勉強が嫌いな中学生との対話
この春に社会に出る高校三年生から「勉強嫌いな中学一年生の弟のことで相談したい」と、次のような連絡があった。
この連絡から、実際に彼らに会った時のことを、概要だけでもnoteにしたためておくことにした。
アドバイスではなく対話
とてもユニークな活動を続けていた三兄弟(今は四兄弟)だったため、彼らとは約7年前(2017年3月)にトークライブもやったことがある。
幼稚園通いだったその当時の末っ子は、今は中学生なのか!
頼りにされた以上は、責任をもって久しぶりの再会としたい。
そこで「アドバイス」をするのではなく、彼ら二人と「対話」をする時間を設けることを提案した。
アドバイスというのは、どうしても価値観の押し付けになりやすい。
それに、上から目線で「こうあるべきだ」と人に言われたところで、本人の内面からの気づきがなければ一過性の「やる気スイッチ」にしかならない。
そうした中で「対話」というのは、相互に等身大で語り合う中で「お互いの未来はどうありたいのか」ということを確認し合うことだと個人的に考えている。
ただし、あくまでも対等性を重視して本気で向き合うがゆえに、相手の年齢に合わせた言葉づかいができない可能性が高く、使う言葉も紙面でメモ書き提示する表現は、彼らが知らない語彙や漢字を用いることもあるだろう。
それであっても、彼らが知らない言葉ならその時点で意味を聴いてくればいいし、ボクが知らない彼らの世代の言葉が出てくればその場で意味を確認して話を進めればいい。それによって、お互いに知ったかぶりをする必要がないため、ずっと本音で語り合える。
実際、彼らならそれができると確信できていたので、久しぶりの再会に胸を躍らせた。
考えること自体は好きな人
中学一年生の弟くんが、なぜ勉強が好きになれずに周りの大人が目も当てられない成績となっているのか…まずは彼本人の状況をヒアリング。
確かに彼は学校の勉強は嫌いではある。
特に記憶力を試されるテストは苦手。
それでも!…彼は「技術」と「社会」の二科目だけは、惹きこまれる授業もあると語る。
「モノが動く仕組み」「ニュースに出る話題からそうなっていく社会背景」には深い関心を寄せているようだ。
そうなると「自ら考えようとする意欲」「知りたいと思う探求心」はしっかりと存在しているわけだから、彼の可能性は充分にあるという仮説が立つ。
「考えることは好きだし、テストの点が取れないことを深刻に心配する必要はないのでは…。担任の先生や周りの大人達を不安にさせるような成績なのかもしれないが、まだ一年生…中学校生活残り二年もある。」
心の中で感じたまま、その言葉を兄弟に伝えた。
一方でボクが憂いているのは「人はなぜ学び、その学びは自分の未来にどう活かすことができるのか」ということを、小中学校で確認し合う機会がないということだ。
ボクら世代の時も彼らの世代でも、これは何一つ変わっていない。
そうであるならば、他の授業に全く関心が湧かないのは、本当に彼本人だけの問題なのだろうか。
そう感じながら「人は何のために学ぶのか…どうなると自ら学びたいということになるか」という哲学的な対話も重ねた。
そして「まず自分はこうした事に関心がありその探求をもっと深めたい!」という自分の興味関心を先に見つけることが「自ら学びたい!」という動機づけになり得るという話に及んだ。
それを逆説的に表現するならば、心が動いた上での頭の働かせ方ならば可能性はどんどん伸びるが、心が動いていないのに頭を働かせるのは、苦痛と疲弊が待っているということだ。
そもそも、人間は誰もが幸せになるために生まれてきたんだ。
本来は、幸せになるための学びであるはずなのに、学びが苦痛になること自体に問題がある。
関心事の深掘りが反動力に
関心事があるわけでもないけど、とりあえず勉強の習慣をつけて及第点をコツコツ取っていく人に比べると、勉強し始めるのが遅くなると、どうしてもそのステップの段差が大幅に高くなるので明らかに苦労はするだろう。
それでも、命令されて仕方なく知識を積み重ねる人に比べると、自分が深掘りしたいことが明確になっていくことが知識習得意欲への起爆剤やら反動力になるからこそ、跳ね上がる可能性も高い。
その段差が大きくなっていても急激に学力が自分のものになることもある。
もちろん、全ての人に当てはまることではないかもしれず、ご家族の心配を増幅させることになりかねないが、上記の仮説に基づいて次のように問いかけた。
「関心深いことや好きな事から、まずは自分の心が動くことはどんどん深めていってみようか。本気で深めてみたいということは、周りの人の目を気にする必要もなく、トコトンやってみることじゃないかな。」
「え?トコトンやって良いんですか?」
もちろん良い。
ただし、ボクからは一つだけ彼に提案はしてみた。
