から起こすもの

このコラムの書き始めのところで「零細事業者による草の根レベルの活動とは言え、コレは立派なイノベーション」と表現した。

「イノベーション」の定義はいろいろあるが、システム思考を用いた事業活動をされる二宮健嘉氏のご説明が解かりやすい。
数年前の交流会でレクチャーいただいた以下の言葉だ。

イノベーションとは…以下三つで表現できる
・得体の知れないもの
・物議を醸しだすもの
・必ず実現するもの

二宮健嘉氏のレクチャーより

こう考えると、やはり「業界の常識は世間の非常識」をひっくり返すだけでも、充分なイノベーションになり得る。

ただし「世間(生活者)の常識は業界の非常識」という着眼点に立つと、ボクらが指向するイノベーションの当事者であり主体性は「一人ひとりの生活者」にあるということ…ココが大きなポイントとなる。

それを「生活者の常識が未来のあたりまえを創る」という表現に置き換えるならば、イノベーションの三要素が見事にハマる。

1)得体の知れないもの
業界が人為的に造り出した常識から擦り込まれた「固定観念」により、ずっと自分の中に蓋をしてきた「本来のジブンらしさ」が、最も得体の知れないものなっている可能性がとても高い(前述のとおり)

2)物議を醸しだすもの
未来のあたりまえを築こうとすると、明確に「習慣の変化」をつくることになるが、その前にまず「今ある常識を疑う」ということに向き合う必要があり、それは本人のみならず、親子や夫婦間でも物議を醸しだすことになる

3)必ず実現するもの
主体性や好奇心は一人ひとり違って良いものであり、それは元々誰もが生まれ持ってきたものであるため、可能性は全て一人ひとりの生活者の中に秘めていることから「自分はこうありたい」という内面の変化が起きて構わないという心理的安全性の担保が確保されると、実現の可能性は一気に高まる

河合義徳 私見

要するに、未来のあたりまえを築くための「イノベーション」というのは、産業界や事業者が主体者になるのではなく「一人ひとりの生活者」が主体者であるという基本軸である。

そして、共にそういう未来を築こうとする零細や個人事業主の人達は、そうした主体者に伴走したり寄り添う立ち位置ということになる。


不要なプライド

ボク自身、自分の本業とは別にライフワークにしていることがある。

まず、親子共に個々の主体性が育まれる土壌づくりをテーマにして、ミニバスケを使ったワークショップをする「躍心JAPAN」という任意団体だ。

ここでは「子ども達の意識を変えたければ、まずは我々大人から」という言葉を合言葉にしているが、この根幹にあるのは「子ども一人ひとりの主体性が育まれる土壌づくり」の『土壌』とは、家庭の親とチームの指導者を暗に指している。

これについてはこのコラムと道が逸れるため、そちらの活動はnoteの「躍心JAPAN」に特化したマガジンを参照願いたい。

そうした少年スポーツの場だけではなく、最近では大人社会に特化した任意活動が動き出した。

「他律的かつ相対的な評価」から脱却して、自分自身に「自律的かつ絶対的な価値」を見出そうとする人とのつながりをつくることだ。

それを「ジブン解放群 ~Yeah! Me ♪」(仮称)というコミュニティ活動につなげる準備をしている最中だが、任意に集まる「ジブン解放」のメンバーの中でも、一つのキーワードを確認し合っている。

一人ひとりが「ジブン解放」する上で、最もネックになっているのは「無駄なプライド」という点だ。

プライド
〘名〙 (pride) 自分の才能や個性、また、業績などに自信を持ち、他の人によって、自分の優越性・能力が正当に評価されることを求める気持。また、そのために品位ある態度をくずすまいとすること。誇り。自尊心。自負心。

コトバンクより

資本力や政治力によって人為的に造り出されてきた常識からの「固定観念」の呪縛に近いものからなかなか脱却できないのは…仮に「ジブンらしさ」を解放したところで「他者に正当に評価される」ということはない。

しかし、この場合の「正当」の主体が、業界の常識からみた場合ということにほかならない。
故に「ジブン解放群」のメンバーは、そうした「正当な評価」なら不要のものであることから「無駄なプライド」であると確認し合っている。

もちろん、身近な人に不快感を与えたり、他者に損害を被るような迷惑行為を与えるような「自己満足」は社会に迷惑だが「コレが私らしい暮らし方」というものは、一人ひとり違って構わないのである。

そうした本質的なことには触れないまま、各産業界で「SDGs」「ダイバーシティ」「サスティナブル」を連呼しているのは、どこか空虚で滑稽なものにしか聞こえないことも多々ある。

2022年11月に発行した著書『未来に期待したくなるジブンスイッチ』では、最も伝えたかったことは以下の点に尽きる。

暮らし、人育て、働き…どの分野においても「自分らしさを主体的に「活」かして「生」きる「者」こそが、本来の「生活者」である。
現代社会では、消費する立場だけが生活者であり、働くという生産の立場ではあまり生活者という表現をしていない。
また、経済の中心には資本力やお金ではなく、生活者の心がなければ、本来の経世済民…つまり「経済はありがとうの循環でできている」という至極あたりまえの社会は取り戻すことができない。
そのため、消費者の立場では散財して、生産者の立場(職場)では疲弊する。
しかも、実際問題、ストレス発散のようなお金の使い方をしていても、結果的には業界都合の思うままになっているという始末…これは、社会システムの問題ではなく、本来の「生活者」一人ひとりのマインドの問題が本質。

ジブンスイッチ要約

これを図解を使って構造で示した本だ。
発行後一年以上経っても、未だに自社Webサイトにご購入申し込みを頂いているため、数は少なくともロングセラーと言っていこうか…(笑)

いずれにしても…

「生活者」が主体となって、一人ひとりのオンリーワンを築くことを「未来のあたりまえ」にするためのイノベーションは、こうした経緯によって零細や個人事業主が起点となりやすい。

そもそも、社会形成における普遍的な美しさというものは、一人ひとりの主体的な暮らしの中に宿るものであり、これが次世代の「あたりまえ」となることは、本来難しいことではないはずだ。

他律的かつ相対的な評価に迎合すること…我が子に同じ轍を踏ませるのではなく、自律的かつ絶対的な価値を自分の中に見出す生き方がスタンダードになる必要がある。

こうしたことをあらためて感じる二者の引き合わせだった。
そして、その同席によって「イノベーション」の主体者が「一人ひとりの生活者」になることが、大いなる可能性を秘めていることを再確認させられる機会となった。

この共同イベントの企画は、おそらく今年の春か夏には実現の可能性が高いため、具体事例をもってリアルに表現できる日は近い。

Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳

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