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権利とモラル【弦人茫洋・6月号】

少し前、「ゆっくり茶番劇」の商標をそのユーザーが取得したことで話題になりました。

その是非はともかくとして、今日は権利とモラルについて考えてみたいと思います。



著作権とは

多くのクリエイターにとって身近な存在であろう著作権を例にとって考えます。
最近はYouTubeやTwitterへ動画や音声をアップする際に、著作権に「引っかかった」などというコメントを目にすることも少なくなく、そういった意味ではクリエイターに限らず身近な存在なのかもしれません。

今更言うまでもないことかもしれませんが、著作権とは作者の権利を守るために存在する権利です。

僕が作った曲をAさんが横取りして売り出してしまったら僕はご飯を食べることができません。
そんな事態を防ぐためにあります。



現行の著作権ルール

よく話題になりますが、SNSへ動画や音楽(特に「歌ってみた」「弾いてみた」などカバー系)をアップする際に著作権のルールはどうなっているのでしょうか。

結論から言うと、JASRACと包括契約を結んでいるプラットフォームであれば、その二次創作をアップロードすることは可能ということになります。

詳しくはこちら



世界中の人が利用するSNSにおいて、自分の曲が違法に利用されていないかどうかを個人で監視するのは非現実的です。そこで権利の管理を代行してくれるのがJASRAC。したがって、JASRACがいいよ~って言えばカバー動画のアップはOKということになります。

JASRACの契約サイトは公式HPから簡単に確認することができますが、契約のあるサイトとして有名なのはYou TubeやInstagram。逆に契約のないサイトとして知られるのがTwitterやSoundcloudです。

「歌ってみた」や「弾いてみた」の動画をTwitterで目にすることも多いですが、厳密に言うとそれらは著作権を侵害する行為に該当します。



権利とモラル

Twitterにカバー動画をアップすることについてそれを非難することがこの記事の目的ではありません。あくまでも「権利とモラル」について考えることが目的です。

著作権がそもそも何のためにあるかというと、第三者による利益の横取りを防ぐため(ざっくり)でした。

カバー動画によって作者の利益が損なわれるかというと、厳密に言うとカバー動画を見ている間は原曲が聴かれないので機会損失につながります。

CD文化の時代ならいざ知らず、再生回数に単価が設定されているストリーミングの時代ではある種「塵も積もれば山となる」状況かもしれません。


ただ個人的に思うのは、カバー演奏というものは原作者に対してリスペクトをもって演奏されることがほとんどなのではないかということ。利益を横取りするつもりで歌ってみたり弾いてみたりする人ってほとんどいないと思います。そこら辺の道端で好きな曲を弾き語りする感覚に近いはず。2022年の世の中では、SNSも道端の一種であるということです。

もちろん、だからといって著作権が無視されて無法地帯になるのは許されざる事態です。いくら悪気がなかろうとも、ルールはルールですから。原作に対するリスペクトがあるなら著作権に対する配慮も一緒に持ってみてはどうかと思います



権利とモラル その2

上に書いたような話を別の視点から考えてみましょう。つまり原作者の立場で。

自分の作った曲なりイラストなり小説なりなんでもいいですが、要するに著作物が、自分のあずかり知らぬところで勝手に他人の名義で発表されていたら、少なくともいい気持ちはしません。そういうのは後から揉めるとややこしいので、最初から守っておきます。

これは当然のことでしょう。


その守り方が難攻不落の城みたいなものなのか、面・胴・小手くらいなのかによって話が変わってきます。

それぞれに一つの考え方なので良いも悪いもありませんが、難攻不落だとファンは外から黙って城を眺めるしかありません。面・胴・小手ならもっと身近で迫力のあるシーンを見れるし、なんなら場合によっては手合わせさえ叶うかもしれない。

ここにもやはり、(ファンに対しての)リスペクトがあるものだと思うのです。



身近にできること

JASRACに登録することは難しくても、工夫次第で自分の権利を守ることはできます。

音楽関係で言うなら、たとえば譜面や歌詞を共有するときは©表記をしたうえでWordやPDFでなくJPGで渡すなどです(コピペができない)。それでギチギチに守れるわけではないにせよ、少なくとも自分は自分の権利を守るつもりがあるという姿勢を相手にそれとなく知らせることができます

利用者の立場で言うなら、JASRAC締結の有無を確認したうえでカバー動画をアップする、もしくは、そうでない場所に動画を上げたいならJASRACに使用料を支払ったうえでそれを証明できる状態にしておくなどが考えられます。特にそれを生業にしている人 / したいと思っている人はそういった姿勢が自分を守ることにつながるので重要だと思います。


権利もルールも思いやりのうえに成り立つものだと思うのです。

お互いが気持ちよく過ごせる社会でありたいものですね。





このマガジン「弦人茫洋」は、毎月一日に「長文であること」をテーマにして書いているエッセイです。あえて音楽以外の話題に触れることが多いです。バックナンバーはこちらからお読みいただけます。


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