「関心高いことを本気でやるのなら…周りの人を認めさせるくらいの域まで突き抜けてみたらどうだろう?自分が納得できるまでやり抜くと、さらに探究したくなっていくから、自分がやるべきこと・どういう知識を得るべきかということも、自然で見出せる気がするんだよね。気づいた頃には人に言われなくても勉強したくなっていたりしてね~♪」
その投げかけに次の言葉も重ねたが、それは同席していた高校三年生のお兄ちゃんには深く刺さっていった。
「本気で楽しめることは何一つ楽なことはないんやけどね…。それでも全く楽しくなく勉強して早く楽になりたいと思うよりかは、トコトン本気でやってみることのほうが意味があるんとちゃうやろか。」
ここは経験が浅い中学一年生の弟くんには未だピンと来ていない気もしたが、お構いなく引き続き対話を進めて行った。
いずれにせよ、頭だけを働かせるのは誰だって辛い…心が弾まないとね。
知識の前に感性を磨く
「自分が夢中になれる関心事を見つけるには…まず『感性』を磨くことは大切やと思うねん。」
「かんせいですか?…かん…せい…。」
「まずは自分が美しいと思うもの、ステキだなと思うことを、日常生活の中で自分から見つけにいく。そして『コレはどうやって造られているんやろ』『なぜアレはあんな動きをしているのかな』『あのポスターはなぜあんな言葉を使っているん?』という自分が気になるものを探しまくる。そうすることで、自分にしかない『感性』を磨くことはできるねんで。」
「はぁ…。」
弟くんはますます頭を抱えるが、このやりとりで、春から東京でクリエイティブな職業に就く予定のお兄ちゃんが、さらに前のめりになっていった。
もはや、弟くんをそっちのけでお兄ちゃんとの対話に変わっても良いかなと感じたのは、弟想いの高校生が腑に落ちて行くと、ボクとの対話を終えても引き続き兄弟間での対話につながるだろうという開き直りでもあった。
「そもそも学校のテストに出る『知識』はどれだけ蓄積しても、誰が答えても同じ答えにしかならない。『感性』が豊かになっていくと関心事も深まって『知識』を習得したいという意欲が湧くだけでなく、習得していった知識に感性が掛け合わさると、その人にしかない『知性』というものに変わるんだよね。『知性』は人によって違う答えになってエエねん。」
ここまで踏み込むと、春に社会に出るお兄ちゃんの目がキラキラしてきた。
『知識』でナンバーワンを競う学校のテストよりも『知性』がオンリーワンであることで、社会での存在価値が活きるということを感じ取り始めた。
「その『知性』が豊かな人ほど『ぜひこの人に仕事を任せたい!』という未来が待っている。だから若いうちほど『感性』を磨いてみないか。好きな事はトコトンやれば良いのは、その『感性』を磨く目的もあるので、やはり何一つ楽ではなくけど…自分の心は躍動しているから本気で楽しめる。」
仰け反るほどお兄ちゃんが反応して、次のように問うてきた。
「河合さんは、感性と知識と知性の関係性が、自分が他者とのコミュニケーションが良くなっていくことに、どうつながるとお考えですか?」
我慢できずに口出ししてきた彼の問い…さすが春から社会人となる男の言葉だなと思った。もはや、お兄ちゃんも弟くんをそっちのけである。
「確かに『知識』は大切なんだよね。例えば勤め先では、初めは業務知識も何もないから、君に仕事を任せてみようという『信用』は築けていない。つまり業務知識が身に着くというのは、経験の積み重ねでもあるので『信用』が少しずつ高まると思うねんな。」
「はい、まずは業務知識の習得は大事だと思っています。」
「エエ心掛けやん。そこで、知識はいずれ積み重なっていったとして…それだけでは、他の人と変わらないことがある。知識は誰が答えても同じ答えになるのならば、君ではなくても知識がある他の人でも同じ答えが出せる。挙句の果てには人ではなくAIが答えを出してくれるかもしれない。」
「確かに…」
「そこでだ…『他の誰でもなく、ぜひ君だからこそこの仕事を任せたい』といところに持っていくには…」
「人とは違う答えが出せる『知性』ですね!」
「そう!ボクもそうやと思うねん。何事も仕事をしていく上では『ぜひこの仕事はあなただから任せたい』となってくると「存在価値」が明らかになってくるので意欲も湧く。そこで君にしかない感性が活きるんだよね。」
「結局は、感性がどれほど豊かかどうかに戻ってくるんだ!」
「せやねん…知識に感性が掛け合わさるから、君にしかない仕事の知性が出てくる。仕事を任せる相手からは、君に対しては未来への『期待』が生まれているんだ。『信用』がさらに『信頼』に進化する瞬間やんな。」
「なるほど、知識は『信用』にはなるけど、それだけでは他の人でも築けることで、自分だから持ち合わせている感性が活きてくると、知識が自分にしかない知性に変わるから『この人だから任せたい』という『信頼』になる…コミュニケーションの話ですね!」
まさにソコ!
