魔法の手

気がつけば、1時間も経っていた。買い出しに行く時間はとうに過ぎている。
わずか2分ほどの短い動画を、私は繰り返し見ていた。映し出されたその指は、まるで魔法のように指板の上を軽やかに行き来している。動きに一切の無駄がなく、それでいて緩急や抑揚のつけ方が絶妙なのは、素人目にもよくわかる。美しい、と思った。そして私もギターを弾いてみたい、とも。

それから約半年後、私は1本のアコースティックギターを買った。本当はエレキが弾きたかったけれど、あえてアコギにしたのは、ギターととことん向き合いたかったからだ。ごまかしの効かない生の音。まずはそれで基礎力をつけてからエレキに移行しても遅くはない。なにしろ時間はたっぷりあるのだから。

ギターを弾き始めて、気づいたのはその人の丁寧さだ。ステージで走り回っても、大雨に打たれても、その指の動きは繊細かつ正確である。狙った音だけを鳴らす、というより、狙った音以外は鳴らさないことがいかに難しいか、思い知らされた。これは練習だけではなく、妥協を許さない本人の性格もきっと関係している。

音楽というのは不思議なもので、テクニックがありさえすれば良いというものではない。多くの人の心に届く音楽を生み出すには、説明のできない圧倒的な何かが必要だ。それを人は「カリスマ性」と呼ぶのかもしれない。そしてそれは、生まれ持った才能であり、その人は、確かにそれを持っている。

なめらかな運指から生み出されるその人の音色はTak TONEと言われている。彼特有のその音色は、どうすれば出せるのか、ギターに詳しい人ならある程度説明できるのだろう。だけど、再現するのはきっととても困難なこと。真似できないからこそ、たくさんのギターキッズたちを虜にし、かつてのギターキッズたちはおじさんになった今でもその美しい音色を追いかけている。そして無謀にもほぼ素人レベルからギターを弾き始めたおばさんもここに。

仕事、育児、家事。考えなきゃいけないこともやらなきゃいけないことも山のようにあって、やるべきことをこなすだけで1日が終わってしまう。それはそれで楽しかったりするのだけど、誰かのためじゃなく、自分だけの楽しみのために時間を使うってことを長いこと忘れていた。しなきゃいけないことじゃなくて、したいことをする時間。そもそもしたいこと自体もさしてなかったような気がする。その人の音楽と出会うまでは。

働いて帰宅して、夕飯の支度をするまでのわずかな時間。むくんだ脚を引き摺るようにして台所に立つ時間。子どもが眠った後。今まで何をしていたんだっけ。

炊事は嫌いではないけれど、疲れている日は少ししんどい。それでも、その人の曲を聴くと心が軽くなるし、今日は何を聞こうかなと考えるのも楽しい。ギターは全然うまくならないが、飽きもせず3年目を迎えた。そして、私はたまに日常を抜け出し、その人のLIVEに行く。1日のうちのほんのわずかな時間、1年のうちのほんの数日が私の糧になっている。

私にとっては恩人のようなその人は、今日誕生日を迎えた。私よりちょうど20歳年上、今でもその人は私にとっては憧れのカッコいいお兄さんだ。追いかけたい背中があるというのは、何と幸せなことだろう。
カッコいい背中を見せ続けてくれてありがとうございます。松本孝弘さん、私はあなたのことを心から敬愛しています。あなたの音楽に出会えて本当に良かった。

改めて思う。あれはやはり魔法の手だったのだ。私の生活も人生もまるっきり変えてしまったのだから。


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