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「競争」の美徳化は子供も大人も疲弊させる ≪前編≫

「競争」という言葉の濫用はとても危険なこと…にも関わらず、この国では何の違和感もなく…子供から大人に至るまで「競争原理は、人も経済を成長させるために不可欠な基盤」という風潮が根強く蔓延ります。
一方で、「競争」という言葉の濫用が招く弊害について語る人が、なかなか現れません。この言葉の濫用が、次世代の子供達に歪んだ経済構造を押し付けてしまうリスクが高いことを憂いて、前編と後編でコラムにしました。

結論:「競争」の濫用を無くす

前編と後編に分けた長文コラムとなるため、先に結論を述べます。
子供教育、学校の部活動、家庭、社会人の職場でも、あらゆる場面で…
「競争」という言葉は、無闇に使わないことをお勧めします。

こう提唱すると、多くの人が持つ「常識」に一石を投じるものとなるのか、なかなかの物議を醸し出すようです。
一つの話題としての対話になるどころか、「競争に勝てない負け犬の遠吠えだろう」と一蹴されることも、何度も経験しています。 

それでも、次世代の子供達のためにも、「競争」という言葉のエッセンス(本質)を理解しないまま、無意識・無頓着に濫用してしまうと、何を招いてしまうのか…そこにも意識を向けて欲しいのです。

今は、多くの大人達が、あらゆる場面で以下のような表現を使っています。

  • 競争は人を成長させる

  • 経済は自由競争で成り立っている

  • だから競争に負けぬよう精進しなさい

しかし、慢性的かつ過剰に「競争」を駆り立ててしまうと、人々の暮らしや生き方から、人の持つ可能性に蓋をしていたり、「自分らしさ」を犠牲にしているリスクが高くなっているのが実態なんです。

「競争」の濫用は、極論を言うと、誰も幸せになれません。

また、「競争」を、「切磋琢磨」の意味合いで使っている人も多く、この二つの言葉は明らかに「目的」が違うという認識の欠如は、とても危険です。

その結果として、人を追い詰める環境しか生まない事態を招くことが多いため、前編ではまず「競争と切磋琢磨の違い」についても述べます。

 

■「切磋琢磨」と「競争」は違う

「競争は人の成長には不可欠なもの」としている人の大半は「競争をさせると…切磋琢磨となり、相互に高め合える」と、「切磋琢磨」という表現を絡めて正当化する傾向にあります。

しかし、「競争」と「切磋琢磨」は、明らかに意味が違います。
なぜなら、その二つの言葉は「目的」が、全く違うからです。


◇「切磋琢磨」とは…

「切磋琢磨」という言葉をよく使うのが、現代の「武道」の世界です。
戦場の兵士による生き残りをかけた「武術」ではなく、「武道」の話です。

武道は、武技による心身の鍛錬を通じて人格を磨き、識見を高め、 有為の人物を育成することを目的とする。

武道憲章 (目的)第一条より

つまり、武道の本来の目的は、「相手と切磋琢磨することで自身を成長させること」です。
そのため、相手には最大限の敬意を払うのが礼儀と認識しています。

広辞苑でも「切磋琢磨」は、「道徳・学問に勉め励んでやまないこと。また、仲間どうし互いに励まし合って学徳をみがくこと。」とあります。

そう!相手に敬意を払い、自分の「徳」を磨くのです。


◇「競争」とは… 

その一方で「競争」は、「勝負・優劣を互いにきそい争うこと(広辞苑より)」であり、争いごとに競り勝つことが目的となります。
「切磋琢磨」とは違い、相互に高め合うことが目的とはされていません。

したがって、「切磋琢磨」には、相手を負かすという概念・自分(達)だけが勝つという概念が無いため、「競争することによって、相互に切磋琢磨して…」というの表現は、何ら説得力がないということになります。


■「競争」が与えるダメージ

「競争と切磋琢磨」の違いでは、もう一つ重要なことがあります。

過度な「競争」が、人に与えるダメージは…「肉体的疲労」よりも「精神的疲労」のほうが大きく、しかも蓄積されやすいという点です。

「相手に負けたら悔しいだろ!…だから相手に打ち勝つために努力するんだ!」という暗黙のプレッシャーが、「競争」には根深く蔓延ります。
「切磋琢磨」には、知的疲労や肉体的疲労はあったとしても、「負けたらどうしよう」という押しつぶされそうな精神疲労はありません。

知的疲労や、肉体的疲労は、睡眠や休息で回復しますが、精神的疲労は、いくら寝ても心労が重なるばかりです。

気になるデータとして…若い世代の死因1位が自殺なんていう国は、先進国(G7)のなかでは日本だけです。
これが、競争を意識させ過ぎることが直接的な原因とは立証できませんが、何かしら因果関係の臭いは感じませんか?

それなのに未だに「競争は人を成長させる」という固定観念を信じ続けるのは、どれだけ皮肉なことなんでしょう…。

得をする(有利となる)ために「自分(達)」だけを高めて、争いごとに勝つことが目的の「競争」。
徳を磨いて「仲間」と高め合い、価値ある学問と徳行(とっこう…道義にかなった良い行い)とする「切磋琢磨」。

まず、競争と切磋琢磨は明らかに違うものという認識を持つところから始めませんか。

このコラム「後半」ではイギリスの二人の哲学者の言葉も引用して、過度の「競争」がもたらす教育と経済での影響について整えてみます。

Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳

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