なんなら、ボクのことをよく知る人には周知の事実として「大して知識がなくても、思いっきり自分ならではの感性を活かす実践力を高め、それだけで信頼されるようになる」という大人だっているくらいだ。
この春からは社会に出て自分の存在価値を試そうとしているステージに立つお兄ちゃんだからこそ、自分事としての対話になっていった。
今一つピンと来ていない弟くんとの引き続きの対話でも、活かしてもらいたいと願いながらのお兄ちゃんとのやりとりだった。
損得を考えての行動
兄弟との対話の最後に、今回の主役の中学一年生の弟くんが予め用意していたという質問をしてきたが、この質問がとても興味深い。
「えっと…人は損得で行動するのはいけないことだと思いますか?」
「日常生活のどういう場面でそういう問いが浮かんでいるん?」
「家族にコレを手伝ってと言われる都度、それを手伝ったところで自分には何も得することがなければ、なぜ手伝わないといけないんだろうと行動が鈍る時に…。」
「なるほど…。それなら君は、今ココで横に通る見知らぬ人が胸を抱えて倒れこんだらどうする?」
「…大丈夫ですか?と声をかけて近づきます。」
「その時、その人を助けたいという想いの中に、この人を助けたことで自分に何かしらの見返りを期待したんだろうか。」
「いえ、それはないです。」
「頭を働かせて損得勘定をしたのではなく、心が動くんだろうね。」
「たぶん…そうなるんだと思います。」
「もしかしたら、それは損得勘定の自分への見返りを期待する『得』ではなくて、人への心配りという『徳』なんだろうね。」
「えっと…『徳』ですか。」
「さて、この世の中の全ての人が、自分への見返りを期待する『得』が生まれることしか行動しなくなったら、どういう社会になるだろう?すぐそばに困った人がいても自分への見返りがないなら見過ごしていく社会って…。」
「そんなの…嫌です。」
「せやんな。ボクも嫌やわ。…そう考えると一緒に暮らす家族が何か困ったことがあるなら、自分にできることがないかなという心が動かす機会は、日常生活の中にいくらでもあるよね。」
「あ。あります。」
「君たちは四人兄弟だし、洗濯物もたくさんあったり、食器洗いもたくさんしなくてはいけなかったり…そこで、お母さんから言われなくても、心を働かせて行動できることはあるんとちゃう?」
「あぁ…。」
「君だからできること探す。見返りなど気にせずとも、家の中の様子を見たり、人の動きを感じ取ったりすること…それは先ほど話にでていた『感性』を磨くということになるんじゃないかな。」
そこでまた高校生のお兄ちゃんが「なるほど!…弟に人への気遣いも大切とは説いているんですが、そうやって日常の暮らしで『感性』を磨く機会になるというアプローチは興味深いですね!」
実際、見返りは期待せずとも「徳を積む」というのは自分磨きという見返りはあったりするものだから、結果的には損なことではない。
「そう考えると、家族の営みも、街での人の関わりも、季節の移ろいも、全部が『感性』を磨くチャンスが転がっているねんな。『感性』の美しさは、日々の暮らしの中に宿っていくもんやと思うねん。」
「損得の判断だけで行動するのはいけないのか?」という日頃の疑問と相まって、先ほどの「感性を豊かにする」ことの重要性について、少しだけだけど解像度が高まったような瞬間でもあった。
(あとはズルいけど、お兄ちゃん…弟くんへのフォローをよろしくね。)
適度の緊張感
実は、小中学生と向き合うのは、いつも適度の緊張感がある。
こちらの話すことが理解できるかどうかということよりも、自分が語っていることにウソが無いかということだ。
なぜなら、子供達は大人の嘘を見抜く天才達だからだ。
対話とは言え、自分が感じていることを真っ直ぐ伝えていても、実際に自分の日頃の振る舞いの中にあることでなければ、何の説得力もない。
自分ができもしないこと、やっていないこと、やろうともしていないことを述べたところで、とても空虚な言葉の羅列にしかならない。
要は日々の暮らしの中に宿る普遍性こそが「背中で語る」ということにほかならず、それを言語化することで本気で向き合わないと、子供達はすぐに見透かすんだよね。
そういう意味での緊張感がある。
ある意味「理解できるように説き伏せる」という技量はボクにはなくても、本気で自分の日頃の姿を言語化することがボクの中での「対等性」であり、それこそが最低限の礼儀だと感じている。
今回の対話によって、彼らにどのような変容が生まれるだろうか。
こればかりは、彼らの日々の過ごし方に委ねるしかなく、何かしら戸惑いが生まれたり、手詰まりとなった時は、いつでも本気で向き合うよ。
その時に見透かされぬように、主体的に自分らしさを活かして生きる者として、引き続き心を弾ませて、本気で楽しいと思えることに挑み続ける大人でありたい。
Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳
<参考>2017年3月の時のトークライブの収録音源
今回対話をした兄弟は、当時小学生と幼稚園生だった。
元々彼ら兄弟を引き合わせてくれたCafe icoiさんで再会。
#キレイゴト上等
#経済はありがとうの循環でできている
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