圧倒的に人生を楽しんでいる人々を見た話

私がギターを習い始めて、あまりにも楽しそうにしているせいか、母も触発されてピアノを習い始めたのが昨年のこと。
母は元々ピアノを本格的にやっていたのですが、家業を手伝うためにやめて、もう30年以上経っており、だいぶ弾けなくなっていたのです。

母もピアノを再開してとても楽しそうで、熱心に練習しているし、若い頃からの念願だったグランドピアノまで買ってしまった。すごい!

そんな母が音楽教室の発表会に出るということで、見に行ってきました。
出演者は20代から70代ぐらいまでかな?メイン層は50代~60代ぐらいで、演奏を聞いていると母のように昔やっていて再開したんだろうなという人よりは、ぶずの素人から始めたであろう人の方が多かったように思います。

皆さん、決してうまくはありません。ミスタッチ、弾き直ししまくります。演奏が止まることもある。だけど緊張と闘いながらもピアノを心底楽しんで弾いているのが伝わってきました。
お母さんの演奏を小さな女の子とお父さんが見守り、ビデオを回している姿もあった。もしかしたら娘さんと一緒に習っているのかもしれない。そのご家族の生活を想像すると、すごくいいなぁと思いました。

そして、思ったのです。
大人になって楽器を習い始める人って、フツーじゃないなって。もちろん褒め言葉です。

一見皆さん普通なんですよ。おしゃれな方は多い気はしたけど、それでもすごく個性的なわけじゃない。だけど、司会者が自己紹介がてら読み上げていた「好きなアーティストとその理由」がセンスありまくりなんですよ。この人がこんなアーティストを好きなの?って驚くぐらい。

つまり、感性が若い!!

皆さん何というか、圧倒的に「今」を全力で楽しみながら生きてる感じがしました。それが眩しくて、キラキラしてて、すてきだった。

そんな光景を見ながら、向田邦子さんのエッセイの一節を思い出した。

私は東京っ子のせいか「ええかっこしい」のところがある。網棚に読み捨てた新聞を拾って読む人を、そうまでしなくても、という目で見ていた。拾と捨という字をよく間違える癖に、拾うより捨てる方を一段上と思っていた。(中略)欲しいものがあってもはた目を気にして素直に手を出さないから、いい年をして、私は独りでいるのかも知れない。

向田邦子著 「無名仮名人名簿」

自分がやりたいことを全力で楽しむ。こんなシンプルなことが、大人になると全然できなくなる。それは、年を重ねるにつれて見栄っ張りになってしまうからなのかもしれません。
いろんな経験をしてきて、たいていのことはできるようになった。仕事も家事もそつなくこなせる。だからこそ、「全然できない自分」を人に見せることが恥ずかしいし、できない自分を認めたくない。だからやったことがない領域に足を踏み出すのが怖くなる。

楽器を大人から始めるのは、はっきり言って難しいです。はっきり言って、上達のスピードは遅い。だけど、だから何?なんですよね。
なかなかうまくならなくても、時間さえかければ確実に上達します。今さらコンクールに出るわけでもなし、プロを目指すわけでもなし。
おばちゃんなんだもの、下手なのは当たり前よ。それより何より、好きな曲を弾く、その時間が楽しい。それだけでもう十分、人生を謳歌してるんですよね。

人からすごいと思われなくたっていい。自分が日々のささやかな成長を褒めてあげられたらそれでいいんです。それだけで楽しいんです。
参加者の皆さん、多分みんなそんな感じなんだと思います。音を楽しむという音楽本来の魅力を満喫している気がしました。

人生は短い。人からどう思われるかとか体裁とか、そういうのをガン無視して、やりたいことはどんどんやろう。自分が思ってるほど、他人は自分に興味ないからね。極論、みんな自分にしか興味ない。自分の人生の主役は自分で、それ以外の人はみんなチョイ役だし、他人の人生の中で自分はエキストラに過ぎない。エキストラをそんなに気にする主役は、いないよ。

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