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ピッチコレクトの是非【エッセイ・2023年7月】

音声編集ソフトの一種に、ピッチコレクトというものがある。これは録音した音源データを後から人工的に加工するための道具で、音程やリズムをバッチリ綺麗に整えることができる超便利なハイテクアイテムです。

ピッチコレクトは主にボーカル素材の処理に使われることが多い。ボーカル録音の際に感情を込めようとしたなどの理由でついリキんでしまって声がうわずったりすることがある。そのテイクにおいて「感情」の良さを残しつつ、うわずってしまったピッチ(=音程みたいなもん)を本来あるべき位置に戻すために使われるのがピッチコレクト。もちろんピッチだけでなくリズムを矯正するために使われることもあるし、そもそもボーカル以外の楽器パートに使用されることもある。

ピッチコレクトについては賛否両論あるようで、音楽にものすごく詳しいというわけではない人が「否」のスタンスをとるケースが多い。と、音楽家の立場から僕はそう感じる。否の理屈としては、後から人工的に加工された歌を「上手い」とは言えないよね、みたいなことになってるのが多いようだ。

気持ちはとてもよくわかるのだけれども、ピッチコレクトの役割はあくまでも演出の範囲にあるものであって、絶望的に音痴な歌を世界一の歌姫に変えてくれる魔法のマシンではないのです。ピッチコレクトはそもそも輝いている宝石をさらに磨いてより一層煌めかせるようなものであってヘドロをダイヤに変えられるわけではないし、それを言うなら化粧して出てくるモデルさんって美人とは言えないよねとか、本当に美味しいらーめんにトッピングは邪道だよねみたいな意味不明な理屈がまかり通ることになります。

たしかに、逆を言うとピッチコレクトがなかった時代のミュージシャンはバチっと一発でキメていたわけだから、そこと比較すると現代音楽は後天的に加工できる分ヤワになったと見られても文句は言えないのかもしれませんし別にそのことに文句を言うつもりもない。偉大な先輩方の圧倒的な実力って事実なので。
ただ現代は便利なエフェクターがある種セーフティネットのようなはたらきをしていて、それによって救われる音楽家も少なくないのではと思うと、利便性が人間を軟弱にするとは必ずしも言い切れないのではないかと思うのです。

たとえば僕は歌が本業ではありませんが歌うこともあります。
デモテープや歌詞のハメコミはもちろん、自分の作品で歌うことだってあります。

僕の身の回りには素晴らしいボーカリストがたくさんいるので、そんな中で自分の歌を聴くと本当に申し訳なくなります。なんだよ俺のこのヘタクソな歌はよお。。。って。

ヘタクソな歌にピッチコレクトをかけても、ヘタクソで音痴だった歌がヘタクソで音痴ではなくなるくらいの変化しかないのですが、ボーカル専門外の我々からしたら音痴でなくなるだけでも十分にありがたいのです。


そんなことを考えながら音源の編集をしているとふと思うことがあり。
ピッチコレクトの開発を担当したひとって、歌ヘタクソだったのかな?だとしたら素敵だな。って。


調べたわけでもないので間違っていると思いますが、個人的な所感でその仮説は正しいのではないかと思っています。少なくともUIをデザインした担当は歌があまり得意ではなかったんじゃないかなと。なぜなら歌が得意ではない人間が直感的に操作できる仕様になっているからです。歌がもともと得意な人が開発していたらピッチコレクトはここまで裾野が広がらなかったのではないかと思います。


技術や道具って、不便や不得手を解消したいという思いから生まれます。

面と向かって話しただけでは忘れてしまうから、記録するために文字が生まれて

文字で手紙でやり取りするだけではさみしいから電話が生まれて

声を聞くだけでは余計に切ないからテレビ電話が生まれて。。。というように。

※これらの解釈があってるのかは知らない。たぶん合ってないんだろうが、そう思っておいた方がなにかとロマンチックで便利です。

エレキギターの歪んだドライヴサウンドだって、そもそもそういう音が求められて開発されたわけではなく、ギターの音を広いライブ会場でも満足に聴こえるように出力を上げていったら自然と音が割れてドライヴし、その音触が当時まだ黎明期だったロックンロールの文化とたまたま相性が良かったなんて話もあります。



こんなこと言いたくないけど、どんな業界でも既にその世界にいる人は、そのあとは老いていくだけなので、新たな技術や文化の台頭に寛容でなくなるのは自然なことだと思います。そりゃ、自分が若いころ苦労して手に入れたものを今の若者は月額1000円も払えばゲットできるんですとか言われたら良い気持ちはしないのが人間らしい感情ってものでしょう。

でも若さという特権は誰の手にも等しく渡っているもので、問題は今それが誰の手にあるのかというタイミングのズレの話でしかないと思うので、我々は新技術をとやかく言ってる場合じゃないんです。


今日話題に出したピッチコレクトは別に真新しいテクノロジーでも何でもないけれども、今の時代で言うならAIとか。

AIにはない人間ならではの良さを信じるということだけしかするつもりがない人は生き残れない時代になっていると感じます。



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